先人に感謝

2009年6月19日 (金)

青葉慈蔵尊(大宮)での慰霊祭(21日正午)に参加しませんか

(近づいてきたので再掲)青葉慈蔵尊での慰霊祭のお誘いメールを転載します。(住所等は一部修正しました)

---転載ここから---

戦後64年当時を知る人も高齢になり少なくなっています。

満州の地で悲しくも壮絶な自決を遂げた若き乙女たち、何故に死を選んだのか、何故、慈蔵尊が建立されたのか。その由来記を添付いたしました。建立に奮闘された堀喜美子婦長さんもすでに亡くなり慰霊祭と言いましてもここ数年は数人程のさびしいものとなっているそうです。10年前初めてお誘いを受けましたが8人ほどでした。

日本赤十字より派遣されて「満州赤十字」に所属していたというだけで「日本」の従軍看護婦として扱われず、靖国神社にも祀られていないのです。

「私たちは、あなた達を決して忘れていません」という思いを届けたいと思います。

慰霊祭 6月21日(日曜日) 12時~13時

青葉園「青葉慈蔵尊」

さいたま市西区三橋5の934

JR大宮駅西口 西武バス5番乗り場「佐知川原行き」約8分「青葉園」下車

---転載ここまで---

メールに添付されたお話、涙なしには読むことができません。読むときはどうか自室で。通勤電車などでは決して読まないように(苦笑)。

慰霊碑のある地は大して遠くはありません。6月21日は所用があり、その時間次第で行けるかどうか微妙なので、まずはその前に行ってみよう、と思った次第。

Aoba_en NHK抗議デモの日、のんべはやや早起きして埼玉大宮、国道17号新大宮バイパス近くの青葉園へ。のんべは子供の頃、大宮に住んでいたとはいえ駅の反対側(氷川神社の近く)なので、こちらは全く馴染みのないところです。

駅からのバスは1時間に3本程度(時刻表)、しかも各所で渋滞するため、時間は結構かかります。でもまあ、12時集合なら11:32のバスなら普通は間に合うでしょう。
(4番乗り場の「西遊馬/川越グリーンパーク行き」でも「青葉園入口」は通りますが、そこから青葉園までは徒歩10分近くかかる上、ややわかりにくいのでおすすめできません)

Aoba_en_keiyou_tou青葉園は明るく広い公園墓地。広いのでどこにあるのだろう?と心配になりましたが、大きな案内板があるので大丈夫です。(入口の写真、真ん中の木の左が案内板です)

また、その右側には(写真左から)、乃木大将の像、国旗掲揚塔、英霊追悼塔があります。さすがは初代理事長、故・吉田亀治氏が山下奉文将軍の副官を務めただけのことはあります。

Aoba_jizouson さて、案内図に従って行くとすぐに見つかりました。赤十字の看護帽を左手に持って微笑むお慈蔵様。(その隣には山下奉文将軍のお墓)

ソ連兵に辱められるより死を選んだ看護婦のみなさま。当時、同じように自決した女性が多かったと聞きます。その心に思いを致せばやはり涙。静かに参拝、慰霊。どうかみなさま、安らかにお眠り下さい。

悲劇は満州だけではありません。内地では無差別大虐殺の大空襲や原爆。満州や樺太でのソ連兵による蹂躙。沖縄の自決。東京「裁判」という名の復讐劇。すべては戦争に負けた悲劇です。

二度と戦争に負けてはいけない。戦争をしないためには、外国が日本に戦争を仕掛けよう、という気を起こさせなければいい。自衛力と反撃力を飛躍的に強化すればいい。憲法9条とは、相手をその気にさせる、戦争大好き条文。平和を愛する日本人は早速廃棄すべき。戦争で犠牲になった方に対する供養は、平和で美しい日本を将来に残すこと。今の日本の有様では申し訳ないなあ…

お慈蔵様を前に、そんなことを思ってました。

PS.メールはのんべがいつも大変お世話になっている(感謝!)Aさんが、その知人のBさん(当時のんべは知らない方)からもらったメールを転送してくれたものです。ところが、NHK抗議デモのゴール地点の狭い公園で、大混雑の中、偶然AさんとBさんにお会いできました。ひょっとしたらお慈蔵様に喜んでいただけたのかも知れません。

PS2.自決事件は嘘という説もあります。嘘をつく理由も利点も見あたらず考えにくいのですが、一応紹介しておきます。

続きに「青葉慈蔵尊由来記」

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2009年5月31日 (日)

抗議デモにご加護頂いた神々に感謝

NHK抗議デモの日、多くの神々にご加護いただいたこと、心より感謝いたします。

抗議に行く前に神社などへの参拝いたしました。日記風に書いてみましょ。

Gokoku_jinja 朝、少し早起きして埼玉大宮へ。東武野田線北大宮駅で下車、大雨の中少し歩いて埼玉県護国神社にて、埼玉県の英霊にご挨拶。日本をお守り下さい。

Tokkouka 「特攻花」と呼ばれる花がきれい。以下、案内板より。

  特攻花の由来

 昭和二十年沖縄戦線に朝食も取らずに飛び立つ特攻隊員に宿の親子が摘んできた大きな花束を渡して武運長久を祈りました。
 特攻隊員はその親子を訪問飛行して出撃して行きました。開聞岳上空にさしかかりこの花束を機上から投下して沖縄戦線にむかいました。その後、開聞岳南側にこの花が咲き誇り地元では特攻隊員一人一人の魂の入った特攻花として大切に育てています。
 毎年夏の二十六夜参りには、この花の種を配り特攻隊員の冥福を祈っています。
  花の正式名称は(錦鶏草)です。

    埼玉県少飛会

Hikawa_jinja 氷川神社はそこからすぐ。氷川さま(スサノオさま、クシナダヒメさま、オホムナチさま)にご挨拶。のんべは子供の頃この近くに住んでいたのでおなじみ。そしてのんべの現住所は練馬の「石神井郷」の外れ、石神井氷川神社が総鎮守。氷川さまはのんべにとってとても縁のある神様。

Hikawa_sandou 帰りは大宮駅まで散歩。氷川参道はいつ歩いても気持ちいい。氷川の森の緑深く…と、思わず校歌の出だしを口ずさむ。と、数年間すごした(途中で転校)大宮小学校の前を通る。一礼。表札には「さいたま市立大宮小学校」とあるが、もちろん「大宮市立大宮小学校」の間違いに決まってる!

Oomiya_shou 氷川の森の みどり深く
まなべば常に こころ新し
たゆまず進む 希望の道に
朝空高く 富士は晴れて
夕日はるかに かがやく ちちぶよ
みなしたし いざ友よ ともにゆけ

Aoba_jizouson大宮駅からバスで10分強、国道17号新大宮バイパスを過ぎると青葉園はすぐ。青葉慈蔵尊に参拝し、慰霊。大宮に行った一番の目的はここ。詳しい話は後日。

とって返して、上中里「いし月」さんでそばを1枚、まことに美味し。

Souren_2 駒込で南北線に乗って飯田橋で下車。靖國への途中に朝鮮総連。バリケードがあったりして非常にものものしい警護。バリケードのところで警察官に「ご苦労さまです。それ(総連)があるから大変ですね」と声を掛けると、にこやかに「しょうがないです」とのぼやき。

Yasukuni 靖國では、いつもは「日本をお守り下さい」だけ、でも本日はNHK抗議デモに参加するにあたり、英霊、特に台湾出身の英霊にご加護を祈願。その後、鈴のついたお守りの根付けを頒布していただく。気持ちいい音、英霊に見守られている心地。

遊就館前にはパール判事の石碑。パール祭りでは大きな成果。もちろん、のんべも参加、同時に「世界を愛した日本」を購入。

Pal_hanji時が熱狂と偏見とを
やわらげた暁には
また理性が虚偽から
その仮面を剥ぎとった暁には
その時こそ正義の女神は
その秤を平衡に保ちながら
過去の賞罰の多くに
そのところを変えることを
要求するであろう

Kaigun_curry これから大声出して歩くには、そばだけでは心許ない。そこで、遊就館の喫茶軽食「結」で海軍カレー、まことに美味し。「カツカレー」にしたかったけどさすがにそれは食べ過ぎマーク(苦笑)。さあ、いざ出陣。

Meiji_jinguu 原宿へ到着。まずは明治神宮で明治天皇陛下にご挨拶。

NHK「JAPANデビュー」ではサブリミナルで悪用された明治天皇陛下。きっとお怒りだろう、本日のデモでは我々にご加護頂けるに違いない。雨が上がったのが、そのいい証拠。

Meiji_jinguu_kekkonsiki 結婚式の行列を見かける。うーん、いつ見てもいいもんだ。どうかお幸せに。

それにしても、明治神宮は国際色豊か。欧米人は「えきぞちっくじゃぱん」を楽しんでいるのだろう、大いに結構。北京語やら朝鮮語やらをここで聞くのも面白い、お参りしてもらうのは結構なこと。

英霊、明治天皇、そして氷川さまのご加護を得て、代々木公園へ。以下、前の記事に続く。

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2009年5月27日 (水)

海軍記念日・日本海海戦の日

去年も書いたように毎年同じですんません、記念日は毎年同じ(笑)なので…ただ、今年から横須賀に行く楽しみは、記念艦三笠に加え、YOKOSUKA軍港めぐりが加わりました。おすすめです。

Togo_1日露戦争の勝利を決定づけた日本海海戦の日です。戦前は海軍記念日でした。

「敵艦見ユトノ警報ニ接シ、聯合艦隊ハ直ニ出動、之ヲ撃滅セントス、本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」

有名な秋山真之のものと言われる電文、ぶるっと震えがくるほどの名文です。

東郷聯合艦隊司令長官は、無謀とも思える丁字戦法を採用し、完膚無きまでに勝利しました。奉天会戦勝利とあわせて、なんとか日露戦争に勝利。日本はロシアの植民地にならずに済みました。ロシアの侵略に勇敢に立ち向かった先人のみなみなさまに、敬礼。

東郷長官の「聯合艦隊解散の辞」より。これも恐るべき名文。

「神明はただ平素の鍛錬に力(つと)め戦はずしてすでに勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に、一勝に満足して治平に安(やすん)ずる者よりただちにこれをうばふ。古人曰く、勝って兜の緒を締めよ、と」

Mikasa 聯合艦隊の旗艦は三笠。東京から電車で1時間ほどで横須賀、記念艦・三笠の見学をするのも楽しい。毎年この時期には東郷平八郎展をやる模様(記念艦三笠ホームページ参照)です。(写真は約4年前に撮ったもの、ちょうど日本海海戦100周年でした。)

Togo_jinja 原宿には東郷神社があります。もちろん祭神は東郷元帥です。

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2009年5月 6日 (水)

パール祭りに参加しよう

Paaruhakase ご存じの方も多いと思いますが、東京裁判の呪縛を解くため、「パール判事の日本無罪論」(田中正明)をアマゾンまたは紀伊国屋本店で買う祭りが行われています。

現在、アマゾンの政治・法律・国際法・歴史・地理部門で一位になっているほどの騒ぎ。きっと、東京裁判史観を金科玉条にしている人たちは慌てていることでしょう。

まだ参加していない方は、ぜひ参加しましょう。まだ読んでいない方はぜひ読んでください。既に持っているかたはお知り合いに差し上げるのもいいかも。

5月28日までです。のんべは事情があって未参加ですが、終わるまでには参加するつもりです。

文末に、水間氏のメールを転載します。

参加はこちらから

Yasukuni_pal靖國神社、パル判事の碑

時が熱狂と偏見とを
やわらげた暁には
また理性が虚偽から
その仮面を剥ぎとった暁には
その時こそ正義の女神は
その秤を平衡に保ちながら
過去の賞罰の多くに
そのところを変えることを
要求するであろう

Honsenji_kane_namaeのんべの雑感を少し。

東京裁判など、勝者による復讐劇に過ぎません。今から30年以上前に、品川寺の仲田順和師が当時のローマ法王・バウロ六世に「第二次大戦後、戦勝国は敗戦国日本に対して軍事裁判を行ない、1068人を死刑にしました。そのことを法王としてどう思いますか」と聞いたところ、「それは恥かしいことです。私は処刑された人々のミサを行ないたいと思います」と仰せになり、ミサが行われました。のんべの過去記事参照してください。(写真は品川寺の鐘の一部、いわゆる「A級戦犯」の絞首刑犠牲者7人を慰霊)

もちろん、当時の日本が全面的に正しいなどと思うほど、のんべはノーテンキでもありません。連合国が偉そうに言えた筋合いか、勝者の傲りにいつまでも付き合うほどのんべは閑ではない、と思うだけです。

当時の指導者が、日本国と日本国民に対し責任を取り、戦争で犠牲になった多くの方々に対して跪いたのかどうか、私は知りません。自決や絞首刑の形で、またはなんらか他の形で責任を取られた方もいたのでしょうし、また、ただ生き恥をさらしただけの方もいたのでしょう。それを議論しようとも思いません。いずれにせよ、最終的に全責任を取られたのは、本来全く無責任の昭和天皇陛下であることだけは確かです。

---以下、水間氏のメール---

「パール祭り」と麻生太郎首相

5月28日までの集計が、今から楽しみです。1ヶ月間、総合ベスト10位内を維持できれば、各専門別ランキングは一位になることでしょう。

現在、アマゾンの政治・法律・国際法・歴史・地理部門で一位になっており、新書・文庫部門では二位になっています。

新宿紀伊國屋本店週間ランキングは、総合八位になりました。

この数字は、出版不況下のいま、「事件」でありニュースなのです。

この事実は、マスコミが「国籍法改悪」「女性差別撤廃選択議定書批准問題」など、国民に知らせるべき、国家の根幹を揺るがす重要法案を黙殺していることへの不満が、爆発した結果と捉えることも出来るのです。マスコミの中でも記事にする可能性がある、スポーツ紙や週刊誌に情報を提供してあげることも、有効かも知れません。

麻生首相が「パール祭り」に、なにか、ご縁があるか、想いをめぐらして見ると、殆ど知られていないことがありました。

それは、A項(級)戦犯として処刑さた七士の墓が、熱海伊豆山の興亜観音にあります。その墓にある七士の遺骨は、GHQが七士の遺骨をどこかに持ち去ったため、残った「灰」を捨てた骨捨場の穴から、かき集められたものなのです。

その「遺骨」の存在は、主権回復する日まで、極少数の関係者以外に知らされていませんでした。

その墓碑名「七士の碑」を揮毫されたのが、麻生首相の祖父吉田茂元首相だったのです。当時、足が衰えていた故吉田茂元首相は、「七士の碑」の除幕式に列席するため、伊豆山の急峻な参道を、籠に担がれ駆けつけられたそうです。

興亜観音は、戦前、松井石根大将のたっての願いで、南京攻略戦で戦死した、日中両戦死者の血に染まった、激戦地の土を取り寄せて造った観音像です。それゆえ、興亜観音は日中両戦死者の安寧を祈っています。

その興亜観音慰霊祭は、毎年5月18日に開催さています。慰霊祭の日に参加したくてもできない方には、その日に、慰霊の気持ちを「パール判事の日本無罪論」に、託せれるのではないかと存じます。著者の故田中正明先生は、ご存命中「興亜観音を守る会」の会長を務められていたのです。

合掌

パール祭り

・【朝日とは違うんです】マスコミが黙殺する「パール祭」とは
 
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ジャーナリスト・近現代史研究家・水間政憲

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2009年5月 3日 (日)

品川寺にぜひご参拝を

昨日、所用でかみさんと品川にでかけたついでに、一緒に品川寺(ほんせんじ)に参りました。東京裁判殉難者の梵鐘の話をしたら、戦争裁判で殺された人たちは、当時一生懸命日本のためにと思って頑張った方々。慰霊しているこの寺は素晴らしい、もっと知られるべきだ。という趣旨のことを申しておりました。

身内褒めで恐縮ですが、実に真っ当な意見。そこで、過去記事を焼き直して掲載することにしました。ぜひ、多くの方に品川寺にいらしていただければ、と思います。

Jizou品川寺(ほんせんじ)は、京急線青物横丁駅から徒歩5分くらい、旧東海道沿い、品川宿にあります(地図)。入り口にはデーンと大仏さま風のお地蔵様(江戸六地蔵第一番)が鎮座なさっています。

7fukujin_1中にはいると樹齢300年の大銀杏や七福神があり、なかなか楽しい。大きな梵鐘はなんと洋行帰り!そういえば駅前の通りは「ジュネーブ平和通り」です。洋行帰りとはなんのことかって?品川寺のホームページの「大梵鐘」をご覧下さい。

Kane観光気分はここまで。お参りして、靖國神社会報を見て来た旨を伝えたら、戦争裁判殉国者「仁慈(いつくし)の鐘」(写真左)と出陣学徒「まことの鐘」(写真右)を紹介してくれました。こちらでは、毎年12月22日(命日…絞首刑の日…の前日)に昭和殉難者7名(いわゆるA級戦犯)の法要を行うそうです。鐘を撞かせて貰い、合掌してきました。

Honsenji_kane_namae 鐘をよく見ると、7人の名前が書かれていますが、気づく人もいません。(鐘の向かって右側(写真が見辛いのは勘弁、クリックで拡大)、広田弘毅と武藤章の名が読めます。後ろと左には、松井石根、東條英機、土肥原賢二、木村兵太郎、板垣征四郎)

品川寺と言えば、ローマ法王・パウロ六世に「日本人殉難者のためにミサを」と訴えた仲田順和師のお寺です。そして、ヨハネ・パウロ2世がミサを行いました。そのときのヨハネパウロ2世のお言葉「日本から来た仏教徒の訪問者たちを、特別なやり方で、あたたかく歓迎します。あなた方に平和の祝福を希望します。われわれ自身についての真実の受容と、われわれの生存の目的がその内部に存する平和を。すべての人間の威厳に対する尊重が存する他人との平和を。神がその恩恵をあなた方にお示しにならんことを、祈ります。」

この話はぜひ「反日ワクチン」さんの「昭和殉難者のミサ」、および、「一燈照隅」さんの「ローマ法王が所謂ABC級戦犯を慰霊」をご覧下さい。

また、「靖國」(靖國神社崇敬会の会報)収録の名越二荒之助氏『「昭和殉難者」に捧げる鎮魂のミサ-宗教や勝敗を超えるローマ法王―』もぜひご覧下さい。

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2008年9月30日 (火)

おはよう日本で反日放送とは…

今朝のNHK「おはよう日本」は酷かった…鬱病がぶり返しそうです。ニイハオ中共サマ、とでも名前を変えたらいい。

画像も何もないのは勘弁。戦争体験を語り継ぐ、という「ニュース」。戦争中捕虜を銃剣で突き殺した話を、今回初めて話したというじいさまが出てきました。また、硫黄島でみなが死んでいく中で投降した体験を初めて話した、という人もいました。

硫黄島はほぼ玉砕ですから、生き残った人は話せなかったでしょうね。生き恥と言われること間違いなし。話し始められたことは、結構なことです。敗戦の悲惨さを語り継ぐこと、大切です。

ただ、銃剣でどうのこうの、というのはいかにもインチキ臭いですね。嘘を言っていないとすれば、シナ軍の捕虜になって洗脳されたこと、ありあり。いかにもシナ的な虐殺方法。

こういう反日番組、朝の時計代わりに見ている報道番組でながながと時間を取るニュースではありません。迷惑千万。子供の教育上よろしくない。南京大虐殺など一切なかった、と語る元日本軍兵士の話は絶対に放映しないのに、こんな洗脳話だけは放送する。放送法違反も甚だしい。

NHKは報道番組では「報道」せよ!

以下、のんべの戦争に対する思い。

のんべは強く平和を希求する者です。誰がなんと言おうと、戦争は絶対悪。うまい酒が飲めなくなる戦争なんぞ真っ平御免。しかし、そう思うからこそ、日本を守るために亡くなった方々に敬意を表し、二度と戦争を起こさせないことを誓う。日本を守る自衛隊の方々に敬意を表する。繰り返します、のんべは平和主義者です。

「軍備は放棄すべき」なんて言う輩、攻められたら逃げるなどと言う輩は、敵が戦争を引き起こすことを嫌がらない輩です。エセ平和です。そして、逆説的な言い方ですが、日本国憲法前文と第九条は戦争を賛美しています。

大東亜戦争中、多くの日本人が亡くなりました。しかし、民間人で「戦争による犠牲者」はわずかなものと思います。多くの人は「アメリカ・ソ連・シナによる大虐殺」で亡くなりました。国際法違反の空襲、原爆、通州事件、満州や千島樺太への侵略は、戦争より遙かに悪質なものです。

詭弁ではありません。今、中共が東トルキスタンやチベット、そして法輪功の人たちの大虐殺を行っていること、戦争とは呼ばないでしょう。戦争より遙かに悪質なこと、言うまでもありません。

日本を守れず敵に日本人を虐殺させ日本国土を蹂躙させたこと、それが大東亜戦争の最大のあやまちでした。

あやまちはくりかえしません。のんべも、そう誓います。

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2008年9月20日 (土)

横浜市戦没者慰霊塔に参拝

Yokohama_ireitou 少し前、三ツ沢公園の横浜市戦没者慰霊塔にお参りしてきました。横浜から歩くと坂が結構きつい、さすが途中の地名が「軽井沢」だけのことはあります。

慰霊塔は二本並び立っています。
「左の塔は、先の大戦ではらった大きな犠牲と破壊を表し、右の塔は、新生日本が将来にむかって発展する姿を表しています」ということです。

Yokohama_ireitou2慰霊塔合祀者数は西南戦争から第二次世界大戦までの21,898柱です。

本来、この場所は「神奈川県護国神社」になるはずでした。ところが敗戦少し前、横浜大空襲により全焼したそうです。そして昭和28年、横浜市民がお金を出し合って慰霊塔を建てたそうです。

戦死者のみなさまに合掌。でも、やはり無宗教はつらい、護国神社になってほしかったですね。都道府県で、護国神社がないのは(靖國のある東京都を除けば確か)神奈川県だけです。

慰霊塔のわきに人がいましたが、参拝者ではなくみな犬を散歩に連れてきている人たち。なんだかなあ…

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2008年9月 8日 (月)

石原閣下は魂をシナに売ったか?

【日本よ】石原慎太郎 靖国再考』(産経)

『東条英機が作った「戦陣訓」の中の「生きて虜囚の辱めを受けず」…あの戦争の真の責任者たちの糾明を行ってこなかったのだろうか。…天皇陛下も含めてせめてすべての遺族、親族が晴れ晴れ参拝が出来るためにも、遺族を代表して行われた古賀氏の発言はすみやか果断に実現されるべきに違いない。』

今朝、週明けの寝ぼけた頭で読んだ産経新聞、久しぶりに激怒どころではない酷い記事が一面に載っていました。これが朝日ル新聞に古賀誠議員が書いているのなら笑うだけですけど…

石原慎太郎閣下、なんですか、この発言は。東條英機は、戦争責任があるから、靖国の本殿から追放されるべき、なのですか。

無謀な戦争を指導した東條英機が悪い。父は、主人は、東條英機に殺されたようなものだ。そう思いたい遺族の方の気持ちはよくわかります。でも…

果たしてそうだったのでしょうか。大東亜戦争、東條英機が止めろと言えば戦わずに済んだものでしょうか。進め一億火の玉だ、と騙されて思っていたのでしょうか。

そういう言い方は、当時の日本人すべてに対して大変失礼な言い方のように思えます。アメリカが(連中から見て生意気千万な)日本をたたきつぶすために行った戦争でしょう。東京裁判で、弁護人ベン・ブルース・ブレイクニーは、「もし、ハル・ノートのような物を突きつけられたら、ルクセンブルグのような小国も武器を取り、アメリカと戦っただろう。」の言葉がすべてを物語っています。

特定個人に「戦争責任」とやら押しつけて済まそうという、その心根は戦争犯罪人をでっち上げた東京裁判史観そのものです。遺族の方が個人的に思うのならともかく、仮にも指導者たらんとする一流の政治家が言うべき言葉ではありません。

北京五輪の開会式に喜んで出る輩、所詮はこんなものでしょうか。それともお年で呆けたのでしょうか。呆けていないとしたら、私が石原氏を強く支持していたこと、不明を恥じます。(なお、過去の都知事選で、他の候補に比べて石原氏のほうがはるかにまし、ということは間違いなく、彼に投票したことは悔いていません)

多くの諸先輩方の命が失われた戦争を、讃美するつもりなど毛頭ありません。結果論ですが、負けて悲惨なことになった戦争であること、間違いありません。

しかし、「A級戦犯」とやらになり、で曲がりなりにも責任を取って処刑された東條英機氏などに責任を押しつけて、自分は関係ないよ、などとは、日本人の風上にも置けぬ卑怯者。いわゆる「A級戦犯」を、責任を取らず逃げ果せた辻政信なる人物と一緒にしているのは、明らかにごまかし。

「国際的な犯罪としては、どこまでも無罪を主張する。力の前に屈した。自分としては、国内的な責任を負うて、満足して刑場に行く。ただ、同僚に責任を及ぼしたこと、下級者にまで刑の及びたることは、実に残念である。天皇陛下および国民に対して深くお詫びする。」

東條英機閣下の言葉とされています。天皇陛下を守って従容と死についた者を、貶めることが「戦争責任」を問うことですか。

連合国側から見た「戦争責任」は、間違いなく昭和天皇にあります。天皇とは日本そのものですから、つまり、日本人すべてが戦争責任者。連合国の言いたかったのは畢竟そういうことですが、それでは占領統治がうまくいかない、という打算のもと、連中としては東京裁判でお茶を濁したつもりでしょう。いわゆる「分祀」、つまり「いわゆる「A級戦犯」の靖國神社からの追放」は、その追認そのものです。

PS.戦陣訓は、日清戦争の教訓から作られたものと言われています。清の捕虜になると、多くの場合八つ裂きなどの目を覆うような殺され方をしました。それならまだ自死の方がよほどまし、ということです。鬼畜米英と言われていた当時、米英も同じことをやるのでは、と思ったとしてもそれは当然です。

米英は捕虜の扱いを国際法に則って行っている?そんなこと嘘八百なのは先日のイラク戦争でも証明されています。

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2008年8月30日 (土)

山梨縣護國神社に参拝しました

Yamanashi_gokokujinja_1 先日、大雨の日(最近ずっと大雨、北京の消雨弾の影響でしょうか?)、山梨縣護國神社に参拝しました。ガソリン高騰の折り、相模湖からひたすら甲州街道を走って…高速の方が楽なのは明らかですが、大月からは下道でも案外楽です。

Yamanashi_gokokujinja_2 甲府駅から北へ向かい、武田神社の手前を右折したところ(地図)にある、まことに静かな神社。大雨のせいか人影も見あたりません。心静かに諸先輩方への感謝を込めて参拝。

Yamanashi_gokokujinja_4 多くの碑が建てられています。これはそのひとつ、硫黄島戦没者の慰霊碑です。硫黄島の激戦で多くの方々が水に苦しんだことはみなさまご存じの通り、この碑にも水が供えられていました。合掌。

Yamanashi_gokokujinja_3 自衛隊殉職者を祀った摂社・山梨宮もあります。靖國神社では自衛官殉職者は祀られませんが、諸国の護国神社では祀っているところも多いようですね。ぜひ靖國にも、殉職自衛官を祀る摂社を創ってほしいと思います。(摂社とは/wiki

甲府においでの際は、ぜひご参拝を。

Takeda_jinja 当然、帰りには武田神社にもお参りしました(公式HP)。祭神は信玄公、躑躅ヶ崎館跡に大正時代に創建されました。いつの時代でも、信玄公は甲斐の人気No.1です。のんべも武田節は大好き。

Asama_jinja さらに、甲州街道、一宮御坂ICと勝沼ICの間にある(地図)一宮浅間神社(旧・国弊中社)にも参拝、祭神は木の花さくや媛。

大雨の中、甲斐を代表する(と、のんべが思う)3社にお参りしてまことにいい気分でした。

なお、山梨県には他に都留市に護国神社(地図)がありますので、そちらにもどうぞ。

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2008年8月15日 (金)

敗戦の日

今日は敗戦の日、鎮魂の日。東京は今年一番の暑さです。

20080815_1 まず朝、靖國神社に参拝しました。可能であれば、まだ静かなうちに参拝しておくに限ります。朝寝坊(苦笑)のんべも少し早起き。英霊の皆様、日本をお守り下さい。

20080815_2 昼、再び靖國方面へ。暑さはいよいよ本番です。神保町あたりで、サヨクがデモ行進してました。暑いのにご苦労さんなことで。石原慎太郎の参拝に反対、政治利用をするな、ですか。こういうデモこそ「靖國の政治利用」なのに(笑)それに対し街宣右翼がお待ちかね。警察も大変です。

20080815_3_2 どっちもどっち、今日は半旗を揚げる鎮魂の日なんだから静かにしてくれ…

九段下駅周辺も騒然としています。今度は保守系ブログの方などもいました。河野談話反対、外国人参政権反対、台湾人国籍表記の更正など。静かに署名運動などなさるのは反対しません。しかし一部に、拡声器を使って主張なさる方がいたのはちょっと残念。繰り返しますが、今日だけは静かに鎮魂。そう思うのは私だけでしょうか。

20080815_4 靖國は今朝参拝したので、今度は千鳥ヶ淵戦没者墓苑に参拝。こちらも人は少なくないけど、静か。国立の「無名戦没者の墓」であり、身元が特定できない多くの遺骨が納められています。合掌。

20080815_5_2 再び靖國へ。多分年間で一番参拝者の多い日なので、大混雑。(写真右端は報道陣)

列の横へ抜けて鎮霊社へ…と思ったら、入り口が閉鎖されていました。鎮霊社は世界の戦没者すべてが祭神の鎮魂の社。仕方がないので、閉ざされた入り口手前から礼。

参道ではフクダ首相の参拝を求める署名をしました。無駄だと思うけど、最低限の主張はしないと。本当は、フクダ首相の退陣を求める署名をしたかったのですけど(笑)なお、今日は閣僚では太田氏、保岡氏、野田氏、他に小泉元首相、安倍前首相などが参拝なさったそうですね。安倍前首相は、首相として一度も参拝しなかったことを、英霊にお詫びしたのでしょう。

1時過ぎたところで今度は北の丸公園へ。例年のように戦没者追悼式が武道館で行われたので、1時までは一般人は田安門からは入れません。

追悼式ではまた余計な挨拶があったようで。鎮魂の場で、不戦の誓いを言うのはわかりますが、「アジアの諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えました(フクダ首相)」「歴史に背景を持つ未解決の問題がとげとなり、摩擦…政府が特定の宗教によらない追悼施設の設置(江の傭兵)」などというのは理解不能です。戦没者の鎮魂の場で他国のご機嫌を取る国。どういう国なんだ…

Yayoi_ireidou_1_2 開放された田安門から入って、弥生慰霊堂にお参り。初老の夫婦が、この入り口を見てなんだろう?という表情をしているので、ここは警視庁と東京消防庁などの殉職者を祀る無宗教の施設ですが昔は弥生神社でした、と説明しました。そりゃあ、そんなこと知らないよなあ…ぜひ、入り口に説明の看板を立ててほしいものです。

暑い日でした。鎮魂の日には、これくらい暑いのがお似合いなのかも知れません。

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