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2009年6月11日 (木)

日本国憲法を読んでみよう(その4.国民主権)

父「いままで天皇陛下について憲法の規定を見てきたけど、憲法第1条では、他に国民主権ということを謳っているね」

第一条【天皇の地位・国民主権】

 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

父「主権の存する日本国民、とは、どういう意味だろう」

子「国民が主権者、ということじゃないの」

父「そりゃあそうだけど、この「主権」というのは何のことかわからないね。意味としては、政治を行う人たちを決めるのは選挙権を有する国民、ということかな。憲法前文を見ると、

ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。

とあるわけで、これが日本国憲法の言う国民主権だ。でも、わかりにくいし、危険な考え方なんだ」

子「国民主権の何が問題なの」

父「政治家が権力を行使できるのは、国民が信託したから。でも、主権者が1億人以上の集団だと、誰に対して責任を取ったらいいんだろう。あまりにも漠然としているから、全員に対して責任を取る気になるかい、せいぜい後援会員の顔を思い浮かべるくらいではないのかな。もしくはテレビカメラの前でかっこつければいい、とか。制度上の国民主権では、政治家は人気取りに走るだけの無責任野郎になりやすいんだ」

子「じゃあどうすればいいの」

父「日本的な考えでは、神様はどこにでもいる。でも、なにもないところに拝むことは心情的に難しいから、神様の象徴として、神社や神棚があるんだ。拝殿や神棚に向かえば拝みやすいし、神社に対して悪いことをしようという輩は少ないよね。同じように、国民を象徴する何者かが必要で、それは天皇陛下以外にはあり得ないんだ。

国民を象徴する天皇陛下が主権を持つということが、日本の国柄では真の国民主権につながる。真の主権者は国民だけど、天皇陛下に「神社」のお役目を果たしていただいたほうが、政治家が責任感を持って仕事する。お父さんはそんな風に思うよ」

子「天皇主権とは、政治家が国民の象徴である天皇陛下に対して責任を取る、ということなのね」

父「そうだよ。そもそも憲法とは、政府が国民に対して責任を持つためのもの、政府の行動を規定し制限するものなのだから、少しでも無責任にならないようにすべきなんだ」

子「憲法って国民に対する決まりではないの」

父「国民に対する決まりは普通の法律なんだ。本来は、憲法とは、政府や公務員が勝手に法律を決めたり、変な行政をしないように制限するものなんだよ。国民の権利義務が規定してあるのも、政府が国民の権利を必要以上に制限したり、不要な義務を課したりさせないための条文なんだ」

子「難しいね」

父「新しい制度で「裁判員」って知っているよね。国民は、裁判所から指名されたら、裁判員をする義務があるんだ。でも、憲法に規定していない義務なんて明らかに憲法違反だとお父さんは思うよ。憲法違反かどうかを決める裁判所が憲法違反の制度を作ったのは、反則というものだろう」

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