教育出版「中学社会歴史」批判その2(古代その2)
まだしばらく突っ込みどころ満載の古代を続けます。
第2章の2.古代国家の成立
マル1.戦うむら(くにと王の誕生)
マル2.巨大な古墳(大和政権の発展)
マル3.整う古代国家(律令国家への歩み)
マル4.東アジアの交流(隋・唐と東アジア)
まず驚かされるのは、「戦うむら」というおどろおどろしい表題。そのわりには絵はのんびりと稲を刈る光景なんですけど(笑)。絵に似合う表題は、例えば「稲作と弥生文化」ですね。
「世界を愛した日本」でも取り上げられている部分です。いわゆる「原始共産制」社会の後に人民から搾取を目論んで「支配者」階級が現れ、闘争が始まるというマルクス史観そのものの記述です。そんなのは単なるイデオロギー、実証的には否定されているのに。
マル2.「巨大な古墳」では、まず「大山古墳」というのが出てきてなんだろう?と思ったら仁徳天皇陵。「伝仁徳陵古墳」とも書いてあります。これでは世界一大きく有名な陵が天皇陵とされていることがわかりません。よほど「天皇」と書きたくないらしい。当時は天皇とは呼ばれていなかったから?ふーん。後世の人が「天皇」と呼ぶのは、きっと巨大な問題があるのでしょう(笑)
また、私らのころからあった表現ですが、「渡来人」は変です。わざわざ渡来して、未開な日本に進んだ文化を伝えた使命感溢れる人たち、という雰囲気にしたい表現。なんで半島に帰らなかったのか。正義感でなく、単に日本が住みやすく、半島が住みにくかったからに決まってます。日本の立場では、帰化人と書くべきです。もちろん彼らも我々の大切なご先祖様です。
渡来人は仏教・儒教などの思想を伝えました、とあるけど、内容が不十分。仏教伝来は538年くらい書いてよ…ほっとけゴミやさん、です(笑)。また、高句麗好太王の碑文にある、大和朝廷が百済を助けて高句麗と戦い破ったことは、当然のごとくスルー。半島の史観そのものです。
マル3.「整う古代国家」では、全体的に記述が薄すぎます。白村江の戦いで敗れたことも載っていないのは愛国心なんでしょうか(笑)。「新しい歴史教科書」では十七条憲法(要旨)を全部載せるなど、聖徳太子関係だけで4ページ。白村江の戦いで敗れ、百済から亡命者が来たことも詳しく述べています。こんなに教科書で記述が違ったらどうやって高校入試するのでしょうか…
マル4.「東アジアの交流」。まあ、白村江も載っていないのにコメントすることもありません。新羅からは「すすんだ文化」が来ているらしい、有り難いことで(笑)
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コメント
こんな太古の時代にまでマルクス主義を持ち込むなんて、どうしようもないですな。考えようによっては明治維新以降の日本を「天皇制ファシズム」と主張するよりも、なおみっともない事ですよ。
そもそも裕福な「支配者」なるものが存在しなかったならば、人間の組織化が成り立たずに、小さな家族を単位とする自己完結な社会のままにとどまっていた可能性が高く、とても、より大きな国家への発展は望めなかったと思うのですが、そう言った視点はないのでしょうか。
投稿: DUCE | 2009年6月28日 (日) 22時25分
DUCEさま
古代はあまり文献が残っていない(残っていても創作ということにしてしまう)ので、左巻きの歴史学者が好き勝手書いているのが教科書にも載ってしまうのですよ…ひどいもんです。
投稿: 練馬のんべ | 2009年6月28日 (日) 22時47分