長崎県民は知事をリコールせよ
「台湾の声」で知ったことですが、長崎県知事が台湾に対して大変失礼な発言、まさに中共の走狗としかいいようのない発言をしています。一部だけ切り取るのは誤解の元なので、その発言は念のため「続き」に全文引用しておきますが、要点は以下の通り。
・長崎県は中華人民共和国の特別の配慮で、領事館を置いて頂き、直行の飛行機も乗り入れて頂いている。
・従って、中華人民共和国に長崎県独自の対応をせねばならない
・日本国政府は中国は一つと言っている
・「台湾は中国の地方政府、自治区」と日本政府も認めている
まとめれば「長崎は中共サマの特別待遇の家来」「日本国は台湾を中共サマのものと認めている」という無茶苦茶な主張です。そのうち、長崎県は中共の領土、と言い出しかねないような勢いです。
国がそんなこと認めたですって?念のため確認しましたが、日本政府は「日中共同声明」の立場から変わっていません。
『二 日本国政府は、中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する。
三 中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。 』
中国は一つ。でも、台湾が中国の一部かどうかは日本は知らない、中華人民共和国政府がそう言いいたいなら勝手にしなさい。終戦で日本は台湾を放棄したけど中国のものになったなんて言ってないよ。
ということです。長崎県知事が、日本政府が「台湾は中国の地方政府、自治区」を国が認めた、などという主張は間違いなく捏造です。
長崎県知事、よくもまあここまで卑屈になれるものです。情けない。台湾に謝れとは言わないから(こんな輩に謝られても不快なだけ)、北京にでも移住したらどうですか。
長崎県民は、知事をリコールせよ!
続きに長崎県のHPより知事の発言を引用します。
『8.台北駐福岡経済文化弁事処長の表敬訪問への対応について』
○記者(読売新聞社) 台湾の表敬訪問を断られた件ですけれども、なぜ断られるのかとか、断られなければいけないのかということについて、お考えを教えていただきたいと思います。
○知事 県の考え方があるので、それをコピーして皆さん方に配っておいてください。
※台湾との交流にかかる長崎県の見解(行政レベル)(PDF/86KB)
一応長崎県というのは、もうご承知のとおり、日中国交回復が正常化される前から、県も県議会も一緒になって中国との国交回復を早くやるべきだという、そういうスタートで始まったわけなんです。以来、議会も歴代の知事も一緒になって中国との関係を非常に深めてきた。そういう中で最終的に、まず飛行機が飛んだですね。あれは羽田、大阪に次いで3番目なんですよね。正直言って画期的なことだった。一地方空港である長崎に飛行機が飛ぶなんていうことは画期的なことだった。それはやはり中国とうち(長崎県)との関係から、中国当局の配慮だった。
実は、それも最初は日本航空とそれぞれ2つ路線が入っていたんです。でも、日本航空はたしか1994年に廃止したけれども、今も経営は厳しいながらも、中国東方航空はずっと飛んでいただいていると。
領事館を設置していただいたというのは、たしかあの時は胡耀邦(コ・ヨウホウ)さんがお見えになって、そして福岡と長崎に領事館を置くような話がその後決まったわけなんです。ですから、そういう一つ一つの過去の歴史というものを見ていった時に、日本と中国との関係も改善されたけど、長崎はそれ以上に、けれど、他の九州の中には全くそういうものはないんですよ。全くないんだから、何にも。しかし、うちと中国との関係は、過去のそういったものを見てくれば、こういういろいろな関係があった中で今日があるわけですから、総領事館もまだちゃんとあるわけだから。そうすると、私たちはほかの自治体と違った対応の仕方をしなければいけない。
違った自治体の対応というのは、日本国も、中国は一つですということになっているんですよね。ですから、台湾は一地方政府です、自治体ですということになっているんですよ。それは私たちもそれを認めているし、国も認めているから、国も役人は一切台湾には行かないでしょう。外務省が、地方は自由ですと言ったというが、無責任だと私は思うんです、外務省は逆に言えば。自分たちも中央官庁で一切行かないようにしているんだから。そうすると、地方は地方の立場があるということを考えてもらわなければいけない。発言する時、向こうも外務省も。長崎県は長崎県の事情があるから、それをいや、地方は自由に行っていいですよと言っている。そうではなくて、国さえもそこは慎重になってやっているんだったら、当然、長崎県には長崎県の事情があるということを考えて、私は発言すべきだと思うんです。
ですから、私たちは、そういうふうな考え方で今日までやってきました。
ただ、私が知事になってから、やはり台湾から話がありました。でも、私はその時にきちんと事情を話して、向こうは理解してくれたんですよ。
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