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2009年7月12日 (日)

教育出版「中学社会歴史」批判その4(中世・前半)

今回は中世の前半。元寇の記述が楽しみです。

第3章 中世の日本と世界

1.武家政治のはじまり

マル1.武装する豪族たち 武士の活躍

マル2.いざ鎌倉 鎌倉幕府の政治

マル3.武士と民衆の暮らし 民衆に広がる仏教

マル4.おしよせる元軍 モンゴル帝国とアジア

調べてみよう 寺院・自社を訪ねて~円覚寺(鎌倉市)

偏向とかなんとか以前の問題として、内容が薄く歴史の流れがつかみにくい教科書だなあ、という感想があります。源平合戦も薄い。「いざ鎌倉」と表題にあっても、それが何のことかわかりません。「新しい土地をもらうこと(御恩)を期待し、そのかわり将軍のためには命がけで戦いました(奉公)」これだけで「いざ鎌倉」はないだろう、鉢の木物語をコラムにでも書いてほしいですよねえ…

Genkou さて期待?の元寇は、やっぱり期待を裏切りません(怒)

モンゴル帝国「(一部略)モンゴルはユーラシア大陸全域におよぶ大帝国をつくりました。東アジアでは(一部略)国号を元とし、宋をほろぼして中国全土を支配しました、元は朝鮮半島にも侵入しました。そこでは、10世紀初めに建国された高麗(コリョ・こうらい)が激しく抵抗し、30年以上戦いがつづきましたが、ついには元に服従させられました。」

(欄外注マル2)高麗…3年にわたって反乱…元の日本遠征はおくれました。

元軍との戦い「さらに勢力をの拡大をはかる元は、1274年、服従しようとしない日本に遠征軍を派遣しました。元と高麗の連合軍は、対馬・壱岐をおそい、さらに九州沿岸に上陸し、火器を武器とする元軍と、九州の御家人を中心とする幕府軍との間では、はげしい戦いがおこなわれました。元軍が引きあげたのち、幕府は再度の攻撃に備えるため、九州の御家人に命じて博多湾に防塁を築かせ護りを固めました。1281年、元は再び遠征を決行しましたが、上陸できないうちに暴風雨による損害を受けて退却しました。この2回の元軍の襲来を元寇といいます。」

まず前半。「宋をほろぼして中国全土を支配」って間違っちゃいないけど、この文章から、宋が現代の「中華人民共和国」の領土+植民地(チベット、ウイグル、南モンゴル等)を統治していたような錯覚を起こさせます。

また、高麗が抵抗しようがどうしようが、日本史に関係ない。でも、欄外にさりげなく、高麗の抵抗のお陰で日本が助かった、ような文章がありますね。また、元に服従させられた、って、なぜか高麗を主語にした文章です(笑)。

いよいよ後半。「服従しようとしない日本に遠征軍を派遣」って、どこの国の史観ですか、日本史の教科書の記述とは思えません。前半で朝鮮には「侵入」としているのと対比が面白い(笑)。なお、写真の次のページの欄外に「元はその後も侵攻を計画しましたが…」と小さく書いてアリバイ作りしています。

もちろん、高麗の軍が壱岐対馬でどれだけ酷いことをしたか、は華麗にスルーです(苦笑)

あと、元寇とひとくくりにしないで。文永の役、弘安の役くらいは一言書くべきだし、だいいち文永の役で神風が吹いたことすら載ってないって…

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コメント

赤報隊・反日韓国人会館攻撃義挙 檄文より

guns-road.hp.infoseek.co.jp/geki/geki23.shtml
 韓国人はモンゴルの手先になってわれわれの先祖を殺しまくった。
 日本人はそのうらみをわすれない。
 ロタイグはくるな。きたら安全は保証しない。

投稿: (^^^)x | 2009年7月16日 (木) 22時47分

(^^^)x様
愛知韓国人会館放火事件の檄文ですか。うーん…

投稿: 練馬のんべ | 2009年7月16日 (木) 23時04分

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