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2009年8月 7日 (金)

防衛省「市ケ谷台ツアー」に参加

防衛省市ヶ谷台の見学ツアーは、平日のみ開催されています。事前予約なので行きづらいのですが、今回念願かなって参加しました。当日、とても親切に案内していただいたI氏と他のみなさま、有り難うございました。

Boueishou朝9:30までに防衛省正門に行きます。市ヶ谷はすごく慣れた場所だから余裕のよっちゃん、と思っていたら集合時間ぎりぎりになりました(というわけで、入口の写真は撮れず、かわりに今年の春に撮った桜の写真を貼っておきます(苦笑))今日の参加者は約20名ほど。親子連れや四国より来た高校生の一団もいました。若い人の参加、とても素晴らしいですね。

Ichigayadai_map まずはコース説明。まことに丁寧に教えてくれます。儀仗広場見学、庁舎A棟内通過、記念館。(A棟は上の写真の大きな建物。隣の通信鉄塔の高さは220m)

Ichigayadai_kinenkan 記念館は、自衛隊の以前の建物を模して造られました。その中には、大講堂などが当時のままに移築されています。

Ichigayadai_koudou 大講堂。もともとは陸軍士官学校の大講堂ですが、戦後GHQに接収され、東京裁判(極東国際軍事裁判)と称する復讐劇の法廷となった場所です。

Ichigayadai_koudou_saiban 参考までに、wikiから東京裁判の写真を借りてきました。写真左側が裁判官席です。

Ichigayadai_daitoua_map 1枚の地図が貼ってあります。東京裁判のとき使用された地図。3枚作られて、実際に使用された1枚は所在不明らしい。これは予備の2枚のうち1枚です。予備のもう1枚は靖國神社にあるらしい。「支那」「満洲」(州ではない)のこの地図、東京裁判で使われていたことにご注目を。(写真はクリックで拡大)

その後「便殿の間」(陛下のご休息室)などを見て、厚生棟で休憩。お土産の時間(笑)。そして屋外ヘリ見学。

Ichigayadai_memorial 最後にメモリアルゾーン見学。のんべにとって今回のメイン。

メモリアルゾーンとは。wikiを引用してみます。

敷地内に点在していた自衛隊の殉職者慰霊碑や旧日本軍の記念碑など16の碑を、国が約6億円を投じて防衛省東側の約6000平方メートルの一角に集め、整備した。1954年の自衛隊創設以来、2005年度現在殉職自衛官は1765人で、その内訳は陸上自衛隊962人、海上自衛隊381人、航空自衛隊400人、内局1人、防衛大学校6人、防衛医科大学校1人、防衛研究所5人、装備施設本部(旧契約本部及び調達実施本部(1人)並びに防衛施設庁(8人)時代を含む)9人となっている。

殉職自衛官諸柱に最敬礼。住宅地への墜落を避けた中川将補と門屋一佐悪天候の中で急患を救うため出動し墜落したヘリ、などの話(続きでも紹介しています)は一部で有名です。のんべは、殆どの自衛官諸氏は同じ姿勢で奉職なさっていることを確信しています。自衛官諸氏に敬礼!

だいたいこれでツアーは終わりです。読者のみなさま、ツアーに参加し自衛隊への理解を深めるのはまことに有意義なことですので、時間的に難しいかとは思いますが、ぜひご参加を。参加申し込み方法はこちら

PS.殉職自衛官諸柱は、地方によっては護国神社に祀られます。自衛官護国神社合祀事件などで知られています。

しかし、今のところ靖國神社に祀られることはありません。

旧軍の時代でも、訓練中の殉職などは祀られなかった(例えば八甲田山の犠牲者は祀られていない)のですが、例えば万が一PKOなどで殉職者が出た場合は、ぜひ靖國の本殿に合祀してほしいと思います。

また、このメモリアルゾーンも、本当は靖國神社の境内外の末社にしてほしい。同じことは弥生慰霊堂についても思いますけど。靖國神社で神職に遙拝してもらえばそれでいいような気がします。実は公式に発表されていないだけで裏ではそうなっているのなら結構なのですが…

平成12年度受賞者紹介社会貢献支援財団様)より引用

 平成11年11月22日午後1時2分入間基地を離陸した航空自衛隊T33A型ジェット練習機は訓練を終えて帰路に就いていたが、同1時38分、管制塔に対し「マイナー(軽い)トラブル」と通報した後、更に、同1時39分、振動、オイル臭等を通報。管制塔からの照会に対し「コックピットスモーク」と応答。続いて、緊急状態を宣言。管制塔からの「緊急状態の理由」の照会に、再度「コックピットスモーク」と応答。その後、周辺の民家等を避けつつ飛行を継続し、管制塔からの着陸許可、脚下げ確認の応答を行ったあと、同1時42分14秒「ベイルアウト(緊急脱出)」と通報、同1時42分27秒「ベイルアウト」と再度の通報を最後に、機が送電線のグラウンドワイヤー(接地線)に接触する直前(後席)・直後(前席)に緊急脱出したが、既に、安全に脱出出来る高度以下となっており、惜しくも殉職された。機は、埼玉県狭山市柏原の入間川河川敷にある狭山リバーサイドゴルフ場コース内に墜落炎上した。

 この事故により、送電線を切断し停電等の被害は生じたものの、両氏の適切かつ必死の決断により、民家の火災や人身への被害は無かった。

 両氏とも、飛行時間5千時間を超える大ベテランであった。

 墜落現場の河川敷の北側には、狭山ニュータウンの住宅地が広がっている。

以下のんべの補足。マスコミはこの事故について、大停電ばかり報道し、自己を犠牲にしてたくさんの人の命を救った両氏のことについては殆ど(のんべの知る限りでは「全く」)触れませんでした。

自衛隊ヘリコプター殉職者慰霊碑・竣工式徳之島タウン情報様)より引用

2007年3月30日に急患輸送の災害派遣要請を受け陸自ヘリ(CH-47JA)が那覇から徳之島へ向うが視界不良のため、着陸予定の徳之島総合グラウンドから徳之島空港へ航路変更途中に墜落した。
乗員は機長の建村 善知(たてむら よしとも)3等陸佐(54歳)をはじめ、
坂口 弘一(さかぐち ひろかず)1等陸尉(53歳)
岩永 浩一(いわなが こういち)2等陸曹(42歳)
藤永 真司(ふじなが しんじ)2等陸曹(33歳)
以上、4名。
乗員全員の死亡と言う残念な知らせだった。

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コメント

おはようございます。
こういうツアーがあったのですね。
すばらしいレポート、ありがとうごさいました。
私もメモリアルゾーンに是非お参りに行ってみたいと思います。
10年ほど前の、住宅地への墜落を避けたために脱出が遅れ二名の隊員がなくなられた事故、よく覚えています。
長時間停電のため、職場は開店休業状態となり、「仕事中断で会社が被った損害を自衛隊に請求したい」なんていう怨嗟の声が職場に満ちました。
「墜落した隊員は無事だったのか?」の声がなかったことに衝撃を受けるとともに、自衛隊をことさら軽んじる軽薄な空気にいたたまれぬ思いがしました。翌日のニュースで、脱出が遅れた理由を知り涙が止まりませんでした。
のんべさんのおっしゃる通り、マスコミの論調もひどいものでしたね。
長文で失礼致しました。

投稿: きょうこ | 2009年8月 8日 (土) 10時40分

きょうこ様
素敵なツアーですからぜひご参加を。大講堂では、「千人針」の展示で、兵士と家族の強い気持ちのつながりについて、I氏が高校生達に熱心に説明なさっていました。若い人たちにきっと伝わったことでしょう。

文中にも書いた狭山での墜落事故のことに限らず、マスコミの自衛隊に対する論調には本当に腹が立ちます。現場の隊員が我々国民を守るためにどれだけ苦労なさっていることか。これではいくら「自衛隊反対の人たちを守るのも自衛隊」とはいえ、やっぱり自衛隊員は気分良く働けないでしょう。

つまり、自衛隊の能力を下げるためにマスコミは最高の働きをしているので、マスコミは敵国のスパイ集団と見なさざる得ません。

投稿: 練馬のんべ | 2009年8月 8日 (土) 11時23分

 この話は、2~3年前ハーグさんの処でしましたね、F80シューティングスターを複座にした練習機だった様で、乗っていたのは両方とも教官、制御不能になりながらも、市街地を超え河川敷を目指して飛ンだのはサスガと云う他は無い、最後に惜しくも高圧線を引っ掛けて墜落したものでしょう。

 これに比して、横浜で米軍のパイロットが同じく操縦不能になり、こちらはさっさとパラシュートで脱出し、主を失ったジェット機は民家を直撃し、中にいた2人の子供とそのお母さんが犠牲になった事件が有りました。

 パイロットは無傷でたすかり譴責を受けた模様でしたが、その後一度たりともマスコミに登場する事は無かった。

 この国のマスコミって、一体何の為に有るのでしょうね、「ペンは剣よりも強し」はジャーナリズムの誇りじゃなかったっけ?

 どうやら、「云い易いモノをとことん叩き、云いにくいモノには、全く沈黙する」のが、日本のマスコミの特徴の様です、すると、日本に、まともなジャーナリストは一人も居ないのじゃないか?

 そんな気がしますね、田原、筑紫、鳥越なんて、面立っているジャーナリスト膳とした奴らは全て売国サヨクそのものですしね。

投稿: ナポレオン・ソロ | 2009年8月 8日 (土) 16時42分

大戦末期に、B29迎撃に上がった戦闘機の中には体当たりで敵機を撃墜すると言った事がありましたね。
アメリカ人の中には、こうしたパイロットを安易に「クレイジー」などと思う人がいたとしたら、止めてもらいたいです。
当時の日本戦闘機は高高度性能が悪く、そのために、酷寒の高空に登る苦労は言語に絶する物であったに違いありません。
そのように気絶しかねないような苦労をして、機銃をぶっ放しても、そもそもそうした機銃の中には、機体を軽くするために、4挺搭載する所を2挺しか搭載しなかったとか、機銃弾も少なめに搭載したと言うケースのために、容易に打撃を与えられない事が少なくなく、そのために、戦闘機パイロットは、敵機がへらへら高高度を飛行していられる事に怒り心頭に達して体当たりに至ったのでしょう。
そのような苦労を察すれば、安易に「クレイジー」などと、死を軽んじる行動を批判できないのではないでしょうか。

投稿: DUCE | 2009年8月 8日 (土) 19時35分

>Duceさん
>>こうしたパイロットを安易に「クレイジー」などと思う人がいたとしたら、止めてもらいたい
 焼夷弾を落とす方と落とされる方の感性の差としか言えませんね。

 彼らは焼夷弾を「戦争だから」と大義名分が附いているつもりで機械的に落としているから、自分の命を捨てて迄攻撃してくるパイロットがクレイジーに思えたりするのでしょうが、落とされた先がドゥなったかを知っている日本軍のパイロットなら、一命に代えても叩き落してやろうと思うのは当然です。

 湾岸戦争の時、イラクに撃墜された米軍のパイロットが、防空壕内の収容所で、米軍の猛爆を経験、「爆撃されるのが、こんなに怖いなんて思っても居なかった」とTVで発言したのには嗤いました。

 確かに戦闘なんて、相手の悲惨さを考えたら引き金は引けません、何処かで他所事、異次元に居なければ精神が持たないのでしょう、その証拠に、カミカゼアタックを仕掛けた少年兵の遺体を見て精神状態がおかしくなった空母の乗組員が、問題になる位居たそうですから。

 米国国民が人道主義を平気な顔をして唱えられる訳がないのですが、其れができるのは、自分達がやって居ることの本当の恐ろしさを隠蔽されているからなのです、なあに、一遍同じことをされてみれば判ります、しかし、彼らには其れを非人道だという資格は1cmも無い。

投稿: ナポレオン・ソロ | 2009年8月 8日 (土) 19時58分

ナポレオン・ソロさま

そりゃあ、アメリカさんは日本を属国と思ってますから、日本人の命と自分の命を比べたら、自分の命を取るでしょうし、いざ鎌倉にそんな連中があてにならないのは明らかです。在日米軍は人質と思っておくしかない。

>「云い易いモノをとことん叩き、云いにくいモノには、
>全く沈黙する」のが、日本のマスコミの特徴
そうですね、卑怯な連中です。今はノリピ-が標的。彼女を弁護するつもりはないけど、たかが芸能人ごときに騒ぎすぎ。ポッポの故人献金疑惑のほうがよほど重要なのに。

>焼夷弾を落とす方と落とされる方の感性の差
そうそう。落とすほうは気楽。でも、その現場を目の当たりにしたら、私なら多分精神に異常をきたします。

そのような極限を覚悟なさっている、自衛隊のみなさま、つまり皇軍のみなさまに敬礼。

投稿: 練馬のんべ | 2009年8月 8日 (土) 20時39分

DUCE様
日本軍の迎撃部隊のみなさま、圧倒的に物量に劣る中で、よくぞあそこまで戦ったものと思います。みなさまに敬礼。
当時のトップを軍国主義者と非難するならまだ理解の範疇ですが、皇軍の兵士を非難する連中は、天に唾する連中。先祖はお嘆きでしょうね。

投稿: 練馬のんべ | 2009年8月 8日 (土) 20時43分

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