8月15日には終戦せず
過去記事ですが、忘れぬように一部修正して再掲します。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今日は8月18日。千島列島の最北、占守島で開戦した日です。
8月14日にポツダム宣言を受諾し、15日に玉音放送で国民に発表。しかし、その後もソ連は国際法違反の侵略を続けていました。
ソ連は日ソ不可侵条約が有効中の8月9日、突如日本に宣戦布告し、同日、満州と南樺太に侵攻。
満州の関東軍は総崩れになり満州開拓民に凄まじい悲劇が起こりました。軍隊が崩壊したところに敵が攻めてきたらどうなるか…殺戮、強姦、略奪、集団自決…そして子供が残されて今に至るまで「中国残留孤児」の問題は解決していません。
樺太の日本軍は抵抗しました。しかし、当然8月15日には抵抗を中止。ソ連軍はそれでも攻撃を続行、停戦の軍使も射殺。国際法違反どころではない無茶苦茶です。日本軍はそこから立て直すことはできません。樺太は日本固有の領土、そこでも悲劇が起きたわけです。8月20日には、電話を死守した真岡郵便局の交換手9人の乙女は、「皆さん これが最後です さようなら さようなら」のメッセージを最後に集団自決しました。
やはり日本固有の領土である千島列島では日本軍の抵抗がすさまじかった。これは8月15日以降に攻めてこられたので途中で停戦などと中途半端にならずに済んだためかも知れません。日本軍が戦死者の山を築きながらも抵抗を続けたため、居留民はなんとか避難することができました。
そしてその後も200万人ものいわゆる「シベリア抑留」、国家によるおそるべき拉致は続きました。日本固有の領土である南樺太と千島列島、そして北北海道(北方四島)も不法占拠したまま。
8月15日は確かに敗戦の日。しかし、戦争は終わりませんでした。
アメリカによる原爆投下は、人類として二度と繰り返してはならぬ愚行です。ソ連の火事場強盗はそれ以上の悪行、決して忘れてはなりません。
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (1)
最近のコメント