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2009年12月20日 (日)

トルコ建国の父の銅像、串本町へ!

AtachurukuAtachuruku_2 『トルコ建国の父アタチュルクの銅像、和歌山へ 「両国友好の象徴に」』(読売)
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20091219-OYO1T00611.htm

トルコは親日国ですが、反日国になりかかっていました。そりゃあ、建国の父の銅像をゴミ扱いにされたら、それは怒らないほうがおかしい。トルコのみなさん、まことに申し訳ありませんでした。

Kushimototorukoireihi1 移転先の和歌山県串本町は、言うまでもなく明治時代の軍艦「エルトゥールル号」遭難救出劇(「続きを読む」参照)の舞台、日土友好の象徴とも言えるところ、まことに嬉しいことです。(写真はwikiより)

Tj2010_logo来年は「トルコにおける日本年」
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/turkey/2010/index.html
エルトゥールル号遭難から120年、そしてテヘラン空港でのトルコ航空による日本人救出劇から25年、大きな区切りの年です。その前に一応問題が解決したこと、ほっとしました。

Nihon_turkey大恩あるトルコのみなさま、今後もどうかよろしくお願いします。

PS.なぜか外務省のページにテヘラン空港の救出劇の内容が書いていないので、簡単に。

イランイラク戦争が激化したとき、フセインが48時間後の飛行機への無差別攻撃開始を宣言。取り残されたイラク在住日本人215人、日本政府は救出できませんでした。

日本大使館は困り果て、野村豊大使は、トルコ大使館のビルレル大使に窮状を訴えると大使は「わかりました。ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。トルコ人ならだれもが、エルトゥールル号の遭難の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょうとも」と答えたそうです。

絶体絶命のとき、1機のトルコ航空機が日本人救出のためだけに決死の覚悟でテヘランに来てくれたのです。無差別攻撃開始1時間15分前に脱出。書いていて涙が出てきます。
ところが、この事件で不愉快になること二つ。

その1.日本人を見捨てた日本航空

なぜ日本政府は救出できなかったのか。当時日本国の国営航空だった日本航空は、労組が「安全が保証されない」とフライトを拒否し、政府要請を無視したのです。日の丸エアラインに、215人の日本人は見捨てられたのです。

救出要請を断った、つまり日本人を見捨てた日本航空。今や日本航空は虫の息、日本人を見捨てる会社は、日本人に見捨てられて当然。救済のための税金なんぞ、絶対使うべきではありません。

その2.NHK反日報道

この救出劇をNHKはプロジェクトXで取り上げました。ところが、エルトゥールル号遭難事件との関連には全く触れず。

NHKは、「1985年の救出に直接関わったトルコ大使やトルコ航空機長など当事者の方々に確認したところ、エルトゥールル号事件のことは全くご存知ありませんでした。114年前のことであり、ほとんどのトルコの人々は事件を知らないのが実状でした。またエルトゥールル号事件がトルコの学校で広く教えられているという事実も無く、教科書も見つかっていません。」と回答しているそうです。(wikiより)

エルトゥールル号事件について(外務省のページより転載)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/turkey/2010/ertugrul.html

 1887年、小松宮彰仁殿下及び同妃殿下がトルコを訪問し、皇帝アブドゥル・ハミト2世に謁見しました。1889年7月、これに対する答礼として、同皇帝はオスマン・パシャ提督(海軍少将)率いる総勢650名の使節団を乗せた軍艦エルトゥールル号を日本に派遣します。1890年6月、同使節団は横浜港に到着、オスマン・パシャ提督は明治天皇に拝謁しオスマン帝国の最高勲章を奉呈しました。

 同年9月、同使節団はトルコへの帰路に就いたのですが、エルトゥールル号は神戸を目指して航行中、和歌山県紀州沖にさしかかったところで台風に遭遇してしまいました。強風と高波の中、エルトゥールル号は樫野崎灯台を目指して航行しましたが、運悪く、沖合約40メートルで座礁し、沈没しました。

この海難事故により、オスマン提督以下乗組員587名が死亡するという大惨事となりました。そのような中、付近の住民の献身的な救助により、69名の乗組員が救出され、後に日本海軍の巡洋艦「金剛」及び「比叡」により丁重にトルコに送還されました。また、日本国内でも犠牲者に対する義援金の募集が広く行われました。

 このように、エルトゥールル号の海難事故自体は極めて痛ましい事件ではありましたが、その際の日本官民あげての手厚い事後対応はトルコ人の心を打ったとされます。現在では、エルトゥールル号の日本訪問とその後の遭難事件は、両国の友好の原点の出来事とされています。

 その後、海難現場の和歌山県串本町には、「エルトゥールル号殉難将士慰霊碑」が建立され、毎年慰霊式典が開催されています。また、串本町の姉妹都市であるトルコのメルシン市でも、串本町のものと同じ慰霊碑が建立されています。

 2008年6月、即位の礼を除き、二国間の公式訪問としては初のトルコ元首の訪日となるギュル大統領の訪日が実現し、串本町で行われた慰霊式典に参加されました。

 現在、串本町では、エルトゥールル号の発掘プロジェクトが進められています。

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コメント

串本町へ移されることになりましたか。よかったですね。5月以来練馬のんべさんのブログ経由で投票状況を見ていましたが、最近は伸びが少なく、非常に心配していました。このブログで知り、兄や姉等にも声をかけ投票させました。
日航についてですが、上層部には大いに問題がありそうですが、現場はなかなか味なことをやっているようす。「沖縄県民斯ク戦へり」というブログの12月18日の三つ目の内容を見てください。それによると、陸自ジブチ派遣隊員が帰国途中の日航機内で搭乗員から無事帰還を祝う寄せ書きを贈られたそうです。このときの自衛官たちは嬉しかったと思います。
そのブログのアドレスは下記のとおりです。

http://kakutatakaheri.blog73.fc2.com/blog-date-20091218.html

投稿: おっさん | 2009年12月20日 (日) 16時24分

おっさん様
記事拝見しました。なかなか洒落た話ですね。JALの現場の方々はまともなのかも知れませんが、経営と労組はどうしょうもないでしょう。

投稿: 練馬のんべ | 2009年12月20日 (日) 21時48分

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