大切な子供たち

2009年12月 6日 (日)

手まり唄

「♪日露戦争始まった」と、教えてもいないのに子供が唄っていてびっくりしました。同級生から教わったそうですが、ひいおばあちゃん直伝の唄らしい。

この手まり唄、永年歌い継がれていくうちに人によって微妙に違う唄になっていますので、子供が唄っていたものを記録しておきます。ですので、「五万の兵を」などと直していません。

♪一列らんぱん破裂して
 日露戦争はじまった
 さんざん逃げるはロシアの兵
 死んでも尽くすは日本の兵
 五万の兵ほう引き連れて
 六人残してみなごろし
 七月八日の戦いは
 ハルヒンまでも攻め寄せて
 クロハタギンの旗を取り
 東郷大将万々歳

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2009年4月29日 (水)

すべては程度問題

熊本体罰訴訟、原告が逆転敗訴…最高裁「教育的指導の範囲」』(読売)

『近藤崇晴裁判長は「行為は教育的指導の範囲を逸脱しておらず、体罰ではない」と述べ、体罰を認定して市に賠償を命じた1、2審判決を破棄し、原告の男児の請求を棄却した』

体罰は全部だめ、というのが法律ですが、それで教育が成り立たないことは、現状の学校を見れば明らかでしょう。

と言っても、全面的に体罰がいいか、と言えばそれもダメに決まっています。

こんなことは程度問題、それが常識でしょう。体罰に限った話ではありません。社会生活を規律する法律の前提には、常識という名の法の精神があります。日本語で「いいかげん」「ほどほど」「お互い様」というような言葉は常に前提のはず。でも、最近の日本はだめですねえ。

戦後教育の「精華」とも言えます。自分の権利ばかり教われば、そりゃあしゃあないわ。その挙げ句、この問題では教師が悲惨な目に遭っているのは、まさに「親の因果が子に報い」ならぬ「先輩の因果が後輩に報い」なのですが、その現状はやっぱり酷い。でも、どうすればいいのか…

弊ブログをご覧になる方には百もご承知のことばかりでしょうから、まさに釈迦に説法。まあ、のんべがぼやいておるわい、と寛容なお心でお付き合いくだされば幸い。そういう記事ばかり、と突っ込まれると…実際そうだからなあ…(苦笑)

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2009年2月22日 (日)

今日の産経社説はGJ

子供の権利 わがまま許す条例は疑問』(産経)

『家庭のしつけや学校の指導を難しくするような条例づくりが全国に広がっている。広島市でも子供の権利条例の制定作業を進めている。こうした条例は権利をはき違えたり、わがままを許す風潮を助長している。慎重に検討すべきである。(以下リンク先をご覧ください)』

産経新聞、最近なんだか毎日新聞と変わらないような記事を平気で書いていますが、今日は珍しく素敵な社説です。

余計なコメントは書きませんので、ぜひ読んでみてください。

なお、今日は竹島の日について取り上げて欲しかったという思いもあります。しかも、先程読んだ限り社説だけでなく他の欄にも記載がない(見落としていたらごめんなさい)のはいささかどうかと…

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2009年1月18日 (日)

児童養護施設による拉致被害

“虐待”の娘連れ去り手配の母、オランダで親子同居』(読売)

読売新聞GJ!、今まで隠されてきた拉致問題を表に出してくれました。

この母親、「虐待」とやらで「児童養護」施設に子供を拉致され、取り返したものの今度は「児童養護」施設に騙された裁判所に子供を引き離す命令を出され、オランダに逃げざる得なかったものでしょうね。酷い話です。

児童養護施設が本来の仕事をしていればいいのですけどね。残念ながらそうではないところもあるようです。まじめにしているところも当然あるのでしょうが。

聞くところによれば、本当に困った子供は受け入れないそうです。施設のサヨク連中、そんな面倒な子供の世話なんて真っ平、ということらしい。そして、物わかりの良さそうな子供を親から引き離して、自分等の食い扶持にするらしい。ぜひ、のまりんさん小菅清さんの記事をご覧ください。

よくサヨクの連中は子供の「自己決定権」なんて言います。のんべはそんな無茶苦茶な話あるか、小さな子供に親の愛を独占する当然の権利はあっても自己決定権だのなんだのはあるはずがないと思ってます。でも、こういう「母親と一緒にいたい、施設には居たくない」という子供の「自己決定権」は無視する、いつものご都合主義。要するに、サヨク連中は、子供を親から離して自分等の奴隷にしたいだけです。

この母娘は、まだ外国に逃げることができて不幸中の幸いでした。でも、このような悲劇はまだまだ日本で繰り返されているようです。北朝鮮の工作員並の連中が税金で養われているという恐ろしい現実、許してはなりません。

追記:ぜひのまりんさんの最新記事をご覧ください。

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2008年12月14日 (日)

子供に罪がなくても親には罪がある

無保険救済法案が衆院で可決  中学生以下に短期保険証交付』(47NEWS)

こういうニュースを聞くと、国籍法改悪、民法改正要求訴訟(離婚300日規定)、給食費未納、赤ちゃんポストなどなどの話を思い出してしまいます。

どれもこれも見事に共通なのは「子どもには罪がない」というサヨクの論理です。「子ども」ですよ、「子供」じゃないですよ。

確かに子供には罪がありません。でも、例えば今回の国籍法改悪は、子供を作りっぱなしで放置した父親が悪いのに、その責任を国家に押しつけようというもの。民法の離婚300日規定適用も赤ちゃんポストもその原因は、無責任でふしだらな親。無保険も給食費未納も払わないのが悪い。すべては親の責任です。

子供に罪はない、という言葉の裏には、責任はすべて親が取る、という言葉が隠れています。でも、責任を取れないパッパラパーは昔からいるもんで、その場合は「親の因果が子に報い」ます。今は「親の無責任が国家に報い」となるわけです。

「子どもがかわいそう」という論理をすべてに優先させてしまうのは、無責任に生きることの奨励です。言い換えれば、まじめに生きている庶民は税金を、ふしだらなパッパラパー連中へまわすことを、正当化するものです。

それどころか、結局子供のためになりません。子供がこのことを知ったら「何やってもいいんだな、自分は常に正しくて悪いのは社会なんだな、結局誰かが助けてくれるんだな」となるでしょう。パッパラパーの再生産です。

こんなことをやっていては日本も社会も家族も崩壊します。既にだいぶ崩壊していますね。ああ、嫌だイヤだ。

パッパラパーにはきっちり責任取らせましょう。保険料も給食費も税金並に取立てないといけません。どうしょうもない場合に限り救済措置を講ずればいい。また、認知する場合は養育義務、払えない場合は債務不履行で牢屋行き。不義密通は天下の御法度、姦夫姦婦は重ねて四つ。だんだん過激になってきました(笑)

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2008年7月22日 (火)

児童相談所による家族破壊を許すな

Megumi1_2 さる児童相談所で、なにやら家族破壊行為が行われているようです。

児童相談所がこうと決めたら、親の意志も子供の意志も無視して、子供を児童相談所に放り込もうとしている。まるで拉致のよう。

この写真、言うまでもなく北朝鮮に拉致されためぐみさん。ある意味、似たようなことが、日本の公的機関によって行われようとしている…らしい。

ウソでしょ?なにふざけたこと言っているんだ?酔っぱらっているのか?そんな声が聞こえるようですが…

いえ、のんべはまじめです。酔っぱらっているのは確かだけど…冗談?はさておき、まずはのまりんさんこの記事「川崎市南部児童相談所が加藤家に対して行った不当なる虐待」をご覧ください。(追記:追加記事「出頭命令!?川崎市南部児相 権力濫用 ファシズム丸出し」もご参照を)

PS.めぐみさんのアニメ、ダウンロードはこちら

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2008年5月 5日 (月)

こどもの日

Hinomaru 今日は「こどもの日」、言わずと知れた端午の節供です。

こどもは「子供」と書きたいけど、祝日法の条文に従いました。法律上この日の意義は

「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」

なので、真の「母の日」なのですが、殆ど知られていません。

端午の節供とは、月の端(はし)、つまり月初の午の日で、「午」は「五」に通じることから、数字が重なる5月5日を呼ぶようになったそうです。

Shobu_koukyo 菖蒲の節供は旧暦の季節感。菖蒲→尚武で武家の男の子の節供となったのはご存じの通りです。

Koinobori1 季節感は旧暦のほうがしっくり来るものが多いのですが、鯉のぼりばかりは、雨の旧暦5月より青空の新暦5月のほうが気分いいですね。

Koinoborizenpukuji (善福寺池に渡された鯉のぼり…無風時、鯉目刺し…(笑))

鯉のぼり
作詞・作曲 不詳

甍の波と雲の波  (いらかのなみと くものなみ)
重なる波の中空を (かさなるなみの なかぞらを)
橘かおる朝風に  
(たちばなかおる あさかぜに)
高く泳ぐや 鯉のぼり  (たかくおよぐや こいのぼり)

開ける広き其の口に  (ひらけるひろき そのくちに)
船をも呑まん様見えて  
(ふねをものまん さまみえて)
ゆたかに振う尾鰭には  
(ゆたかにふるう おびれには)
物に動ぜぬ姿あり  
(ものにどうぜぬ すがたあり)

百瀬の滝を登りなば  (ももせのたきを のぼりなば)
忽ち龍になりぬべき  
(たちまちりゅうに なりぬべき)
わが身に似よや男子と  
(わがみにによや おのこごと)
空に躍るや 鯉のぼり  
(そらにおどるや こいのぼり)

背くらべ(せいくらべ)
作詞:海野厚 作曲:中山晋平

柱のきずは おととしの
五月五日の 背くらべ
粽(ちまき)たべたべ 兄さんが
計ってくれた 背のたけ
きのうくらべりゃ 何(なん)のこと
やっと羽織の 紐(ひも)のたけ

柱に凭(もた)れりゃ すぐ見える
遠いお山も 背くらべ
雲の上まで 顔だして
てんでに背伸(せのび) していても
雪の帽子を ぬいでさえ
一はやっぱり 富士の山

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2008年3月 3日 (月)

ひなまつり

Ohinasama 東京では新暦で上巳の節供、ひなまつり。桃の節句というよりは梅の節供(笑)ですが、ハウスものを買ってきました。

男雛様、女雛様、二人並んでお内裏様。♪お内裏様とお雛様、というのは誤用ですが今はこの方が当たり前です。内裏とは御所、つまり両陛下の雛形が女の子の成長を見守っていらっしゃいます、お雛様は大切に扱いましょう。3月3日過ぎたらなるべく早く片付けないと嫁き遅れる、というのはWIKIによれば昭和になってからできた迷信のようです。

のんべ家のお雛様は立雛親王飾りですが、段飾りではお内裏様の下は「三人官女」「五人囃子」の順、位人臣を極めた左右大臣より上位。なぜでしょうか。

これは三島先生(宇摩説)におまかせ。この記事より引用します。

『お雛様は、簡単に言うと、お雛様は、天照大神と、スサノオの話を飾りにしたものだ。三人官女、五人囃子が居る。

 三人官女は、天照大神が、スサノオに預けた子供達であり、宗像の三女神である。スサノオが大神に渡した五人の子供が、五人囃子である。詳しく解けば、古代の神話と同じ伝承が形に成ったと判る。』

なるほど、これなら納得です。

古事記のざっくりした話の展開だけ、のんべが紹介します。

「お、追放されたスサノオが攻め上って来る、気をつけろ」

アマテラス様が慌てて武装しました。スサノオ様がいらしたところ、戦意を感じません。

「姉上、一目お会いしたかったのです。他意はございません。ウケヒをしましょう」

まずアマテラス様はスサノオ様の剣を受け取り、噛み砕いて三柱の女神様をお産みになりました。続いてスサノオ様はアマテラス様の勾玉を受け取り、噛み砕いて五柱の男神様をお産みになりました。

「それぞれの道具の持ち主が親だ」

アマテラス様は宣言なさったので、三柱の女神様はスサノオ様の娘、五柱の男神はアマテラス様の息子となりました。

こんな感じです。でもなんだかよくわからない話ですね。ぜひ三島先生の解釈をご覧下さい。こちらのページなどぜひどうぞ。

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2007年11月17日 (土)

牛乳+ご飯、みそ汁、魚が日本の食文化?!

給食で「国の基準」に反旗、足立区が独自献立作りへ』(読売)

この足立区の試み、強く支持します。

給食には毎食必ず牛乳を付けなければならないそうです。全然知りませんでした。酷い規制です。子供の給食献立表を見たらその通りでした。

米飯給食(古い言葉?)が当たり前になった今、子供達に食べさせるべきは、何より和食のはず。ご飯、みそ汁、魚、野菜という和食の基本の給食を行ってそこに牛乳…これで残さず食べろ、というのは無茶、味覚破壊もいいところ。食べ残しが出るのも当たり前…

この食品構成モデル、戦後の欠食児童世代の名残にしか思えません。文科省のお役人サマが「給食には、必要な栄養素をとるだけでなく、子供の偏食をなくしたり、正しい食文化を伝えたりする目的がある。牛乳をなくすのは論外」と言っているそうですが、ご飯にみそ汁に牛乳が食文化?お役人サマ方、例えば和食の宴席で牛乳を飲んでいるのでしょうか。食文化を破壊しているのは誰ですか。

もちろん、牛乳は優れた食品と思います。パン食の日に牛乳、ということには異論ありません。でも、日本人はまずご飯の和食。それを子供に教えるべきでしょう。

(続きは記事の保存です、当面はリンク先をご覧下さい)

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2007年11月14日 (水)

妊婦検診は無料でいいのでは

妊婦健診の公費負担、自治体間で格差』(読売)

近所の公明党の看板(練馬には多い…)では、「小中学生の医療費無料化を実現しました」の隣で、妊婦検診の無料化を主張していた、と記憶しています。いかにもバラマキの風情…

のんべは小学生2人と幼稚園児の親ですが、小中学生医療費無料化は、有難い話ではあるけど、筋論ではやっぱり反対。割引ならいいですが、無料化すると何も考えずに医者にかかる風潮ができますので、元々パンク寸前の小児科はさらに窮地に陥ります。練馬はまだ始まったばかりなのでそこまではなっていませんが…医者にかかることの要否など、子供の具合は本来親が一番わかるはず。無料化より、親の教育が必要でしょう。

でも、妊婦検診の無料化には賛成。財布の都合で検診にかかれないなんて、あまりにも妊婦さんも赤ちゃんもかわいそう。かかりつけ医がなくてお産のときに初めて産婦人科に来られても、医師は迷惑に決まっています。

赤ちゃんを産むときくらい、母親には安心して医者にかからせるべきでしょう。もちろん、所得制限は必要と思います。

検診無料化の条件として、乳幼児に無駄に医者にかからせないために、「どんなときに子供を医者に連れて行くべきなのか」などの講習を受けることにさせる、などの案も考えられます。またもちろん、産婦人科医・小児科医不足の問題は非常に深刻なので、政府は早急に対策を取るべきなのは言うまでもありません。

(続きは記事の保存です、当面はリンク先をご覧下さい)

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