原爆犠牲者の慰霊とは、二度と原爆を食わないこと
『首相の「核の傘」必要発言、撤回要求へ』(朝日)
『首相は広島原爆の日の記者会見で、日本が米国の「核の傘」に守られている現実について「核で攻撃しようという国が隣にある。抑止力を持つ米国と同盟を結んでいる現実を踏まえないと。一方的に誰かがやめたら相手もやめてくれるという世界ではないと思う」などと述べた。 …長崎原爆被災者協議会は「被爆国の首相としてあるまじき発言」』
今日は長崎原爆の日です。多くの犠牲者に合掌。
実は広島よりこちらのほうが威力のある爆弾だったようですが、長崎の坂の多い地形のため、犠牲者の数は少なかったとか。ただ、広島は、アメリカ国内的には「早く戦争を終わらせてアメリカ人犠牲者の数を1人でも減らすため、日本人を何十万人と虐殺しようが問題ではない」という大義名分が立つけど(日本人として、そして全人類として決して許せないこと、言うまでもない)長崎原爆はそんな大義名分すら立てようのない人体虐殺実験。永遠にアメリカの汚点として残るでしょう。
そんな原爆を落とした仇敵のアメリカに守られているのは実に哀しい現実。でも、首相のご発言「核で攻撃しようという国が隣にある」は厳然たる事実。核による恫喝を無力化する技術は核による抑止力以外に見つかっていない現状では、核武装していない日本としては他にどうしょうもない。残念無念。
長崎原爆被災者協議会ですか。日本がアメリカの核の傘に守られていること、日本がアメリカに核廃絶を要求しないことがご不満なようです。上部団体(日本被団協)のHP上の文書を見ると「核兵器廃絶とは、核保有国、とりわけアメリカに核兵器を捨てさせること」と明記してあるから、核の傘をなくすのがこの団体の要求です。
この「被爆者団体」は中共の脅威は存在しない、とでも思っているのでしょうか。それとも目を瞑っているだけ?
中共は大軍拡を続け、原爆実験を東トルキスタンで46回も行い、日本よりはるかに多い被爆者を生み出しました。彼の地に旅行して被爆し亡くなった日本人も、夏目雅子さんを始めとして多数いると言われています。北朝鮮は相変わらず核実験とミサイル発射ばかり。
日米同盟とは無念極まりないことに日本にとって屈辱的なものと思います。私だって日本が核の傘に一応守られていること、悔しい限り。でも、現実的にアメリカが日本に原爆を落とす確率はほぼゼロ。それに対し、中共も北朝鮮も日本にミサイルの矛先を向けている。これが現実です。
二度と原爆を食らってなるものか、日本人の強い思い。世界で新たな被爆者を生むな、全世界の強い思い。 原爆犠牲者への真の慰霊とは、二度と原爆を食らわないこと以外にありません。
そのためにどうすべきか。「九条平和経を唱えてその言霊にすがるべし」原爆犠牲者のご霊前でそう言う自信は、のんべにはありません。
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コメント
この日はソ連軍の火事場泥棒侵攻の日でもありますね。一般的に大敗北と見られたノモンハン事変も、単に日本軍の兵力が劣っていたからであって、兵力優勢であるのにもかかわらず、ソ連軍の損害は馬鹿にならないものだったそうです。
それだけに、大戦末期になって、満州の日本軍がどんどん南方に送られていったチャンスを生かしてソ連軍が侵攻したわけです。
とりわけ日常生活では、弱みを見せると、たかりに走るやからが出てきます。ましてや、国家同士ならば、不戦の誓いを礼賛するよりも、反撃に出てこないだろうとたかをくくられるケースの多いじゃないですか。
投稿: DUCE | 2009年8月 9日 (日) 16時51分
DUCEさま
そうそう、ソ連に対する恨みの日です。決して忘れてはなりません。
>大敗北と見られたノモンハン事変
最近の研究では、実質的に日本側勝利だったにもかかわらず、プロパガンダにやられたようですね。日本はそれが弱い…
>国家同士ならば、不戦の誓いを礼賛するよりも、反撃に
>出てこないだろうとたかをくくられる
今の日本はまさにそれで舐められっぱなしですね。情けない。
投稿: 練馬のんべ | 2009年8月 9日 (日) 18時47分
米国の「核の傘」に国防の根幹を委ねながら「非核三原則」を語る欺瞞を、政治家も国民も正面から見据えてきちんとした思考、議論を深めるべきですね。私は二度と被爆国にならないためには自ら核を保有するという選択肢もあるべきだと思います。
TB、広島のほうの記事に送りましたが、内容からしてこちらのほうがふさわしかったかもしれません。
投稿: 三四郎 | 2009年8月10日 (月) 17時32分
三四郎さま
コメント・TB有難うございます。核武装論にしても反核論にしても、目的は「二度と原爆を食らわないこと」で一致しているはず。目的のためにはどうすればよいか、それを議論することすら許さない、それでは全体主義です。
投稿: 練馬のんべ | 2009年8月10日 (月) 23時24分
長崎の被爆者団体は、ドゥにもならない現実を看過して、題目さえ唱えていれば、被爆国の大義名分が立つとでもいうのでしょうか。
そも非核三原則とは如何なる深謀遠慮のもとに考え出されたものか、「核を持たない、核を持ち込ませない、核を通過させない」と云うのがその中身ですが、先ず、「持ち込ませない」且「通過させない」のなら、米軍に対する強制力を日本が持って居る事に成りますが、是は事実に反しています。
日本が如何に軍事同盟の庇護のもとに有ろうと、極秘事項である軍の作戦行動の一部である「核の持ち込み」と「通過」を如何にして察知できると云うのでしょう、もし知り得たとしても、その作戦を変える強制力が日本には与えられていないのは明らかです。
日米安保の主体は米軍であって、日本の自衛隊ではないのが明らかである限り、非核三原則など、丸っきり空証文だという事です。
この三原則の考案と実施でノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作首相は、一体何を考えていたのでしょう。
私が考えるに、この三原則を日本が標榜する事で、日本が核武装のみならず、「非核の聖域」に成らしめようとした、と云うのは表向きで、その実、日米安保を補強しようとしたものだと思うのです
「持たない」のは、さて置いて、「持ち込ませない」のは、核ミサイル基地を国内に作らせない為、「通過させない」のは、国内基地にある核兵器の貯蔵に歯止めをかけたものでしょう、何れも、米国以外の敵国に真っ先に標的にされるところです。
一方、その三原則を掲げ続けた場合、日本は核武装放棄を宣言しているのと同じですから、核武装できません、是は当時、まだまだ根強かった日本警戒論者にとっては、大歓迎すべき宣言だったでしょう。
但し、佐藤さんは大きな間違いを犯している可能性が出てきました。
当時の核兵器は、今でいうメガトンクラスの戦略核ダケでしたが、今は、劣化ウラン弾迄入れれば核兵器は多彩に、そして小型に成っています、事実、既にICBMは無用の長物に近い。
代って主力に成って居るのは、戦術核でしょう。
まぁ是さえも、もし撃てば国際的な非難は大きいでしょうし、他の対立軸にある国々間での核使用の引き金を引く事になりかねません、ですから、兵器開発は通常兵器の火力や殺傷力を高める方向に成っています。
こう云った現実の変化に非核三原則は既に有名無実化し居ると云えます。
日本の米軍基地には必ず戦術核が有りますし、有事には其れを躊躇いなく使うでしょうから、敵国は、米軍基地を第一標的にしているのは間違いない事でしょう、だからと云って、米軍が日本を護っているわけでもないのですが、居なくなると、日本は基地が在ったのと同等、もしくはそれ以上の火力を持たねば、戦力の均衡を維持できません。
是では、非核三原則が有ってもなくても同じ事です。
しかも今や、核兵器が、特に戦略核が最も有効な意味を持つのは、外交の場だけです、核を持たねば、暴力団の出来そこないが国を乗っ取ったような国と称するゴロツキ団体にもなめられる事に成るわけです。
そんな非核三原則を遵守するって、米軍に出て行けというのと同じ事でしょう、彼らは今なら喜んで出て行くかもしれませんね。
投稿: ナポレオン・ソロ | 2009年8月11日 (火) 01時30分
ナポレオン・ソロさま
「飲食物持込み禁止」の食べ物屋さんでも、パンを鞄から出さなければ文句言われるはずもありません。「持ち込ませず」だって同じことですよね。
最近は「議論させず」などの原則が増えてきて困ったもんです…
投稿: 練馬のんべ | 2009年8月11日 (火) 20時35分