日本再生へ/「自己責任」は無責任の極致
「自己責任」という言葉が一世を風靡しました。ひどい言葉、無責任の極致みたいな言葉です。「自己責任」と称するいわゆる「人権」、そんなものは認められません。
例えば、車の来ない道で赤信号で待つのは馬鹿のすること。自己責任で渡るのが当然。などという発想が当たり前の世の中になっています。それでいいの?
下の話をしましょうか。「性の決定権」は「自己責任」。年端も行かぬ子供にそんな言葉を教える教師がいるそうです。そんなあほな、子供にそんなもんはありません。親の庇護の元にいる限り、「性の決定権」もへったくれもあるか。子供は親の愛を独占する権利はあります。義務教育の期間を過ぎれば、将来の進路に関して親と意見が異なっても結構。でも、子供にSEXマシンになる「権利」などありません。まして、そんな「教育」をする「権利」など許し難い。
不倫も「自己責任」?脱税だって「自己責任」?馬鹿な話があるもんか。しかし、最初の壁が崩れると…それは信号無視のような小さなことかもしれない…どんどん崩れてしまうもの。え、どこかの国の総理大臣の真似だ?あ、そういえば…
矛盾するようですが、信号無視するな、などとは言いません。でも、それは後ろめたさを感じて、悪いことだと認識してほしい。不倫だって止まらないこともあるでしょう。でも、それを堂々と「自己責任」などと当然至極の権利であるように言うこと、許し難いと思うわけです。
誰も見ていない?いえ、お天道様と自分は見ていますよ。それで恥ずかしいことは悪いに決まっています。お天道様の道に外れて生きるなら、日陰者になる覚悟が必要です。それはそれで構いませんよ、それなら自己責任と言えなくもない。
日本語では「日陰者」。これが西洋だと「アウトロー」なのかな。「日陰者」とは、太陽と世間様の恵みが受けられない者、「アウトロー」とは法律の庇護が受けられない者。どちらも覚悟を決めないと生きられない道です。それを「権利」なんて、甘えるのもいい加減にしろ!
酔っぱらいの頑固オヤジの戯言でしょうかね。頑固オヤジがいなくなった世の中も困りもの、せめてのんべは頑固オヤジのままでいましょ。
PS.誤解なきようにあえて蛇足。例えば以前、渡航延期勧告を無視してイラクに行って人質になった奴など、「自己責任」以前の大馬鹿者です。
PS2.haruさんに誤解されてしまったのは、私の言葉足らずのため、失礼しました。
「子供を親が自力で育てる」「老後に備えて国民年金に加えて貯蓄をする」などは、「自己責任」以前の「朝起きたらおはようと言う」くらい当たり前のこと。
問題は例えば「国民年金なんて自己責任で払わないよ、自分で個人年金入っているからね」などと言うふざけた奴ら。「おはようなんて言わなくていいだろ、怒られたら自己責任だ」なんて屁理屈をこねるガキ並みです。
もちろん、真っ当に働いて切り詰めてもお金が無くて払えないというのなら、やむを得ず減免措置を申請するのも仕方ないことです。
当たり前のことに「自己責任」という言葉を使うと、ふざけたことに「自己責任」を主張する連中と混同されます。というか、ふざけたことを正当化するため「自己責任」と言い出した連中が、わざわざ当たり前にも「自己責任」などと言い始めたのでしょう。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
自分の子どもは自分で育てる。
老後に備えてちゃんと貯蓄をして自分で面倒を見る。
政府に頼らずに仕事を見つける。
まさしく自己責任じゃないですか。
自己責任こそ自立した人間になるための大前提ですよ。
他人に責任を押し付けるなら、民主党、スウェーデンみたいになってしまいます。
投稿: haru | 2010年2月13日 (土) 00時03分
haruさん
仰せの趣旨に反論するつもりはありません。当たり前ですね。
でも少し前、子供を自分で育てたり、老後に備えて貯蓄することを「自己責任」なんて言いましたか?それは当たり前のことです。他人に責任を押しつける奴なんて親類縁者から縁を切られたり(一種の村八分状態)したはずです。
「自己責任」という言葉が生まれてきたのは、信号を無視するのも「自己責任」、罪を犯すのも「自己責任」、という、少しくらい悪さをしても迷惑をかけなかったりばれなければ問題ない、という考え方から、と思います。
それを正当化するために、当たり前のことをわざわざ「自己責任」と言うような言い換えを行って、当たり前が当たり前でない世の中にした連中がいます。
投稿: 練馬のんべ | 2010年2月13日 (土) 01時53分
「自己責任」という言葉が独り歩きしてしまうんですよね。
相互扶助、と言う言葉もあります。
自分が生きる為には、必ずどこかで世間様、他人様と関わりを持ち、有形、無形の助けを得ているし
そうでなければ生きてはいけないのです。
「自己責任」と言う言葉には、「自分だけ」という
自己中心性を感じます。
仰っているように「子供」に対しての「性の自己決定権」という名の「自己責任」など、もっての外です。
そんな「権利」はありませんし、許してはなりません。自由の国アメリカでも州によっては
婚前交渉を禁じている所もあるくらいです。
「純潔主義」が犯罪や幼児虐待を防ぐ事も
あるのだと思います。何でも「自己責任」という
言葉のもとに逃げ込んではいけませんね。
投稿: 翡翠 | 2010年2月13日 (土) 19時42分
翡翠様
>「自己責任」という言葉が独り歩きしてしまうんですよね。
>「自己責任」という言葉のもとに逃げ込んではいけませんね
はい、まことにその通りです。自己責任なら何をやってもいいや、となることが怖いし、現にそうなっています。
>相互扶助、と言う言葉もあります。
素敵な言葉ですね。やまとことば風にすれば「おたがいさま」。これなくして、生きていけるはずもない。
>自由の国アメリカでも州によっては
>婚前交渉を禁じている所もあるくらいです。
そうでしたか。聖書の教えでは婚前交渉禁止なので、州として忠実に守っているのでしょうね。今は、その教えは守っている人の方が少なそうですが…
投稿: 練馬のんべ | 2010年2月14日 (日) 05時29分