ヒロシマから66年
8月6日。悪魔の所業、ヒロシマから66年。黙祷。
過ちは繰り返しません。
過ちとは、原爆を落とさせたこと。
大切なのは、二度と原爆は落とさせないこと。
そのためには、どうすればいいのか。憲法9条や非核3+1原則(持たず、作らず、持ち込ませず、それに「議論せず」)でいいのか。
手元の朝日中学生ウィークリーでは「『武力には武力で』は冷戦当時の考え方…東アジアの脅威とされる国も含めて、核のな『非核地帯』をつくり、核の傘から抜け出すことが大事」とありますが、そうできれば一番いいのは明らか。でも、どうやって中共や北朝鮮に非核を求めるのか。まさか「中共のきれいな核は脅威ではない」などと言いますまい。あまりにも非現実的。
冷戦時代の発想だろうが、対案がない以上、「核抑止力」に頼るしかないのは厳然たる事実。即時の核武装はなかなか難しいですから、まずは「持ち込ませず」を撤廃。そこからです。
繰り返します。二度と原爆は落とさせない。それが、過ちは繰り返しません、ということです。
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コメント
中・ロが核を持ち、そのミサイルの矛先は日本に向いている。
北朝鮮もが核を持ち、それをアメリカさえもが認めるような現在、
そして彼ら自身は核を捨てることなんかありえないような現在、
アジアに「非核地帯」なんぞができるわけがない。
そんな"希望的妄想"を目標理念にするような似非平和主義者には日本は任せられない。
「こんどやられたらやり返します」
「こんどやられたら必ず仇を討ちます」
というのが、過ちはくり返しませんという意味だと、わたしは思っています。
落とさせないためには、そういう意思を明確に示すことが必要だと思っています。
都知事の発言を、わたしは今、支持しています。
投稿: バンヒ | 2011年8月 7日 (日) 23時54分
バンヒ様
私は平和を強く希望する者なんで、非核地帯になればいいなあ、と、真面目に思っています。いつかはそうなってほしい。でも今は、非核こそが戦争の元ですから、平和を希望する者としては、非核にはとても賛成できません。
今、非核を主張する人たちは、夢でも見ているのか、実は戦争大好きなのか、どちらかでしょう。
投稿: 練馬のんべ | 2011年8月 8日 (月) 19時12分