長崎原爆の日
グルジアとロシアで戦争が始まったらしい。また戦争とは悲しいことです。亡くなられた方に合掌。
戦争にもテロにも反対。しかし、ただそう言うだけでは全く無意味。小国グルジアが大ロシアに対してなぜ立ち上がったのか。私にはなんとも言えません。
今日は長崎原爆の日です。合掌。
去年の記事を再掲します。
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犠牲者の方々に合掌。
原爆は、戦争を早く終わらせるためにしょうがないものだった、という許し難い勝者の強弁があります。そんなのは許せません。
しかし、その無茶苦茶な強弁に理あり、と仮に認めてみましょう。しかし、長崎で再度落としたのは明らかに無意味、単なる虐殺、プルトニウム爆弾の人体実験です。
人類生存への挑戦であった旨の国会決議をしてもよいのでは、とさえ思います。SAPIOでも小林よしのり氏がそんなことを書いているらしい。「しょうがない」という諦念をもてるほど、のんべは人が出来ていません。
なお、のんべは反米でもいわゆる「反核」でもないので誤解無きよう。日米同盟なくして日本は守れるものではありません。しかし、いつまでも日米同盟が有効に機能しているという保証もない。そのときもう一度原爆を食らわないためにはどうすればいいのか。それは冷静に考えましょう。
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コメント
>原爆は、戦争を早く終わらせるためにしょうがないものだった
ではなく、日本が降伏する前に落としたかったため、米国は日本の降伏を遅らせた、との話が今では一般的だと聞いています。
日米同盟なくして現在の日本は何もできませんが、米国といえども信頼はできません。しかし、今の日本では日本人さえ信じられないのが泣き所です。
投稿: おっさん | 2008年8月 9日 (土) 20時01分
おっさん様
>日本が降伏する前に落としたかった
そうでしょうね。人種差別そのもの。
>今の日本では日本人さえ信じられないのが泣き所
ほんと、その通りです。とはいえ、日本の夜明けは近い、と信じています。
投稿: 練馬のんべ | 2008年8月 9日 (土) 20時20分
>日本が降伏する前に落としたかった
ですよね、沖縄陥落が6月23日、ポツダム宣言の告知が7月26日ですから、その一ヶ月の間に、日本の抵抗力は絶無に近く成っていたでしょう、全くの丸腰ではなかったが、原爆の投下理由が、公表された「米兵犠牲見積100万人」ではないことは明かでしょう。
それでも尚、広島にはデモンストレーションの意味があったと考えても、長崎への投下には意味合いが薄いし、他にも、何故、広島で実績が上がったウラニウム爆弾ではなかったのか、何故、三菱直上ではなく人口密集地を狙ったのか、何故広島から3日後だったのか、ソ連の満州侵攻、参戦日と日を同じくしたのは何故か・・等々、疑問符が沢山着く事が在ります。
就中、投下機以外にも、追随するB29が数機居たが、それらは、爆撃や防御、或いは囮の意味は持たず、ひたすら航空写真をとり、大気を観測する事を目的としたモノだった事から、米国には投下に際し、人体実験を企図して居たことが明らかに判ります。
これらを正当化する、米国の云う「正義」に如何程の価値がありましょうか、ソレが証拠に、米国国内で戦禍が起こっていないにも拘わらず、大戦後の、紛争や戦争で戦死した国民が圧倒的に多いのは間違いなく米国でしょう、彼等は、本当に国や国益を護るために死んだのでしょうか、その答えを出すのは米国民自身で無くては成りません。
投稿: ナポレオン・ソロ | 2008年8月10日 (日) 09時31分
ナポレオン・ソロさま
>これらを正当化する、米国の云う「正義」に如何程の価値がありましょうか
米国基準だけが「正義」ですね。
>証拠に、米国国内で戦禍が起こっていないにも拘わらず、
>大戦後の、紛争や戦争で戦死した国民が圧倒的に多いのは
>間違いなく米国でしょう、彼等は、本当に国や国益を護る
>ために死んだのでしょうか、その答えを出すのは米国民
>自身で無くては成りません。
「正義」のためならお節介な国。感覚的に理解不能です。神の国の庶民には、GODの国のことはわからないのでしょうかな。
投稿: 練馬のんべ | 2008年8月10日 (日) 10時19分