奉祝!文仁親王殿下のお誕生日
文仁親王殿下のお誕生日に際しての記者会見の内容
問1 両殿下にお伺いします。
(1) 長男の悠仁さまが満2歳になられました。最近は屋外で元気に遊んだり,言葉の数が増えているとのことですが,最近の成長ぶりや家庭でのご様子をお聞かせ下さい。
殿下 恐らく今日も,天気も良いことですから,今ごろもどこかこの付近で遊んでいるのではないかと思われます。最近見てますとだんだんと単語の数が増えてきたように感じます。まだセンテンスで話すということではないのですけれども,少しずつ表現が(妃殿下を振り向かれて)多くなってきているようには思います。
妃殿下 宮様が話されましたように,なるべく外に出かけましてお庭で過ごしたり,また池まで出かけたり,東御苑に参りましたり,それから遠いところですと,那須の山や葉山の海などに行く機会を通して悠仁の関心の対象や行動範囲が広がっているように思います。外でとても元気に遊んで走り回っており,私も一緒に時間があるときは遊んでおります。時々元気が良過ぎて私が一休みをしていることもございますが,外で遊ぶ時間をこれからも大事にしてまいりたいと思っております。
夏ごろからでしょうか,庭にいる小さな虫,バッタやカマキリなどを見つけて上手に捕まえて,手で持ったりまた袖(そで)に乗せたりしてよく観察しておりました。最近は,寒くなりまして虫の姿も少なくなりましたので,虫探しの喜び,楽しみは工夫しないとできなくなりましたが,そういう中でもきれいに色づいている枯れ葉の上をかさかさと音を立てながら進んだり,太陽の光に輝いている蜘蛛(くも)の巣をくぐったり,また川のせせらぎの音に耳を澄ましたり,外で歩く楽しみを覚えたようです。また,散歩の途中で拾いました木の実,例えばドングリや小石を宝物のように大事に持ち続けたり,宮様や娘たちにも一緒に散歩しておりますとそれを贈物のように渡してくれたり,また一つずつ地面に並べて,「ひとつ,ふたつ…」と数えてすごしているときもあります。
部屋では宮様が奏でるギターの音色や娘たちの歌声,それから童謡の音楽のCDなどに合わせて悠仁も歌うようになりまして,また娘たちと一緒に木琴を鳴らしたり,ピアノの鍵盤(けんばん)をさわったりすることもございます。
また,娘たちが親しんで読んでいた動物などの絵本を,悠仁も私と一緒に読むようになりまして,覚えた言葉を物語に合わせて話したりすることも多くなってきました。宮様や娘たちと一緒に過ごす時間,場所,一緒に遊ぶ,一緒にいられる,そのようなときをとてもうれしく思っているように感じられます。
家族と一緒にすごす時間がとてもうれしいようでございます。
(2) 一部では「帝王学」などという言葉も聞かれるようになりましたが,今後の教育方針については,どのようにお考えですか。
殿下 これからしばらくすれば幼稚園に行って,それから小学校,だんだん上の学校に行くわけですけれども,そのような中できちんとした社会生活をできるようになってくれればと思います。またそれと同時に皇族としての自分の立場も追々自覚し,これは前に娘たちのことでお話ししたこともあったかもしれませんけれども,持ってもらうようになったらと思っております。そのほか,これも上の二人の娘と同じことになりますけれども,自分が関心のあることなどを深めていってくれれば良いなと私は思っております。
妃殿下 今,宮様がお話しされましたこととあわせて,悠仁もまだ2歳ですが,年齢に応じて基本的な生活習慣を身につけて,心豊かにはぐくみ,健やかに成長できるよう考えております。
(3) また,この夏には,軽井沢と葉山をご一家で訪問され,天皇皇后両陛下とお過ごしになられました。3人のお子さま方と両陛下とのご交流の様子をお聞かせ下さい。
殿下 悠仁はまだいろんな話をするということではありませんけれども,上の二人の娘については,それぞれの年齢に合った話を両陛下としております。今年の夏は8月の後半でしたかね(妃殿下に確認なさるようなご様子で),軽井沢に行きました。目的は,夏前でしょうか,御所で両陛下と話をしているときに,私が子どものころよく両陛下と一緒に登った山がありまして,浅間山のすぐ近くにある石尊山(せきそんさん)という山なのですが,一時は確か噴火の関係で登ることができなかったのですね。それが今は登れるということを何かで陛下が知られて,その話になって,登ってみようかという話になりました。私もそれでは一緒に行きましょうと。ただ上の娘たちはそのとき用事があったので最初から行くことができなかったのですが,こちら(妃殿下)と悠仁は行くことができたのですが,さすがに2歳の子どもを抱いて登ることは少し難しいので,そのときはホテルで留守番というような話をしていたのです。あいにく天候が悪くて山に行くことができなかったわけですけれども,そのお陰と言っては何ですけれども,両陛下と家族3人一緒に,それほど距離は長くありませんでしたけれども,楽しく一緒に散歩することができました。
また今言われた葉山御用邸では,私たちと長女の眞子と悠仁と4人で,陛下の漕(こ)ぐ舟に乗せていただいてしばし海の上を楽しんだわけですけれども,恐らく娘にとっても悠仁にとっても初めてになるのでしょうか,なかなか無いことですので最近はあのような艪(ろ)の付いた舟というは,良い経験になったのではないかと思います。
妃殿下 先日,家族皆で御所に参内いたしましたが,その日はちょうど長女の眞子が5日間の修学旅行から戻った日でございました。そのため,早速デジタルカメラで撮影した奈良や京都の訪れた場所の写真を収めたアルバムをご覧に入れまして,眞子が修学旅行のことについてお話し申し上げました。それを両陛下は関心を持ってお聞きくださり,あわせて先に京都で行われました「源氏物語千年紀」の記念行事に関連するお話をしてくださいました。
また,佳子は11月の中旬に私と一緒に出席した,中学生が発表する行事「少年の主張全国大会」の様子をお伝え申し上げました。両陛下は皇太子同妃両殿下でいらしたころにその行事にご臨席され,また青年の主張の関係の行事などについて,いろいろなお話をしてくださいました。
また,悠仁は娘たちが両陛下と一緒にお話をしているそばで,自分もお話の仲間に入ったように静かに聞いていることもあれば,娘たちが小さいときに御所で遊ばせていただきましたおもちゃや敬宮様がお遊びになっていらしたおもちゃで楽しんでおります。先ほど宮様も話されましたけれども,悠仁は覚えた単語をつなげて話したり,また長い言葉も少しずつ言えるようになってきまして,両陛下にご挨拶したり,自分の気持ちを言葉や身振りでお伝えしますと,両陛下がお優しくお応えくださり,気持ちが通じ合う喜びが悠仁の笑顔から感じられます。
(4) ご公務に同行されることが増えた眞子さま,佳子さまに女性皇族として期待されておられることもお教え下さい。
殿下 年齢が上がるにつれて少しずつ,公的な行事などの公的な仕事に携わることがこれから多くなってくると思います。女性皇族としてということではありませんけれども,一つ一つのそういう仕事を大切に思って務めていってもらいたいと思っております。
妃殿下 娘は二人とも高校生と中学生になりまして,同年代の子どもたちが関わる行事の主催者より出席してほしいとの依頼が出てくるようになりました。
紀宮様も中学生や高校生のとき,両陛下とご一緒に,あるいはご兄弟で,学校の生活を大切にされながら,同じ世代の子どもたちが関わる行事にいくつか出席されたと伺っております。
眞子の場合ですが,今年は,昨年出かけた行事でも,学校の行事と重なって残念ながら行けなかったものもございますが,夏休みを利用して,昨年に引き続きまして「全国高等学校総合文化祭」や今年のみの行事である「日本アグーナリー国際障害スカウトキャンプ大会」に私たちと一緒に出席し,また地方事情視察にも同行しました。群馬県や兵庫県を訪ねていろいろなことを学ぶ良い機会にもなりました。
また,夏には私たちと共に4人で,多くの沖縄の子どもたちが命を落とした学童疎開船の展示を見学いたしました。当時の様子を娘たちも学び,平和についていろいろと考えたのではないかと思います。また,先ほども少し話しましたけれども,11月に昨年に引き続き,佳子は私と一緒に「少年の主張全国大会」に参りまして,全国から選ばれた12名の中学生のそれぞれの考えや思いが生き生きと伝わってくる発表に耳を傾けました。
娘たちがこれからも学校の生活を大切にしながら,一つ一つの経験を重ねつつ,社会から何を期待されているかを感じ,求められていることに応えることができるよう,願っております。
問2 両殿下にお伺いします。
(1) 両殿下は今年1月,インドネシアを訪問されたのを始め,7月には岩手・宮城内陸地震のお見舞いのために岩手・宮城両県を訪問されました。この1年間のご公務を振り返ってのご感想をお聞かせ下さい。
殿下 本年は,1月の中旬からだったと思いますが,インドネシア訪問を始め,あとは主に国内ですけれども,いろいろな場所に参りました。今おっしゃった岩手・宮城内陸地震の一月ちょっとたってからでしょうか,岩手県において行事があったときに,宮城県と岩手県両方の被災地へお見舞いに参りました。もちろん行く前に,新聞ですとかテレビなどで,地震の被害が甚大であるということを認識はしているわけですけれども,実際にそこの場所に行って被災した方々から話を聞いてその様子を知ることで,更にそのときの状況を深く理解することができるなということを改めて感じました。つまり,できる限り実際の場所で,災害とかそういうことのみならずいろいろなことを,見聞することの大切さということを感じております。
その意味でいうと,この一年ということではありませんけれども,私も湧水(ゆうすい)ですとか水族の保全など水環境についてのことにも関わっておりますが,これは以前からできるだけそのようにしているわけですが,行事がそれに関係する場所で行われたときなどは時間の都合がつく限り関係する場所に行って,それに携わっている人から話を聞くようにしております。そしてまた,それによって分かることもたくさんあります。
妃殿下 この一年を振り返りますと宮様とご一緒に出席した様々な行事があり,いろいろな場所を訪れ,多くの方々にお会いしお話をする機会がございました。今年は「日本インドネシア友好年」に当たりまして,1月にインドネシアを訪問いたしました。その訪れた先には,2年前に大きな地震の被害を受けたジョグジャカルタという場所がございました。
殿下 ジャワ島中部地震のね(妃殿下を振り向かれて)。
妃殿下 ジャワ島中部地震(殿下に振り向かれてうなずかれる)で多くの方々が亡くなり怪我(けが)をされました。復興の途中でしたが,まだ地震によって心の傷を持っている方々もいるという話を伺い,心を痛めました。一方では,日本の支援によって耐震仕様に中学校が再建され,そこの中学校を訪れましたが,手作りの歌で迎えてくださったり,また熱心に勉強する中学生の姿に接し,またそのほかには建物が壊れてしまったプランバナン寺院でしょうか(殿下にご確認なさる),そちらでは日本の協力によって修復作業が進んでいまして,そのようなことにもふれて,うれしく思いました。
今年の7月には,宮様も先ほど話されましたように,岩手県と宮城県を訪れ,被災された方々にお会いいたしました。深い悲しみの中にも,復興に尽くされた方への感謝の気持ちを抱きつつ,お互いに励まし合い協力して今後の生活を力強く進もうとする姿に心が動かされました。
このほかにも,この一年にいろいろな行事がありました中で一人で出席したものをいくつか申し上げますと,今年の7月に結核対策の分野で活躍している関係者が集い,意見交換や議論を行った「国際結核シンポジウム」,それから今月の上旬に「Safe Motherhood」について世界の様々な立場の方から発表があった「第49回日本母性衛生学会学術集会」のメインシンポジウムなどがあり,関係する方々から様々なお話を伺いました。
今までにそれぞれの分野で地道に努力をされ,意義深い活動をされてきた方々に深く感謝しますとともに,今抱えている多くの課題の解決に向けて国際機関,国の公的私的な団体,保健・医療などの専門家や婦人会など地域の人々,多くの方々の適切な連携と協力が非常に重要であることを改めて認識いたしました。
(2) また,天皇皇后両陛下は,ご高齢にもかかわらず,精力的にご公務をこなされていますが,今後,両陛下のご公務を,皇太子さまを始めとする皇族方で調整しながら分担することも検討していかなければならない時期ではないかと思います。殿下は,去年の会見で「(陛下の)お仕事の全体の量というのを,これから私たちも把握していくように努めていきたい」と話されましたが,今後の負担軽減や公務分担をどのように進めるべきだとお考えでしょうか。
殿下 昨年,陛下のお仕事の全体量の把握ということを申しました。今年の1月から10月までのお仕事の量と,昨年の1月から10月,同じ時期を比較してみますと,これは主に都内でのお仕事,それから公務を始めとした宮殿での行事などの件数を比較してみますと,これは人によって数え方が違う可能性があるので,一概にこうということは言えないのですけれども,決して昨年より今年が少なくなっているということはないんですね。むしろ昨年より多いぐらい。これにはいろいろな要因はあるかとは思いますけれども,このようなお仕事の量ということについては,引き続き皆で考えながら,どのようにしていくかということを検討していく必要があると思います。
一方,お仕事の数を減らしていくということは横並びの関係もありましょうし,なかなか難しいところがあるのも事実だと思います。そういうことをかんがみますと,具体的にどうというのは今すぐ案が出てくるわけではありませんけれども,一つ一つの行事の内容といいますか,中身を変えていって,それでご負担軽減につなげていくことができるのではないかと思います。例えば,昭和天皇が高齢になられてからもそういう形で宮殿の行事での負担軽減が行われております。ただこれは,恐らくそうだろうと思うんですけれども,昭和天皇が高齢になられてから,それを当時の皇太子殿下やそれ以外の皇族が分担したということはあったでしょうか。私はあまり無かったというように記憶しています。恐らく現在の陛下の場合にも,これは先ほどの付け足しになりますけれども,今の皇太子殿下や私たちに譲れるものは,もうかなりの部分譲られておりますので,そのことからも分担ということを考えていくのは,なかなか難しいのかなというように感じております。
妃殿下 両陛下のご体調をご案じ申し上げております。宮様とご一緒にこれからも皇族としての務めを大切にしてまいりたいと思います。
問3 両殿下にお伺いします。
(1) 皇太子ご一家がこの夏,宮邸の隣にある東宮仮御所に引っ越され,ご両家の交流の機会も増えたことと推察いたします。お子さま方の触れ合いやその際のエピソードについて,長期療養中の皇太子妃雅子さまのご様子と併せてご紹介下さい。
殿下 休日の土曜・日曜は,よく悠仁を連れて3人で散歩をしたり,それから自転車に乗ったりしてぶらぶらと赤坂御苑の中を回ることがあるのですけれども,そのときよく皇太子殿下であったり両殿下であったり,会うことがあります。また,あるときは愛子内親王がすぐ近くの芝生のある広場で遊んでいることもあります。そのようなときに,会う機会はかなり多いですね(妃殿下に)。
妃殿下 はい。お天気もよろしかったりするとき。
殿下 そこでしばしの時間,いろいろと楽しく話をして過ごすことがあります。また私たちの娘が一緒にいるときは,愛子内親王と一緒に遊んだりしていることもあります。そのようなときの皇太子妃殿下のご様子ですけれども,非常ににこやかな感じで過ごされています。
妃殿下 少し重なってしまうかもしれませんが,秋のお天気の良い日には,外に散歩に出かけると,幾度もお目にかかる機会がございました。広い芝生で敬宮様がお遊びをしているときに,悠仁もご一緒させていただくこともございまして,とてもうれしそうにしています。
先日は,皇太子同妃両殿下と敬宮様が宮邸にいらっしゃいました。敬宮様は悠仁とおもちゃや小さいジャングルジムでご一緒にやさしく遊んでくださり,また学校から戻ってきました娘たちが加わり,にぎやかな時間を過ごしました。
殿下 庭の後ろから出ると本当にすぐ来れますので,急な坂道を上がらないといけないのですけれども,その点では非常に便利で…(妃殿下を振り向かれて)。
妃殿下 本当にお隣同士で(殿下を振り向かれて)。
殿下 隣同士で良くなったと思いますね(妃殿下を振り向かれて)。
妃殿下 また少し前のことになりますが,今年の春ころでしょうか,御用地内の池にカイツブリの巣作りが見られ,その後,親鳥が抱卵し,数羽のヒナがかえって,親鳥が小さいヒナを背中に乗せて泳いでいる姿を間近に見ることができました。散策されていらっしゃる皇太子妃殿下とその近くで会えましたときは,特にそのカイツブリの様子について,お互いに近くで見るのは初めてのことでございましたので,楽しみながらお話しをいたしました。
(2) また,今年2月に羽毛田長官が皇太子ご一家のご参内回数が増えていないと発言したことについて,どのように受け止められましたか。両殿下のご参内に対する考え方についても併せてお聞かせ下さい。
殿下 羽毛田長官が今年の始めに発言したことは,参内の回数ということも言っていましたけれども,自分の発言したことを大切にしてほしいということ,それが一番の趣旨だったと私は理解しております。そのことから言うと,私も小さいことも含めて,あまりこれは言いたくはないのですけれども,いろいろと頼まれて…。
妃殿下 お忙しいですし(殿下をご覧になりながら)。
殿下 安易に引き受けて,その後,間に合わなくて周りの人に迷惑をかけていることが,多々あるわけではありませんけれども,ときとしてあります。そのような自分自身のことを考えますと,自分が言った言葉を大切にするということは,私自身も心しておかなければいけないなというように思います。
それと参内についてということですけれども,私たちにとって参内ということは御所に行って,仕事の話ですとか,研究の話もあります。そのほか様々な話をする場と考えております。そして私たちの子どもたちが一緒に行っているときには,世代を超えた交流をする機会であるというように思っております。そのような中でそれぞれが,必要なことについて話をして,その事柄についてみんなで意見交換を行ったり,話合いをしたりする場所であり,そのような機会をこれからも大切にしていきたいと思っております。
妃殿下 娘たちのことになりますけれども,二人は高校生と中学生になり,以前に比べて授業や学校行事が多くなり,参内する機会が少なくなりましたが,両陛下とご一緒に思い出深い時間を過ごさせていただいております。これからも両陛下のご日程がよろしいときにお会いして,両陛下よりお話を伺いましたり,また娘たちがそれぞれ関心があることをお話し申し上げるそのような時を大切にしてまいりたいと思います。
問4 殿下にお伺いします。来年は両陛下にとり,結婚50年と即位20年という節目の年となります。これまでの両陛下の歩みをどのように見守ってこられましたか。先月には,ごきょうだいで企画された皇后さまの写真展が開かれましたが,この展示に込められた思いも併せてお聞かせ下さい。
殿下 来年がその節目の年に当たり,特にご成婚50年ということを考えますと,私はその内の40何年は,ずっと見守ってきたということになるわけですけれども,子どものころ,それからかなり大きくなるまでは,両陛下のなされてることというのを,それほど意識しないで,ある程度の年齢まできたような気がします。しかし,そのある年齢以降,それから現在ですね,両陛下の歩んでこられた姿というのを改めて考えますと,常に一つ一つの事柄について,真摯(しんし)に向き合ってこられたのだなという印象を持っております。
また,この前行われた写真展についてですが,「皇后さまと子どもたち」というのがテーマになっていたわけですけれども,その出展の写真を決めていく過程で,随分沢山の,国の内外での「皇后さまと子どもたち」の写真がありました。その中にかなりたくさんの数の,私も含めてですね,息子と娘に当たる私たち3人の兄弟(妹)の写真も含まれておりました。そのようなものを見ていきますと,もちろん「皇后さまと子どもたち」というテーマではありますけれども,その一方でなんて言いましょうか,ある意味家族の歴史みたいなことをたどるというか,そういうことを見る機会にもなって,大変懐かしく感じました。
問5 殿下にお伺いいたします。
(1) 殿下は10月に東京農業大学客員教授に就任されました。これまでも非常勤講師として指導に当たられてきましたが,客員教授としての意気込み,学生に伝えていきたいことをお聞かせ下さい。
殿下 東京農業大学は,少し前から非常勤講師として関わりがありまして,この10月に客員教授になるようにというお話があって,お引き受けをしました。私自身はいわゆる専門の研究者という立場ではないわけで,学生さんに多くのことを伝えるということはできませんけれども,私自身が自分の関心事として今まで調べてきたりしたことというのはあるので,私の話を聞いてくれる人がいて,その人たちがそういうことに今までふれたことが無かったり,知らなかったりしたことがあったときには,こちらから伝えていきたいですし,また,学生さんたちが知ってることで私が知らないこともたくさんありますでしょうから,そういう接触の中で,教えてもらうこともあるでしょう。何と言うんでしょうね,そのようなことをして情報を共有するようなことができればいいなと思っております。
(2) また,殿下は今春,貴重な鳥の剥製や蔵書などの展示会や,それに合わせて出版された「鳥学大全」の編集に携わられました。最近の研究活動について,また,殿下にとってのご研究とはどのような位置づけなのかと併せてお聞かせ下さい。
殿下 今年の3月から東京大学の総合研究博物館で「鳥のビオソフィア」という展示を行い,幸いなことに多くの方に見ていただけたことを大変うれしく思っております。また,それに関わる本を作ることで,鳥の世界というものが随分大変な広がりを持っているものだということも改めて認識いたしました。
現在の研究活動というお話でしたけれども,以前もお話しをいたしましたが,ここ何年間か,タイ国の研究者と日本の研究者が共同して,鶏の原種について,つまり鶏の原種がいる地域の一つであるのがタイというところなのでそういうことになっているわけですけれども,野生のものから家畜へ,家禽(かきん)へ,そういうドメスティケーションのプロセスを考えようという共同研究を行いまして,それが一段落しているのが現状です。現在,それまで行ってきた成果を発表するための本の準備をしているところであります。これも,先ほどの自分の言葉を大切にということとちょっと関連するのですけれども,大体この時期までにというスケジュールを自分で提唱しておきながら,大分延ばし延ばしになって,迷惑をかけているのですけれども(一同,笑い),それほど遠くないうちに,多分出版されることになると思います。
また,これは研究というものではないかもしれませんけれど,先日,トキの放鳥式典に参列しましたが,希少野生動物の保全ということは非常によく言われております。その一方で,家畜の仲間にも絶滅に近い状態のものがいるわけですね,在来の家畜家禽(かきん)で。例えば,佐渡にも髭地鶏(ひげじどり)という貴重な鶏がいますし,そのほかかなり多くいますが,そういうものを今後どのように保存し,維持し,継承していくかということ,そういうことを考えることにも携わっていこうと思っております。
また,もう一つおっしゃった私の研究の位置付けですけれども,私にとっては,知りたいことを知るということ,これがやはり一番だと思います。それからもう一つは,ふだんの生活の中に研究という要素があることによって,何て言うんでしょうね,自身の活性と言いますかね,そういう部分になっていると思います。
関連質問 両殿下にお聞きしたいのですが,悠仁さまのご発語についてですね,殿下はまだセンテンスにはまだなってないというようなことをおっしゃったんですが,また一方では,妃殿下は長い言葉を少しずつですね,お話になるというようなことをおっしゃったと思うのですが,具体的に長い言葉というのはどんなものなのか,お示しいただければと思うのですが。
(殿下が妃殿下にご発言を促されて)
妃殿下 そうですね,宮様が話されたセンテンス,文章というのは,主語から始まって全部組み立てられたものが文章ということになると思いますが,今の悠仁は,例えば,「大きい 木」とか,「黄色い 葉っぱ」とか,そういう単語がつながって,そして,長い言葉となる…(少しお考えになり)。私が理解の仕方が正しいのかどうか分かりませんけれども,例えば,「ごちそうさまでした」という一つの短い単語が…。
殿下 「ごちそうさま」が「ごちそうさまでした」になる(妃殿下を振り向かれて)。
妃殿下 はい,そういうふうに,それがなめらかにいくようになるものもあれば,まだ少しずつ短いものをゆっくりと話すときもあります。少しずつ言葉にしながら,また,娘たちが話している言葉にも関心を持って,私たちが話しているときよりも,娘たちが,例えば「行ってきます」「お帰りなさい」と言うのを聞いて,自然に言葉が獲得されているような場面もあるような感じがいたします。
(注) お言葉の重複や助詞など,わかりにくい表現の箇所は,若干の修正をしてありますが,ご発言の内容は変更しておりません。
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コメント
葉山の海で陛下がお漕ぎになる艪舟に!
なんだか凄いと思ひました。
投稿: 葦原屋 | 2008年11月30日 (日) 13時17分
葦原屋さん
そうですね。冷静に考えれば驚きです。
艪というのは非常に効率がいいそうですね。
投稿: 練馬のんべ | 2008年11月30日 (日) 16時46分
>艪というのは非常に効率がいいそうですね。
オールの様にシットアップという全身運動での漕ぎ方と比べれば、遙かに効率が善いでしょうね、船の民を先祖に持つ日本民族ならではのモノでしょう、昔は八丁櫓という高速船まであった様です。
商船学校では必修でしたので、下手ですが私も一応漕げます、しかし、相当練習しました、殿下は何処で練習・習得されたのでしょう。
殿下がソレをこなされると知って、実は大変驚いています。
投稿: ナポレオン・ソロ | 2008年12月 1日 (月) 20時47分
ナポレオン・ソロさま
>オールの様にシットアップという全身運動での漕ぎ方と比べ
>れば、遙かに効率が善いでしょうね、船の民を先祖に持つ
>日本民族ならではのモノでしょう、昔は八丁櫓という高速船まで
なるほど、勉強になります。
>私も一応漕げます
すばらしい!私は近所の善福寺池などのボート池でオールを漕ぐのが精一杯…(ボート池は混むことが多いので、バックで漕ぐ変な習性がつきました(笑))
>殿下がソレをこなされると知って、実は大変驚いています
陛下ですよ!
投稿: 練馬のんべ | 2008年12月 1日 (月) 22時06分