人権擁護法案を切り捨てた読売社説GJ!
『人権法案 現行制度の改善の方が先だ』(5月31日付・読売社説)
読売新聞で人権擁護法案関係の記事は殆ど読んだ記憶がないのに、いきなり大上段から「断念すべきだ」と言い切られているので、唐突感は否めません。
まあ、今までのことは忘れましょ。この社説には大いに賛成。論評は蛇足なので加えません、ぜひご一読下さい。
(続きは記事の保存です、当面はリンク先をご覧ください)
『人権法案 現行制度の改善の方が先だ』(5月31日付・読売社説)
人権擁護法案の装いを変え、なお今国会提出を目指す動きが自民党内にある。会期末を控え、党内すら議論を二分する法案を出すことには、多大な疑問がある。断念すべきだ。
自民党の人権問題等調査会で会長私案が示された。反対派に配慮し、地域の人権問題に携わる人権擁護委員は日本国民に限られ、報道を規制する条項を外した。
「あいまいだ」と批判の強かった人権侵害の定義を明示する代わりに、人権侵害に該当する例をいくつか挙げた。
だが、大きな論点だった侵害の有無を判断する「人権委員会」の位置づけや権限は、不明確だ。
従来の法案では、法務省の外局とし、裁判所の令状なく立ち入り調査できる権限を与えていた。
人権侵害を起こしてきた刑務所や入管施設を束ねる法務省の外局では、独立性に疑問がある。
しかも、私案で示された人権侵害の例には、「反復して行う差別的言動」「差別的取り扱いを誘発する差別助長行為」など、どういう行為を想定しているのか不明瞭(めいりょう)なものが掲げられている。
拡大解釈可能な例示を基に、人権委の立ち入り調査権が残るとすれば、依然危険性が大きい。
国連規約人権委員会の勧告に端を発した法案作りは、本来は公権力の逸脱を防止するためだ。例示には「公務員が行う虐待」も含まれてはいるが、他のあいまいな例と同列に並べられている。
名古屋刑務所の刑務官による集団暴行事件を受け、収容者の不服申し立て制度が設けられた。
だが、審査するのは“身内”の矯正管区長と法相だ。法相が「問題なし」と判断しようとする時だけ、法務省の別の部署に事務局を置く第三者の調査検討会が調べる。こうした仕組みこそ、実効性を持つよう改善すべきだ。
警察でも、冤罪(えんざい)と判明した鹿児島県の選挙違反事件や富山県の婦女暴行事件をはじめ、取り調べなどをめぐる不祥事は絶えない。
警察当局は取り調べ監督制度の導入などを打ち出しているが、こうした制度を定着させ、人権侵害を防ぐことが求められる。
司法制度改革の一環として創設・機能充実が図られた日本司法支援センター(法テラス)や裁判外紛争解決手続き(ADR)も、もっと有効に生かすべきだ。
現行制度を改善・強化し、不足を補う。ならば、個別の問題に対処する法律の改正が先だ。それが実効性のある人権侵害防止の仕組み作りの基本ではないか。
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コメント
う”~ん、読売もWGIPに関係ない事なら、ちゃんとした良い記事が表に出せるワケですね「権力の暴走を、正論で止める」のが、新聞やTVが「社会の公器」足る由縁です。
ジャーナリスト足るモノ、公正さとは何か、差別とはドウして産まれるのか、我々は身近に発生する差別にどう向き合うべきなのか等々の、人権問題を論じるに、根元に潜む伝統的差別観やその実態の解決に向けて、生じる設問に対するそれぞれの答えや意見を予め用意出来て居なくてはイケナイでしょう。
差別の解消を叫ぶモノが一方で、差別に対する救済策を既得権として悪用し、周囲も不正を看過して、結果、差別を温存している事例が多く存在する、その活動が差別擁護に向いている事すら看過されている事に何等警鐘も鳴らせないのでは、マスコミの存在価値は無いに等しい。
投稿: ナポレオン・ソロ | 2008年6月 2日 (月) 15時17分
のんべさん、こんばんは。
私もこの人権擁護法案は反対です。
人権を守ると謳い、実は差別されていると豪語する
人達が差別を行い人権弾圧をするように感じます。
人権擁護委員会は強い権限を持ちますが、その人選
が怪しいですよね。
権限の強さから三権分立も崩れ、言論の自由が無く
なるように感じます。
私は悲しいかな、生まれた時から学会員でして、
恐怖心を植えつけられ、マインドコントロールされ
て育ちました。
が、ネットの情報でそのMCを自分で解いたので
すね。
その、情報通なネットユーザーの声をつぶすのが
目的では?
と疑ってしまいます。
目覚める学会員に本部は歯止めをかけるため、公明を
使ってこの法案を内密に進めているのでは?と推測
してます。
全体主義にはMCが不可欠なのですが、言論の自由
は、この全体主義には邪魔なのでしょうかね。
例えば、「創価はカルトであり、詐欺団体だ」とネ
ットで発言した場合、途端に私はマークされるでし
ょう。
創価被害者が被害を訴えただけで検挙なんて事が
ありそうな気も。
だって、批判されると「デマだウソだ」「偏見だ」
「差別だ」と言うのが大抵の学会員さんですので。
ん~危険な感じがしてます。
投稿: ぴよぴよ | 2008年6月 2日 (月) 20時28分
ナポレオン・ソロさま
>差別に対する救済策を既得権として悪用し、周囲も不正を
>看過して、結果、差別を温存している事例が多く存在…
>警鐘も鳴らせないのでは、マスコミの存在価値は無いに等しい
まさに仰せの通り。
投稿: 練馬のんべ | 2008年6月 2日 (月) 21時24分
ぴよぴよさま
ご苦労なさいましたね。今は「親バカ病とオット好き好き病」とは、「女房にほれて家内安全・親ばかちゃんりんそばやの風鈴」(プロフィールより)の私と同じ不治の病(笑)
>人権擁護委員会は強い権限を持ちますが、その人選が怪しい…
>権限の強さから三権分立も崩れ、言論の自由が無くなるように
そう思います。なし崩しにそうなるでしょう。
>目覚める学会員に本部は歯止めをかけるため
そういう面も多分あるでしょうね。「人権」とやらの既得権を得ている組織による推進の大合唱になっている感じがします。
>批判されると「デマだウソだ」「偏見だ」「差別だ」
>と言うのが大抵の学会員さんですので
うーん、残念なことです。学会員さんには素晴らしい方々がとても多いと思いますが、他の宗教を邪教呼ばわりするのにはがっかりします。
原理主義は大自然の原理といちばん矛盾するような気がしてなりません。
投稿: 練馬のんべ | 2008年6月 2日 (月) 22時10分
>のんべ様
>>他の宗教を邪教呼ばわりする
はい、是が創価学会の「宗教」足る自己証明みたいなモノでしょう、しかし、同時に自分の信奉するモノを「絶対善」として置いて、他の尺度を認めない、つまり、批判を受容しないと言う事ですから、全体主義そのものを標榜している事にも成ります。
元はと言えば、日蓮の云う処に「法華経は仏陀究極の教えだから、他の教義は意味がない」との主旨の発言に根ざして居ると聞きますが、では、日蓮を称揚する各宗派が、同様に排他的かと云えば、創価学会ほど絶対視していないでしょう。
例えば創価学会に次ぐ信者規模の立正校正会は、創価学会と色々な面で対立関係にありますが、同じ法華経の方便品第二を教義の中核に据えて居るのに、完全に異教である統一教会の研究を命ぜられた幹部が研究に没頭する余りに、数十人規模の信者を伴っての脱会者まで出している程です。
投稿: ナポレオン・ソロ | 2008年6月 3日 (火) 11時12分
>>原理主義は大自然の原理と一番矛盾する様な気がしてなりません
所謂、西洋に云う宗教は、神様と人間と言う分離した観点で描かれたものですから、その原理に直くなろうと言う事は、神による統治主義を完全受容する事ですが、一体、その神が何故、同じ人類を色分けして悪ときめつけて罰したり、争わせたりするのでしょうか、実はそこにモゥ神など居らず、唯の、ご都合主義が支配しているダケではないのか、と疑ったりします。
是が仏教やヒンドゥー教などに成りますと、神は自然の表象でしかなく、魂のあの世での評価は、生きている間の行動によって左右され、来世に顕れると言う=輪廻、法則的なモノとして認識されます、是を宿命と捉えるのが、ヒンドゥ教で、ソレを在世中に変えられるとするのが仏教でしょう、是亦、別の意味で人間主義と言う他は無い。
大自然の悠久を意識できれば、我々人類は、宇宙にとって、否、地球にとってさえ、一瞬の光明に等しい時間の存在だと言うことが判るはずです、人間中心主義が間違っている事は明かです、我々は幸いに科学という新しい視点と科学技術という目を持つことが出来ました、その新たな視点と目で大自然の法則を解き明かす事が出来るかも知れません。
例えば、大自然はその多くの生物種を産み出しましたが、その中で多様性を創造し、維持して居る生物種を繁栄させる、ソウでない種類は絶滅させると言う法則を発動しています、是が適者生存の原理です、環境の急変に順応する為には、その生物種自体が多様性を維持できなくては、環境変化に対する生存数の確保は難しいからです。
こんな中で、我欲の求める先に存在する、「人類にとって都合の善い固定した真理」は、その法則に真っ向から背くモノです、千変万化する情況に一定の真理はあるでしょうが、ソレは常に人類に有利に働くとは限らないモノであるのは、起こりうるあらゆる事象を鑑みても、人類よりも地球が生き残る方の可能性が遙かに大きいことから明白です。
創価学会は、一貫して人間主義を唱えています、しかし、世尊仏陀が説き明かしたのは、宇宙の真理・法則だったのではなかったか、しかも、ソレは「説明が出来ない」と仰っていました。
しかし、我々は科学を発展させた事で、彼が説いた中の華厳経の比喩が完全に原子モデルを言い表し、時空についてもその範疇にある事を知りました、彼の説明や悟性が非常に科学的に妥当なモノである可能性が高く成っています、つまり、仏陀の悟りは人間主義の様なご都合主義や、特定の生物の妄想域では、説明できないが、科学の視点なら解読可能かも知れないのです。
すると、現在の創価学会の人間主義の活動の原点には、仏陀の考えは不在と言うことに成ります、正に池田教なのでは無いでしょうか。
投稿: ナポレオン・ソロ | 2008年6月 3日 (火) 11時15分
ナポレオン・ソロさま
のんべの宗教観…人間は大自然の一部、というより、人間も大自然そのものと思っています。そしてそれはまさに奇跡。
大自然を征服すべきものと考える宗教観は、私には理解できません。
投稿: 練馬のんべ | 2008年6月 3日 (火) 22時04分
>大自然を征服すべきものと考える
ではなく、彼等のは、自然を含めた世の全てのモノが、「人間のために用意されたモノだ」と言ういわば、人間「中心」主義だと思うわけです、そこには、命を呉れた他の生物に対する感謝を神に対してのみ行うという、傲慢さが見え隠れします、我々とて「地球の欠片」でしかないのにです。
人間は、科学で自然の中に秘められた神業の妙を知る事は出きるかも知れませんが、無から有を産み出せないのは判りきっています、斯うやってみれば、本当の意味での科学者は、如何なる偉大な宗教者よりも、神の為し事である奇跡に出合い、その業績を覗く機会に恵まれているのかも知れません。
投稿: ナポレオン・ソロ | 2008年6月 3日 (火) 22時26分
ナポレオン・ソロさま
一神教は自然に恵まれないところで発展する傾向があるやに聞いています。仰せのように人間中心主義でもあり、また大自然は闘って征服すべきもの、という感覚も生まれるようです。その結果が砂漠化ですが…
無から有は作り出せないとは、熱力学第二法則(エントロピー増大の法則)とも言えます。しかし、命は太陽エネルギーにより「還元」する力を持っています。太陽も命も大自然。
何言っているのかよくわからなくなってきました。今日は寝ます(苦笑)
投稿: 練馬のんべ | 2008年6月 3日 (火) 23時08分