ソ連参戦の日
星勇さまに本記事に対して貴重なコメントを頂きました、ありがとうございます。そこで過去記事ですが、再掲いたします。
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ソ連参戦の日。日本国民の恨み籠もりし日です。
不可侵条約を一方的に破棄した世界史上まれに見る暴挙。そして抑留者は最大で200万人、死亡者も37万人を超えているとも言われています。
ソ連に国際法はありません。ロシアも然り。今の状態で北方領土を返すことなどあり得ないでしょう。
北方領土が返ってくる日は、再びロシアが崩壊に瀕する時だけでしょう。それは、日本とシナがロシア包囲網を敷いたときかも知れません。
となれば、日本が採るべき道は険しい道。つまり、中共と手を組むなどできませんから、中共政権を倒そうとするシナの民主化勢力やチベット等の被迫害民族を陰で協力に支援すること。中共倒れし後に出来るかも知れないシナ諸国と組む道を探るよりないのでは。
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コメント
私はソ連参戦の日に、ソ満国境の街綏芬河におりました。八月九日早朝、飛行機の爆音と機銃掃射の音に眼が覚まされ、ソ連軍の攻撃を知りました。その後戦車部隊も近づいているとのことで、建物の軒下沿いに走り駅に向かい、避難列車に乗ることができました。誕生日前の妹は、辿り着いた撫順で亡くなりました。当時小学4年でしたが、八月九日は忘れることのできない日です。
投稿: 星 勇 | 2011年8月 9日 (火) 08時51分