昭和殉難者(いわゆる「A級戦犯」)の、東郷神社への分祀風合祀は有力な案
『A級戦犯:「東郷神社が受け入れを」 前宮司、著書で提言へ』(毎日)
記事を読む限り、いわゆる「分祀」ではありません。
靖國神社の御霊(みたま)は、祀られると座布団のようなもので分けられない、と靖國神社は「座布団」のたとえを使いますがこれはわかりにくい。(写真は靖國神社)
特定の御霊をコップ一杯の水と思って下さい。そこから耳かき一杯の水をすくって、靖國神社という「御霊の水槽」に入れる。それが合祀です。
「御霊の水槽」から、先程入れた耳かき一杯分の水を分離することは、「ラプラスの悪魔」を手下にしている神には出来るのでしょうが、人間にはできません。それが、いわゆる「分祀」はできない、ということです。
二百四十余万柱の「御霊の水槽」から再び耳かき一杯分の水をすくえば、それはやはり二百四十余万柱の霊の籠もった水になります。それが正しい意味の「分祀」です。
当初の特定の「御霊コップ」にはやはりほぼ一杯の水が残っています。そこから耳かき一杯の水をすくって別の水槽に入れることは、人間にもできます。別の神社にも祀る、ということを、そうたとえれば比較的わかりやすいと思います。それが「合祀」です。
論理的に考えようとしても不可能な話。こんなもんだ、といういいかげんな理解はまことに日本人的なものだろうと思います。いわゆる「A級戦犯」と呼ばれる昭和殉難者を東郷神社にも合祀することはなんの問題もないことなので、それを大々的に宣伝して、靖國神社では黙ってしまえばいい。そんな発想でしょうね。(写真は東郷神社)
私も似たようなことを考えて『昭和殉難者大社の建立を!』という記事にしたことがあります。そして、国境の島には分社を設けて国を護って貰おうと。
昭和殉難大社は簡単には実現できないので、東郷神社にお願いするのは妙案かも知れません。
東郷さんと言えば日本海海戦、対馬や尖閣諸島にもぜひ分社を祀って欲しいものと思います。東郷元帥+昭和殉難者の力を持って国境を死守していただければ、こんな心強いことはありません。
(続きは記事の保存です、当面はリンク先をご覧ください)
◇分祀論「靖国宮司に説明」
靖国神社に祭られているA級戦犯を、旧海軍ゆかりの東郷神社(東京都渋谷区)に分祀(ぶんし)すべきだ--。東郷神社前宮司の松橋暉男(てるお)氏が来月出版する著書「幻の揮毫(きごう)」(毎日ワンズ)で、神社関係者では異例の提言を行う。
全国8万神社をまとめる神社本庁は「分祀は神道の教義上できない」との見解をとっているが、傘下の有力神社の「A級戦犯受け入れ」表明は、分祀論議に拍車を掛けそうだ。
同書は、A級戦犯合祀が中国などの反発を招いた問題は、首相参拝が行われなくても解決しないと指摘。論争が収まった「今こそ真剣に取り組むべき時だ」と訴える。そのために、東郷神社境内の「海の宮」にA級戦犯を合祀するよう提唱。神社本庁などの主張通り靖国神社に「御霊(みたま)」が残っても、東郷神社に「移った」と見なして「ご遺族は心おきなく新しい座にお参りすることができる」ようになるとしている。
中国などにも「誠意ある対応をしたことになる。靖国参拝のカードは有効でなくなる」ため、外交問題を沈静化できるという。
松橋氏は「私は靖国神社に代わる新たな国立追悼施設反対の立場で、神社本庁と一致している。後任の東郷神社現宮司も私の考えをわかってくれると思う」と話している。
松橋氏は小泉純一郎元首相の参拝が問題になった05年にも分祀論を試みたが、神社本庁から「発言を慎むように」と注意され断念。07年4月に名誉宮司に退き、提言に踏み切った。旧知の南部利昭・靖国神社宮司にも分祀の必要性を説いているという。
分祀論は、日本遺族会の古賀誠会長も賛同。遺族会は07年5月に検討の勉強会を設けている。【野口武則】
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コメント
仮に(論理的には不可能だけど)東郷神社に御霊を
移したら、今度は東郷神社にアヤをつけるだけ
というのが何で分からないですかねぇ。
ちなみに私は靖国神社の御霊をミックスジュースで
例えています。
林檎、葡萄、オレンジ、桃…あらゆる果物を混ぜて
作られるわけですが、ミックスジュースから林檎ジュースや
葡萄ジュース、オレンジジュースを作り出す事は
不可能なわけです。
で、分祀とは出来たミックスジュースを別の器(神社)に
分ける事。だから、私は分祀に大賛成なわけです。
単なるコピペですからね。
投稿: ハーグ竹島 | 2008年5月27日 (火) 07時03分
ハーグ竹島さま
>(論理的には不可能だけど)東郷神社に御霊を移したら
そう、神道の神様は、ラプラスの悪魔を手下にしていないから、不可能なんですよね。ミックスジュースのたとえ、まことにわかりやすいですね。
>今度は東郷神社にアヤをつけるだけ
そうですね。東郷神社に矢面に立って貰ってそちらへのバッシングに忙しければ、靖國神社は落ち着くだろう、という趣旨でしょう。どう考えても中韓への配慮でもない、単なる猫だましみたいな考え方。
のんべが賛成しているのは、
・猫だましの間に、陛下に一度でも行幸親拝なさっていただければ、だいぶ英霊の方々も落ち着くでしょうし、その行幸は前例になる
・矢面に立つ東郷神社は、この際対馬・壱岐・尖閣・納沙布岬・宗谷岬+築地某新聞社前(笑)に分社を作って分祀し、国境を護り、不法占拠されている北方領土と竹島をにらんでほしい
という趣旨です。ちょっと無理かな…
投稿: 練馬のんべ | 2008年5月27日 (火) 07時22分
私が無知な為に「分祀」について調べ、一番参考になり納得したのがオロモルフさんのサイトでした。
A級戦犯を分祀せよ(オロモルフ) で検索して下さい。
URLはスパム認定されるようです。
私も7人の方々の為の神社建立を考えました。
先帝陛下の靖國参拝が途絶えたのは、あの合祀の以後であろうとは思いますが、拙ブログにも揚げたように、先帝陛下は所謂「A級戦犯」の方々を嫌うはずもなく、ただ陛下の御心におありの「靖國神社像」に外れたのではないかと言う事と、媚中政治家の売国行為によって動けなくなったのだと拝察致します。
独立した神社を建立為されたかったのでは無かろうかと畏れ多くも勝手なる拝察に基づき、ここは、7英霊を軍人と非軍人を分けて、別に独立した神社を建立して「分霊」すべきだと思います。
もちろん靖國神社にも御祭神は残りますが、独立した神社ができることで、仮にも、今上陛下の靖國参拝が叶うならば、神道関係者、政府、学者は真剣な検討をすべきではないでしょうか?
支那の横やりなど論外ですが、どうせいくら説明しても聞く耳持ちませんから「分祀した」(に違いない?)と言っておけば良いのです。
TBが今一なので、ブログアドレスに記事のURLを張らせて頂きます。
投稿: tono | 2008年5月27日 (火) 10時46分
tonoさま
>独立した神社を建立為されたかったのでは無かろうかと
>畏れ多くも勝手なる拝察に基づき、ここは、7英霊を
>軍人と非軍人を分けて、別に独立した神社を建立して
>「分霊」すべきだと思います。
それは素敵な考え。大いに賛成。
>どうせいくら説明しても聞く耳持ちませんから「分祀した」
>(に違いない?)と言っておけば良いのです
うん、それも大賛成。猫だまし作戦ですね(笑)
投稿: 練馬のんべ | 2008年5月27日 (火) 20時59分
>tono様
私見を述べます。
比喩の違いでしか有りませんが、一旦合祀したモノを再び分祀すると言うのを説明するに、先ず合祀すると云うのは、複数の火のついた蝋燭を寄せ集めて一本の蝋燭に集約する話しです、それに対し、分祀するというのは、その集めた炎から、元の一本一本を独立して取り出すと言うことが前提にないと出来ない事ですが、一旦集めて一つの炎に成っているモノから、元の炎を取り出す事は出来ません。
是は極当たり前のことです、独立した神社建立して云々は、その当たり前を無視、否定した話しとも取れるますので決して受け容れることは出来ない話しなのでしょう。
亦、その場合、小野田さんが言っていましたが、「『靖国で逢う』のは生前に交わした約束だ」と言う言葉が重たく感じます、処刑された人々は、軍人であろうが民間人であろうが、「愛国者」として戦争の責任を負って、国「=天皇陛下や国民」の為に、一切の反論も無しに、従容として不当な量刑を甘んじて受けたのであって、我々同胞の国民がその心を斟酌できないで恥ずかしくないモノか、一体貴方ならドゥしたか。
而るに、戦後の天皇陛下無くして、戦後の復興があっただろうか、日本人の最も不得意とする「利の為に、恥を忍ぶ事」が出来ただろうか。
私達は、そう言う人達の魂を傷付けようとしているのかも知れないのです。
投稿: ナポレオン・ソロ | 2008年5月27日 (火) 21時16分
ナポレオン・ソロさま
tonoさまは自ブログでこれに関する記事を書かれていますので、ぜひそちらへどうぞ。
で、私が横レスすると…
確かにtonoさまの「分霊」は微妙な表現。
各御霊は、靖國では一座になっているけど、元々の御霊はそのままおわします。
靖國に祀られている命は、個別のお墓でも、護国神社でも祀られています。軍神広瀬中佐が広瀬神社に祀られているのもご存じの通り。
ゆえに、別の神社に各御霊を個別に祀ることは問題ありません。
もちろん別の神社に祀った場合でも、靖國に御霊が残るのは当然のことです。
投稿: 練馬のんべ | 2008年5月27日 (火) 21時37分
>ナポレオン・ソロ様、ご意見ありがとうございます。
現在の私の認識を申し上げます。
もともと「分祀」とは国語辞書にも神道事典にも無く、昭和五十年以後
『ある神社の祭神を、その神社に祀られたままで、他の神社にも祀ること』
と言う意味で現れ始めたようで、反靖國のための新造語と理解しております。
意味からすると古来より神道用語にある「分霊」「勧請」とほぼ同じであります。
「分霊」については
『ある神社の祭神の靈を分けて、他の神社に祀ること』
という認識です。
従いまして「靖國で会おうという約束」は分霊後も違える事は無いと思っています。
また、別に「合祀」と言う言葉の意味には
『二柱以上の神を一社に合わせ祀ること』
の他に
『ある神社の祭神を他の神社に合わせ祀ること』
というのがあります。
ここで私が使った「分霊」と言う言葉は確かに誤解を招きますので、本来の意味から行くと、寧ろ「合祀」=『一柱の祭神を他の神社に合わせ祀ること』の方が適当だったと反省しております。
護国神社も地元の英霊がおわしますが、靖國神社にも「合祀」されております。しかし護国神社は二百数十万柱の英霊のおわす靖國神社の分社ではなく、各英霊が「靖國神社」と「護国神社」に「合祀」されていると認識しております。
従いまして、私の独立神社建立案は、例えば松井大将の御霊を「松井神社(仮名)」と「靖國神社」に「合祀」したかたちとご理解頂ければと思います。
文章・知識共に稚拙ゆえに多少誤解があったやも知れませぬが、少なくとも、対中共に配慮して、存在しない意味を持たせようとされている造語「分祀」の事など毛頭考えていない事をご理解頂ければ幸です。
のんべさん、長文、場を拝借し、失礼致しました。
投稿: tono | 2008年5月28日 (水) 12時35分
tonoさま
解説有り難うございました。のんべの考えも趣旨は同じです。
投稿: 練馬のんべ | 2008年5月28日 (水) 15時09分
>tono様
>のんべ様
ご丁寧なレス有り難う御座いました。
分け御霊と言うのは、あり得る話しではあります、しかし、ご本人がソレを望むだろうかと言う慮りも必要です。
広瀬神社の例えも出ていましたが、広瀬神社や東郷神社は、靖国神社が国体護持に一命を捧げた方々の神社として有名に成るまでに、どちらも特に建立されて、戦前から既に在った神社でしょう、其処へ、極東偏向裁判受難者を祀り換えするのは、ご本人達が「ナンデ?」とは思わないでしょうか。
私の云っていることは、明らかに架空の代弁であり、理屈も何も通っていないのは承知です、「なんて石頭で融通の利かない低能野郎だ」とお思いに成るかも知れませんが、私は気に入りません。
投稿: ナポレオン・ソロ | 2008年5月28日 (水) 21時41分
ナポレオン・ソロさま
確かに数十年経って急に祀り上げるのはご都合主義みたいなもんで、違和感を感じられるのはごく自然と思います。
でもまあ、日本の神を祀るときに、ご都合主義的な面もあるのは事実。例えば広瀬中佐が壮絶な戦死を遂げられたのは明治37年、「広瀬神社」の創建は昭和10年です。また、敗戦後、広瀬神社に旧直入郡内の戦歿者等の霊1400余柱が合祀されたそうです。(wikiを参照しました)
いわゆる「A級戦犯」の方々は日本を守れなかったこと、悔いを残して逝かれたのでは、と思っています。この危機の時代に護国のため活躍して頂くことは、英霊も喜ばれるかも。
もちろん、シナに「へいこら」するためにいわゆる「分祀」、などということなら激怒なさるでしょう。
投稿: 練馬のんべ | 2008年5月28日 (水) 23時16分