平和への道

2011年8月18日 (木)

8月15日には終戦せず

過去記事ですが、忘れぬように一部修正して再掲します。

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今日は8月18日。千島列島の最北、占守島で開戦した日です。

8月14日にポツダム宣言を受諾し、15日に玉音放送で国民に発表。しかし、その後もソ連は国際法違反の侵略を続けていました。

ソ連は日ソ不可侵条約が有効中の8月9日、突如日本に宣戦布告し、同日、満州と南樺太に侵攻。

満州の関東軍は総崩れになり満州開拓民に凄まじい悲劇が起こりました。軍隊が崩壊したところに敵が攻めてきたらどうなるか…殺戮、強姦、略奪、集団自決…そして子供が残されて今に至るまで「中国残留孤児」の問題は解決していません。

9ninnno_otome_no_hi1 樺太の日本軍は抵抗しました。しかし、当然8月15日には抵抗を中止。ソ連軍はそれでも攻撃を続行、停戦の軍使も射殺。国際法違反どころではない無茶苦茶です。日本軍はそこから立て直すことはできません。樺太は日本固有の領土、そこでも悲劇が起きたわけです。8月20日には、電話を死守した真岡郵便局の交換手9人の乙女は、「皆さん これが最後です さようなら さようなら」のメッセージを最後に集団自決しました。

やはり日本固有の領土である千島列島では日本軍の抵抗がすさまじかった。これは8月15日以降に攻めてこられたので途中で停戦などと中途半端にならずに済んだためかも知れません。日本軍が戦死者の山を築きながらも抵抗を続けたため、居留民はなんとか避難することができました。

114そしてその後も200万人ものいわゆる「シベリア抑留」、国家によるおそるべき拉致は続きました。日本固有の領土である南樺太と千島列島、そして北北海道(北方四島)も不法占拠したまま。

8月15日は確かに敗戦の日。しかし、戦争は終わりませんでした。

アメリカによる原爆投下は、人類として二度と繰り返してはならぬ愚行です。ソ連の火事場強盗はそれ以上の悪行、決して忘れてはなりません。

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2011年8月15日 (月)

8月15日、靖国にて

今日、8月15日は、日本の大忌日。黙祷。

昼休み、靖国神社に行ってきました。正確には、行くはずでした。が…

九段下駅から神社に向かう途中、理科大前ですが、多くの団体(反サヨク側)がビラ配りしてました。私が応援している団体もあります。でも、歩行者の邪魔。

街宣車は特にうるさい。最悪。

多くの警察の方々、鎧をつけたものものしい恰好で、さぞや暑かったことでしょう。本当にお疲れ様でした。

普通の参拝者だけでも十分に混んでいる日。私も遺族のはしくれなんで、参拝したい。もちろん、この日に靖国「神社」としては特別の日ではないことはわかってますが、なんと言っても大忌日ですから。でも、そこの歩道が狭くなりすぎていてなかなか動けず、結局昼休みで帰れないのが確実だったんで大鳥居にて遙拝して帰社するハメになりました。まあ、そんなことだろうとは思ってましたが。

とにかく、大忌日には騒がないでほしい。静かに参拝させてほしい。思想の左右には関係ありません。

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2011年8月 9日 (火)

ソ連参戦の日

星勇さまに本記事に対して貴重なコメントを頂きました、ありがとうございます。そこで過去記事ですが、再掲いたします。

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ソ連参戦の日。日本国民の恨み籠もりし日です。

不可侵条約を一方的に破棄した世界史上まれに見る暴挙。そして抑留者は最大で200万人、死亡者も37万人を超えているとも言われています。

ソ連に国際法はありません。ロシアも然り。今の状態で北方領土を返すことなどあり得ないでしょう。

114 北方領土が返ってくる日は、再びロシアが崩壊に瀕する時だけでしょう。それは、日本とシナがロシア包囲網を敷いたときかも知れません。

となれば、日本が採るべき道は険しい道。つまり、中共と手を組むなどできませんから、中共政権を倒そうとするシナの民主化勢力やチベット等の被迫害民族を陰で協力に支援すること。中共倒れし後に出来るかも知れないシナ諸国と組む道を探るよりないのでは。

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ナガサキ原爆の日

ナガサキ原爆の日。合掌

国際法違反も甚だしいナガサキ原爆。決して許すことはできません。アメリカ史上消すことのできない汚点です。

毎回同じことで申し訳ありませんが、二度と原爆を落とさせない。我々の誓いは、それだけ。

今のところ、その誓いはアメリカの核で守られています。日本人としては、恥ずべきことです。日本は、自分の国は自分で守る、つまり今より大幅に防衛力を強化すべきこと、言うまでもありません。

もっとも、過去は過去。現在のアメリカ国民には、恨みなぞありません。トモダチ作戦には本当に頭が下がりました。今後も友好国、同盟国であり続けますように。

追記その1
『米国代表が平和祈念式典初参加へ  長崎原爆の日』(福井新聞)
http://www.fukuishimbun.co.jp/nationalnews/CO/main/481143.html

このニュース、見落としていました。素晴らしい歴史の画期ですね。
なお、ズムワルト主席公使は、高校生の頃に日本の某進学校に交換留学でいらしていたそうです。

追記その2
『菅首相、長崎原爆投下日を8月8日と間違える』(読売)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110809-OYT1T00922.htm

いくらなんでもこれはひどい、信じられません。うちでは必ずこの時期になると、8月6日、9日、15日については、子供たちとの会話の話題にします。必ず学校でもしっかり教わりますから、特に教師が日教組だったら「平和教育」で日本が悪いと言い出しますから、骨身に染みついているはず。間違えるなんて、普通日本人としてはあり得ない話です。

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2011年8月 6日 (土)

ヒロシマから66年

8月6日。悪魔の所業、ヒロシマから66年。黙祷。

過ちは繰り返しません。

過ちとは、原爆を落とさせたこと。

大切なのは、二度と原爆は落とさせないこと。

そのためには、どうすればいいのか。憲法9条や非核3+1原則(持たず、作らず、持ち込ませず、それに「議論せず」)でいいのか。

手元の朝日中学生ウィークリーでは「『武力には武力で』は冷戦当時の考え方…東アジアの脅威とされる国も含めて、核のな『非核地帯』をつくり、核の傘から抜け出すことが大事」とありますが、そうできれば一番いいのは明らか。でも、どうやって中共や北朝鮮に非核を求めるのか。まさか「中共のきれいな核は脅威ではない」などと言いますまい。あまりにも非現実的。

冷戦時代の発想だろうが、対案がない以上、「核抑止力」に頼るしかないのは厳然たる事実。即時の核武装はなかなか難しいですから、まずは「持ち込ませず」を撤廃。そこからです。

繰り返します。二度と原爆は落とさせない。それが、過ちは繰り返しません、ということです。

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2010年8月15日 (日)

65年目の敗戦の日

Hanki

65年前の今日、玉音放送が流れました。昭和天皇がポツダム宣言受諾を玉音で国民にお伝えになられたからこそ、敗戦という事実を国民が受け入れ、米英支との戦闘は見事に終結しました。

静かに戦没者に弔意を示し、半旗を掲げましょう。

戦没者への追悼に右も左もありません。こんな日にデモを行う輩はキチガイですから、本来は相手にすべきではありません。勝手にデモさせておけばいい。もちろんデモから外れて靖國へ乱入する輩から靖國を護るため頑張る方々には敬意を表します。

靖國に参拝すべき日でもないと思っています。殆どの英霊は日本の勝利を信じて散華なさった方々です。

大東亜戦争終結ノ詔書の要点を引用しようと思いましたが、全文が既に昭和天皇の大御心の要約、ぜひ全文読んでください。

以下、原文、読み下し文、現代語訳を記載します。

続きを読む "65年目の敗戦の日"

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2010年8月 9日 (月)

ソ連の火事場強盗の日

『日本の批判封じる戦術 「対日戦勝記念日」法が成立』(産経)
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/100726/erp1007260021000-n1.htm

『ロシアの対日戦勝記念日制定 日本政府、抗議せず』(産経)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100726/plc1007261838012-n1.htm

『歪曲の「戦勝」史観を固定化 ロシアの対日戦勝記念日』(産経)
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/100708/erp1007082022007-n1.htm

65年前の今日、とんでもない騙し打ちの火事場泥棒であるソ連参戦。日本人を大量に殺害・拉致し、南樺太と千島列島を強奪したソ連。決して忘れてはなりません。

8月15日に日本はポツダム宣言を受諾したのに、「対日戦勝記念日」は9月2日、つまり8月9日から9月2日の侵略行為を歪曲して正当化するロシア。

もちろん、同じ日にアメリカによる長崎にて非戦闘員を大量虐殺したことも同じく、決して忘れてはならないこと。

以下、過去記事再掲。

ソ連参戦の日。日本国民の恨み籠もりし日です。

不可侵条約を一方的に破棄した世界史上まれに見る暴挙。そして抑留者は最大で200万人、死亡者も37万人を超えているとも言われています。

ソ連に国際法はありません。ロシアも然り。今の状態で北方領土を返すことなどあり得ないでしょう。

114 北方領土が返ってくる日は、再びロシアが崩壊に瀕する時だけでしょう。それは、日本とシナがロシア包囲網を敷いたときかも知れません。

となれば、日本が採るべき道は険しい道。つまり、中共と手を組むなどできませんから、中共政権を倒そうとするシナの民主化勢力やチベット等の被迫害民族を陰で協力に支援すること。中共倒れし後に出来るかも知れないシナ諸国と組む道を探るよりないのでは。

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2010年8月 6日 (金)

再び、広島原爆の日、65回目

『エノラ・ゲイ機長の息子、米大使の広島訪問批判』(朝日)
http://www.asahi.com/international/update/0806/TKY201008060092.html

『機長の息子で米アラバマ州に住むジーン・ティベッツ氏。「原爆投下は正しかったか」と問われ、「我々は正しいことをした。多くの米兵の命が救われたうえ、多くの日本人の命を救った可能性もある」とも述べた。同氏は保守系の米フォックス・ニュースの取材にも応じ、「日本は真珠湾を攻撃した。我々は日本人を虐殺したのではなく、戦争を止めたのだ」とコメント…』

勝者の歴史なんてこんなもんでしょ。「アメリカ人様の犠牲者を1人でも減らすためには野蛮な日本人など数十万人殺してもよい」わけです。これがアメリカの歴史です。オバマ大統領が史上初めて広島(平和祈念式)に大使を派遣したことは重要な一歩ではありますが、まあ、アメリカ一般の認識なんてこんなもん。

だからと言ってアメリカを批判する資格は我々日本人にはない。残念ながら、有効かどうか別にしても一応「アメリカの核の傘」とやらの下にいるわけで、これがいなくなったら生存できないのは明らか。我々の先祖を虐殺した連中に護られていること、こんな残念なことはありません。原爆で亡くなられた方々だけでなく、大東亜戦争で犠牲になられた方々に対して申し訳ない限りです。

二度と核を日本に落とさせない。日本人がそれを自力で実現することこそ、大東亜戦争で亡くなられた日本人すべてへの追悼になります。非核三原則とやらが、追悼になっているのかどうか。もし核をもてないのなら、我が日本は、核を遠隔地から無力化する技術、これを極秘に開発するしかないわけで…ニュートリノビームですかねえ…

以下、過去記事の再掲です。Genbaku_3

広島原爆の日。

被爆して亡くなった多数の方々に、合掌。

人類史上最悪のスピード虐殺。一瞬で十数万の命が失われました。そして、生き残った者に対する苦しめ方も、やはり人類史上最悪です。

二度と原爆を使わせないために平和を守ることが死者への追悼です。どうすればいいか、冷静に考えましょう。

そして、広島原爆の犠牲者を自己のイデオロギーのために貶め、世界から平和を奪った連中に鉄槌を。

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2010年3月10日 (水)

日本の悲しみ、チベットの恨みの日

今年も3月10日になりました。昨年の記事をほぼそのまま再掲します。

その1:東京大空襲

65年前の今日(1945/3/10)、アメリカによる無辜の市民の大虐殺、東京大空襲が行われました。B-29爆弾投下機279機が投下した約38万発、1,700tもの焼夷弾。死者は10万人以上と言われています。

東京大空襲、広島・長崎両原爆。この3日で30万人をはるかに超える大虐殺が行われたのです。民間人の大虐殺であり、明らかに(軍人と文民、軍事目標と民用物を区別せずに行う無差別攻撃の禁止した)戦時国際法違反、戦争犯罪そのものです。

東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイ少将は後年「自分たちが負けていたら、自分は戦犯として裁かれていた」と述べていたそうです。そりゃそうだ。なお後年、航空自衛隊の育成に貢献したとの理由でルメイに勲一等旭日章が授与されています。日本はどういう国なんでしょうね。

さて、両国駅近くの横網(よこあみ)町公園(場所はここ)に行ってみました。ここには「東京都慰霊堂」と「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」があります。なお、ヨコヅナ町公園ではありません、念のため。国技館も横網町、紛らわしい…

Toukyouto_ireidou 「東京都慰霊堂」は関東大震災の犠牲者を慰霊する施設でしたが、東京大空襲による身元不明の遺骨も合祀され、仏式の祭祀が行われています。

Toukyou_daikuushuu_kinennhi_2  「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」は平成13年に建てられたものです。祈念碑上段には生命の象徴である花が植えられ、内部には東京空襲犠牲者名簿(7万余人)が納めてあるそうです。

多数の戦没者に合掌。二度と日本がこのような惨禍に遭わぬように国防の充実を図るべきこと、言うまでもありません。

それなのに民主党は核持込の密約があったなどと騒いで、日本の国防力をさらに落とそうとしています。いちいち核兵器を取り外してから日本に寄港するなんぞ現実離れしている、なんてことは一部の左巻きを除く殆どの日本人には当たり前だったでしょうに。「持込禁止」の飲食店に、ワンカップを持って入っても、鞄から出さなければなら「持込」とは言わないだろうに…

「それは間違いだ、憲法第9条が国を守っているのだ」という声が聞こえてきました。それならぜひ改正して台風や地震、そして津波の放棄も宣言し、その備えも禁止すべきですね(笑)

その2.チベット民族蜂起の日

チベット民族が中国共産党に対する平和的蜂起を行ったのは1959年のこの日。昨年で50周年でした。昨年の記念日にあたってダライ・ラマ法王猊下の声明を、最初の部分のみ転載します。

Tibet_flag 本日は、チベット民族が中国共産党のチベット弾圧に対する平和的蜂起を行なってから50周年にあたります。昨年3月以来、チベット全土で平和的な抗議行動が湧き起こりました。抗議に参加したチベット人のほとんどは、1959年以降に生まれ育ち、自由であった頃のチベットを知らない若い世代でした。彼らが強固な信念に突き動かされてチベット問題のために力を尽くした事実、さらにはそのような信念が親の世代から子の世代へと引き継がれているという事実はじつに威信の問題であり、チベット問題に鋭い関心を寄せてくださっている国際社会にとりましても、勇気の源となるかもしれません。我々は、昨年の危機において命を落とした同胞、拷問を受け、測り知れない苦難に苦しんだ同胞、さらには、チベット問題が始まって以来、苦しみ、命を落としたすべての同胞に敬意を表し、祈りを捧げます。

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2010年2月 7日 (日)

北方領土の日2010

(過去記事の焼き直しですみません)
Takeshima_kihon 2月と8月は北方領土の月。正確には、北方領土返還運動全国強調月間。

2月は北方領土の日(2/7)のある月、8月は北方領土を強奪された月です。

以下、図はすべて内閣府ホームページ資料より引用しました。
(図はクリックで読める大きさになります。)

北方領土をソ連が不法占拠した経過

Hoppouryoudo_1_2  (上記資料より引用)
『ソ連は8月29日までに択捉島、次いでその他の島々へも侵攻し、遅くとも9月5日までに北方領土の占領を完了した。
当時、北方四島に住んでいた日本人は、ソ連兵による略奪や着の身着のままの脱出、シベリアやサハリンでの抑留を余儀なくされ、戦後60年を経た今も、住んでいた土地に帰れない状態である。
歴史上、一度も外国の領土になったことがない我が国固有の領土である北方四島は、このような経緯によってソ連、ロシアに不法に占拠されており、その返還は日本国民の悲願である。』

シュムシュ島(占守島)には8月19日に侵攻、ソ連は1日で占領するつもりが日本軍の頑強な抵抗で死者の数はソ連軍がはるかに上回り、「ソ連の悲しみの日」と言われます。無法に侵攻して反撃されて「悲しみの日」とは勝手な話…
占守島などでの抵抗によって、結局ソ連は北海道侵攻を諦めたわけです。

もし北海道が占領されていたら、樺太や千島で行われた民間人大虐殺が繰り返されたのは確実、このときの日本軍の将兵のみなさまには足を向けて眠れません。その後この将兵のみなさまは大量に拉致されたわけです。

樺太・千島の領有権の歴史

Hoppouryoudo_2Hoppouryoudo_3  この図ですぐわかることは、北方四島が他国の領土になったことは一度もないこと。北方四島が北海道の一部であることは「たとえば東京都が日本領であると同じぐらいに明らかなこと(司馬遼太郎)」です。

それを終戦後に武力による不法占拠とはまさに「敗者に国際法はない」(氷雪の門のセリフ)の世界、ソ連にとっては実に当たり前なのでしょうね。

この内閣府の資料、書いていることはわかりやすく納得できることですので、もっと宣伝すべきだったのに消えてしまうとは何事。月間の存在もあまり知られていません(私が知らないだけ?)

このままでは北方領土が日本固有の領土であることすら忘れ去られてしまいかねません。

9ninnno_otome_no_hi1 例年夏に靖國神社・遊就館で上映される幻の映画「氷雪の門」は、ソ連軍の卑怯で無慈悲な行動により、地獄と化した南樺太の姿が描かれています。

(写真は稚内公園の「九人の乙女の碑」)

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