日本人の心

2010年7月25日 (日)

山登りに免許と入山料が必要では

『下山中にヘリ墜落知り…通報者の男性、深く謝罪』(読売)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100725-OYT1T00661.htm

山岳救助ヘリコプターで、殉死なさったみなさまに敬礼。ご冥福をお祈りします。

それにしても、山岳事故が多すぎませんか。山岳救助はただでさえ危険なものなのに、出動回数が増えれば増えるほど事故の起こる可能性は高まるわけで、残念ながら今回の事故は起こるべくして起こったと言えましょう。

今回は「東京都勤労者山岳連盟理事長」が参加したグループでの事故らしいから、十分装備した上での偶発的な事故だったのでしょう。でも、山岳事故の多くは、先日の富士山お気楽登山事件を始め、登山者の心がけさえ真っ当で、登る山にふさわしい経験と技術があれば、防げるものが圧倒的に多いような気がします。

私もよくハイキングするのですが、酷い登山者をよく見かけます。特に、団塊以上の登山者には山のルールもマナーも理解せずに登っている人も少なくない(もちろん真っ当な登山者のほうが多いですよ)。

あれでは遭難して当たり前、結局危険な目に遭うのは救助に向かわされる人たち。たまったもんではありません。

もはや、山登りには免許が必要な時代でしょう。東京なら、無免許で登れるのは高尾山のケーブルカー(リフト)コースだけ。それ以上の山を登るのは免許制、講習に参加し、経験を積むことでだんだん高く危険な山を登る権利を得る。登るときは必ず事前に届けを出し、入山料+保険料を払う。ルール・マナー違反は免許取消。それくらい必要でしょう。情けない話ですけど。

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2009年7月 8日 (水)

生老病死の先頭は「生」なんですね…

今回は単なるのんべのぼやきです…(なお、少し前に書いた文章です)

「生老病死」とは、仏教で言う四苦です。四苦八苦の四苦。(ついでに八苦とは、四苦に加え怨憎会苦(おんぞうえく)、愛別離苦(あいべつりく)、求不得苦(ぐふとっく)、五蘊盛苦(ごうんじょうく)らしい)

生老病死の先頭は生。ちょっと不思議だけど、やっぱり先頭でいいのかな。

先日、親戚の葬儀に参列しましたが、精神的に大いにしびれました。年寄りの葬式ならいいですよ、順番ですから。一休禅師がめでたい言葉を請われて『親死子死孫死』と書かれたこと、つくづくそう思います。でも、若いおかあさん。下の子供は未就学。どう言ったところで結局は寿命、人間の力でどうになるものでもない。泣いて「あきらめる」しかないけど…

小さな子供はなんだかわかりません。葬儀の最中もニコニコしているのを見ると…翌日になれば「おかあさんはいつ帰ってくるの」でしょうし…これが一番つらいですね。

年配の方がぽつりと仰せになりました。長生きすると、こういう哀しいことに遭ってしまうんだね、と。

生とは、死とは。何なのか、私にはわかりません。ただ、大自然(サムシンググレート)から意識が借りている身体は、空気や土、つまり大自然に戻ります。きっと大自然にお返しするのでしょう。それまでは好むと好まざるとに関わらず生きるわけです。そういえば、三四郎さんの副題を思い出しました、「死ぬまで生きる凡人の戯言」です。「死ぬまで生きる」という言葉の深み、葬儀で感じた気がします。

寿命を迎えた方は、たぶん生きる使命を果たされたのでしょう。その使命が何か、生きている人間にはわかるはずもない。お迎えがいつ来るのかもわからない。でも、お迎えが来て、初めて知るのかも知れません。残された家族は生身の人間、なにもわからず泣くしかない。でも、大自然のなす事が、無意味なはずはないでしょう。きっと家族が残されたことで、はじめてできる使命があるのでしょう。

「お迎えが来る」は日本人の伝統的死生観。失いたくないものです。ひょっとして、とっくの昔に失われているかも知れないけど…もしそうなら哀しい…

わけわからない文章、ごめんなさい。のんべがしびれていることだけ、お察し頂ければ…

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2009年1月11日 (日)

「働いたら損」にしてはならない

正月気分でブログさぼってました(苦笑)、そろそろ復帰します。

再起『次は職』 『派遣村』申請全員に生活保護』(東京新聞)

なんだか変ですよねえ。一生懸命求職している人がなかなか仕事が見つけられず、デモ行進に参加してわあわあ騒いだ連中が生活保護を受けられる、というのは…記事にあるように、これで「次は職」と、職をえり好みせず頑張る人もいるでしょうが、派遣村がなくなればサヨクが困るから、また理不尽なわがままなことを言い始める連中が必ず出てきて、反日マスコミがまた針小棒大に報道する…の繰り返しになりそう…

こんなことはもう報道すべきではない。まじめに働いて税金を払うより、わあわあ騒ぐ方が得。やってられませんね、と、そんな気分を誘発します。もちろん、ちょっとでもまともな心を持った人は、恥ずかしくてあんな馬鹿な真似はできないでしょうけど。

まじめに働いて、それこそ爪に火を灯すような暮らしをして、それでもダメだった人は、憲法に従って「健康で最低限度の生活を保障」すべき。生活保護という制度は、再起を図るための緊急避難としてあるはずです。

しかし、緊急避難としての性格を無視して、無制限に支給なんてことになったら、働いたら損、となりかねません。求人している会社にとっては、「生活保護」という無敵の職種が現れたも同然、たまったものではありません。

生活保護費は給与ではなく「公金」ですから、使途は制限されるのが原則であるべき。必要な用途、つまり「健康で文化的な最低限度の生活」を維持するための公金、という認識を持っているのでしょうか。

生活保護費を受給する場合、領収証の提示を義務づけたらどうでしょうか。最初の1ヶ月は無理にせよ、翌月以降は領収証と引き替えにその額を受給できる。もちろん、目的外の支出は差し引いて、となります。もしくは現物支給。「1週間生活セット」というような箱を渡すとか。

繰り返します。最低限度の生活を保障するのは大切なこと。しかしあくまでもその保障の性格は自助努力を前提とした緊急避難であり、既得権ではありません。働いたら損、の世の中を作ってはなりません。

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2008年10月13日 (月)

ズルをする恥知らずは結局ウマシカ

石井 慧選手が町内運動会で「ズル」、子どもたちもあぜん 「人生の厳しさを指導した」』(FNN)

こんなのを放映するテレビ局もどうかと思いますが…もちろん、ネタにしたところで、私も馬鹿の仲間入り(苦笑)

「人生の先輩である自分が指導しました。他人をけ落としてでも自分がのし上がる心を持たないと、日本が駄目になる。きょうはそういうことを指導しに来た。ズルしてでも勝つ」

単なるどうでもいい運動選手が何を言っても相手にしなければいい。オリンピックでメダルを取ろうが何しようが、ウマシカはウマシカ。

しかし、この石井という男、先日天皇陛下の前で「天皇陛下の為に戦いました」と実に天晴れな言葉を語っています。しかし、ズル=ルール違反しても勝つ、などとほざいているのは、つまりは天皇陛下のためにルール違反をするということ。天皇陛下に対する不敬そのもの、万死に値します、柔道界から追放されても当然です。

ルール違反しても見つからなければいい。いわゆるホリエモン精神がはびこっているのは、日本がおかしくなっている大きな一因です。お天道様が見ている、という恥の精神が薄れてしまったこと。悲しく情けない話です。

恥を損得で言うのは恥ずかしいことではありますが、あえて損得を言えば、短期的にはズルでもルール違反でもしたほうが得かも知れません。そんなのは長続きしないのは知れたこと、おごる平家は久しからず。ホリエモンも村上何某も塀の中に堕ちてしまったわけですし、リーマンブラザーズは世界を巻き込んで自爆しました。

誰に恥じることのない真っ当な生き方をして入れば、たとえ金を失っても信用は失わないので、常に立ち直れます。結局どちらが得かは明らか。徳は得です。

道徳ブログもどきになったことは勘弁。自分のことは思い切り棚に上げているわけで、「本日の「お前が言うな」ブログはここですか?」と突っ込みたい…今宵はここまでに致しとうございます(苦笑)

PS.『室伏、小学生に「ルールを守るのが大事」』(サンスポ)

こういうまともなことを言って欲しいですね。

PS2.ナポレオン・ソロさんのコメントで思い出したのがラシュワン選手。のんべも以前、この記事に書きました。ロス五輪での山下選手との試合、思い出したらまた涙が出てきました。(ラシュワン選手公式HP

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2008年6月 3日 (火)

山葵の使い回しが問題とは驚き

そばの薬味使い回し 長野のサービスエリア』(産経)

のんべはそばマニアなのでつい反応しました。

お客さんが擂る山葵を使い回し。水洗いして断面を切って再利用。これは全く問題ないと思います。

山葵に直接かぶりつくわけではなく、1人で1本を擂るわけないのは当たり前のこと。食べ残しとは違います。それに、本山葵は高いので、1人1本にしたらそばは値上がりします。こんなことを言い出せばきりがありません。テーブルに置いてある漬け物みたいなものでしょう。

ただ(マニアックな話は「昼酒昼そば…」ネタではありますが)私としては擂ってすぐより、少し置いた方が辛さが立つので、どうせなら擂って出してもらったほうがいい。もちろん、置きすぎると香りが飛びますが…

もしくは、山葵はなくてもいい。つゆに溶けば香りが飛ぶし、通ぶってそばの上にのせて食べるのは(刺身じゃあるまいし)蕎麦の香りを壊すので嫌い。

そばの薬味に山葵が大好きな人も多いので、別料金にするのはどうでしょう。実際そういう店もありますし、無駄にならなくてよさそうです。

いずれにせよ、こんなことを騒ぎにするなんて、ちょっと神経質すぎやしませんか。賞味期限を1分過ぎたら捨てる心理と似ていますね。なんか変だなあ…

※追記:松本電鉄HP謝罪文が載っていました。改善策として、チューブ山葵に変わったそうです。私はいいけど、山葵好きの人には明らかにマイナスです。

今回のクレームのおかげで、山葵をお客さんに擂ってもらう形の営業はできなくなったようなものです。酷い話。大げさに言えば、一つの文化を馬鹿なクレームが壊しました。

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2008年6月 2日 (月)

自給率向上=物を大切にする文化の復活

「若い人はコメ食べて」=消費拡大を優先-首相』(時事通信)

米を食べよう!って正論ですが…なんだかフクダ首相が言うとインチキ臭く聞こえます、首相がそういうキャラでいいのでしょうか…

それ以前に、今まで減反減反とバカみたいに煽って自給率を下げ続けてきたのは自民党政権ですよ、と突っ込みたくなりますが…

でもまあ、小麦より米を食べよう、というのは大いに賛成。自給率向上云々以前の問題として、やっぱり日本人は米です。水田なくして日本は生きていけません。

フクダ首相は、「(自給率向上のために)できることからやりたい」とも仰せになったとか。それなら、残飯税を取ったらどうでしょうか。具体的には、日本全国一律で、生ゴミは必ず分別して専用のゴミ袋に入れなければならないことにするわけです。残飯を出せば出すほどお金がかかる仕組み。分解性の袋にして、燃やさずに堆肥やバイオエタノールに加工できる仕組みにすることが必要でしょうが、それは次の課題としても…

家庭のゴミだけでなく、流通や外食産業の生ゴミも厳しくする。外食店でも、残した人からは罰金を取るのを当たり前にするか、持ち帰りにさせる。(もちろん、船場吉兆方式はだめですよ(笑))

自給率低下とは、日本人の感覚がおかしくなっている証拠。食べ物を大切にするという文化を復活させるのが一番でしょう。

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2008年5月18日 (日)

食糧危機の時代こそ、日本人の心、日本の神を取り戻そう

EU、減反政策撤廃へ・食糧高騰に対応』(日経)

世界的な食糧の奪い合いは、今後も続くのでしょうね。ぱっと思いつくだけでも、

・バイオエタノールなどという食糧を無駄にする政策

・気候変動による食糧生産の伸び低下

・四川大地震などによるシナの食糧生産の減少

など、食糧事情を悪化させる要因ばかりです。

減反減反と、輸入を増やし続けた日本の政策は、経済原理には合っているのかも知れないけど、やっぱりおかしなものでした。当然既に農水省でも反省されはじめているのでしょうが、今回のEUの動きは、正しい方向に動き始める大きなきっかけとなるでしょう。

しかし、減反政策をやめにしたところで、生産量の急上昇などとても期待できないでしょう。若い人が新規に就農するケースなど例外であり、農家の高齢化、先細りは否定できません。

急激な生産増が望めないわけで、食糧自給率の向上のためには、まずは捨てられる食糧を大幅に減少させるしかありません。その方法はいろいろあるのでしょうが、まずは我々ひとりひとりが食べ物を有り難く思って大切にする、という心がけこそが大切でしょう。簡単に言えば「いただきます」「勿体ない」の心です。

Gekuu 「いただきます」「勿体ない」は、日本人が永年の経験で身につけた、狭くて貧しく、そして美しい国に生きるための心。自然の一員として有り難く生かされている、という心を象徴する言葉、つまり神の言葉です。神を捨て、経済原理という悪魔に乗り換えた結果の象徴が、毒ギョウザ事件です。(写真は食べ物の神様トヨウケ様を祀ったお伊勢様「外宮」)

「MOTTAINAI」は既に国際語らしいけど、原義とはかけ離れた環境商売に悪用されている感じがします。商売の言葉ではなく、日本の神の言葉です。日本人の心、日本の神を取り戻すことが、まず我々が最初にすべきことでしょう。

PS.過去記事『「いただきます」の心を教えるWEB絵本』もご参照のほどを。

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2008年4月 2日 (水)

迷惑じいさんばあさんは困ったもんだ…

ドアにつえ挟まれ発車、87歳女性が転倒・けが…京王線』(読売)

京王電鉄の車掌さん、こんなので怒られるとしたらかわいそう。閉まりかかったドアが一瞬空いた瞬間に飛び乗ろうなんて、若い人でもしません。どう考えてもこんな無茶苦茶なことをしたばあさん(87歳!)が悪いに決まっています。年寄りの冷や水どころではありません。

もちろん多くの諸先輩方は尊敬すべき方々です。でも、ひどいじいさんばあさんも結構います。この前、電動車いすに乗ったじいさんが信号を無視して悠然と5車線の道路を渡っていました。車は大迷惑。

きっとこういう人たち、若い頃からルール無用の迷惑DQNだったのでしょうね。年取ってもDQNはDQNなんでしょう。

京王電鉄曰く「お客様に深くおわび申し上げます。安全指導を再徹底したい」

このばあさんのおかげで電車が遅れて他の乗客に迷惑がかかったことは間違いありません。迷惑ばあさんに対し安全指導を徹底するように望みます。

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2008年3月27日 (木)

北京五輪に世界一の職人がNO!

埼玉の世界一砲丸作り職人 「北京五輪提供しない」』(J-CAST)

Bandeau_gb 有名な「博士の独り言」さんや「一燈照隅」さんを始め、多くのブログで取り上げられている話です。のんべも敬意を表して取り上げます。

3大会連続で金銀銅を独占した世界一の砲丸作り職人は辻谷工業の辻谷政久氏。ところが北京五輪に砲丸は使わせないそうです。曰く

「この国には大事なものを送ることはできない…選手には申し訳ないと思いますが、職人の心意気がありますから、何でも送って有名になればいいというものではないんです。真心かけた大事なものですから」

うーん、ぶるっと震えが来るほどかっこいい。

自分の作ったものは自分の分身、粗末にする奴には売らない。日本の職人魂にとっては実に当たり前の話でしょう。そのような真の職人がいらっしゃることに感動しました。日本はまだまだ捨てたものではありません。

以前の記事「千年の釘」で取り上げた話ですが、鍛冶職人・白鷹氏が

「千年先に、もし鍛冶職人がいて、この釘を見たときに、おお、こいつもやりよるわいと思ってくれたらうれしいね。逆に、ああ千年前のやつは下手くそだと思われるのははずかしい。笑われるのはもっといやだ。これは職人というものの意地だね。」

と仰せになったことを思い出しました。自分の分身を大切にすること、職人の心は同じです。

さて、砲丸投げの五輪代表選手はどうなさるのでしょうか。最高の砲丸を投げられないようでは、実力でなく単なる偶然を争う五輪になるかも知れません。そんな五輪に参加しても空しいだけ、職人の心を持った選手なら参加できないでしょう。

もちろん砲丸投げに限った話ではありません。汚染された空気、水、食料などの酷い環境、中共の笛やら異常な観衆やらの中での戦いは、スポーツではなくサバイバル競争。目指すのはダルフールやチベットの血に染まったメダル。

選手にとって五輪に参加できないことは身を切られるほど辛いでしょう。しかし、砲丸作り職人にとっても同じこと。辻谷氏に多くの選手が続くことを期待します。

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2008年3月14日 (金)

権利>>>感謝の心…寂しい世の中だ…

八坂神社が著作権侵害=個人撮影の祇園祭写真使用-無許可でポスターに・東京地裁』(時事通信)

うーん、変な話です。いまひとつ祇園祭の主催者たる八坂神社が、アマチュアカメラマンの祭の写真を勝手に使ったら著作権侵害。理屈ではそうなのかも。これが、例えば○○旅行社がツアーのチラシの写真に使ったら、著作権侵害は明らかですが…

祭を写すのに、アマチュアカメラマン氏はお金を払ったわけでもないでしょう。祭に対して神社が著作権を主張するわけでもないのに、アマチュアカメラマン氏が神社に対して祭の写真の著作権を主張するのは、まことに違和感があります。

祭の写真を写せたのは誰のおかげか。伝統を守って祭を行っているみなさまがたのおかげです。このアマチュアカメラマン、伝統を守る人たちに対して、感謝の心を持っていないのか。

無断使用をとがめるのなら、「使うなら一言言ってくださいよ、私の写真がポスターに使われている、とみんなに宣伝しますから」くらい笑って言えば済む話ではないでしょうか。金払え、それはないでしょう。

法律で主張できる権利なのかも知れません。しかし、感謝の心もなく権利を主張するだけ、これでは寂しいですね。

(続きは記事の保存です、当面はリンク先をご覧ください)

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