大東亜戦争後の戦死者も靖國に合祀を!
『【アフガン邦人男性拉致】両陛下が伊藤さんの両親に弔意』(産経)
『天皇、皇后両陛下は28日、侍従長らを通じ、アフガニスタンで武装グループに拉致され死亡した「ペシャワール会」の伊藤和也さん(31)の両親と同会に弔意を伝えられた。(以下略)』
拉致され殺された伊藤青年は、アフガニスタンのために懸命に働いていたとか。どこかの馬や鹿とは根本的に違うようです。アフガニスタンのため、ひいては日本のために懸命に働いていた青年が志半ばにして斃れたこと、実に残念です。合掌。
両陛下が弔意を伝えられたとのこと、まことに有り難いお話。天皇皇后両陛下、万歳!きっと、陛下は伊藤青年のため拝されていることでしょう。すなわち、伊藤青年は神になりました。
他国のために働いて斃れた人たちと言えば、まずイラクの平和のために寝食を忘れ奔走し散った外務省の奥氏と井ノ上氏。また、カンボジアで公正な選挙の実現のためポルポト派に撃たれた国連ボランティアの中田氏。そして、今回の伊藤青年。みな、事実上の戦闘地域でテロに斃れたのです。名誉の戦死そのものです。
世の中には、大東亜戦争後は「九条」とやらのおかげで日本人の戦死者はいない、と思っているかも知れません。そんな馬鹿な(笑)。古くは朝鮮戦争にかり出されて斃れた人たちも多くいました。
大東亜戦争後の戦死者を祀る神社はありません。でも、それはおかしい。戦死者は、靖國に合祀してほしいものと思います。
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コメント
ご意見に大賛成です。ただ気になるのは、散華されたご本人たちがそれを望まれていたかということがあります。大東亜戦争では「靖国で会おう」というのがあったと思います。
投稿: おっさん | 2008年8月29日 (金) 09時09分
おっさんさま
>散華されたご本人たちがそれを望まれていたか
はい、それは仰せの通りですね。この現代、「殉職」の覚悟を持っていた人はいても、「戦死」の覚悟を持った人は(自衛隊員を除き)いないでしょう。
もっとも、大東亜戦争中でも、非戦闘員で公務中に亡くなった人たち、例えば自決した樺太の電話交換手7人の乙女が靖國神社で祀られると思っていたかどうか…
戦後、事実上の戦死者に対しても、国民が弔意を表する場所はありません。
陛下が拝するのなら、国民も参拝したい、という希望は自然でしょう。もちろん、靖國神社がふさわしいかどうかは議論の余地があります。
投稿: 練馬のんべ | 2008年8月29日 (金) 16時33分
私も、外務省の奥氏と井ノ上氏がイラクで亡くなられたときに、靖国神社に祀られるべきでないかと思いました。民間人については、線引きが難しいところもあると思いますが、国家公務員なら問題ないでしょうし、本来の靖国神社の存在意義にかなっているのではないでしょうか。そういうことをしてこなかったから、大東亜戦争だけに焦点が当たって、誤解されるのだと思います。
投稿: milesta | 2008年8月29日 (金) 18時38分
milestaさま
まさに仰せの通りと思います。国家公務員が戦死した場合は、靖國に祀られるべきですね。奥氏、井ノ上氏は通常の殉職ではありません。
ただ、日本は9条で戦争できないから、戦死はあり得ない、ということなのでしょうか。もしそうなら、戦死なさった方と靖國を徹底的に侮辱するものですね。
投稿: 練馬のんべ | 2008年8月29日 (金) 19時42分