今日は北方領土の日
(過去記事の焼き直しですみません)
2月と8月は北方領土の月。正確には、北方領土返還運動全国強調月間。
2月は北方領土の日(2/7)のある月、8月は北方領土を強奪された月です。
以下、図はすべて内閣府ホームページの資料より引用しました。
(図はクリックで読める大きさになります。)
北方領土をソ連が不法占拠した経過
(上記資料より引用)
『ソ連は8月29日までに択捉島、次いでその他の島々へも侵攻し、遅くとも9月5日までに北方領土の占領を完了した。
当時、北方四島に住んでいた日本人は、ソ連兵による略奪や着の身着のままの脱出、シベリアやサハリンでの抑留を余儀なくされ、戦後60年を経た今も、住んでいた土地に帰れない状態である。
歴史上、一度も外国の領土になったことがない我が国固有の領土である北方四島は、このような経緯によってソ連、ロシアに不法に占拠されており、その返還は日本国民の悲願である。』
シュムシュ島(占守島)には8月19日に侵攻、ソ連は1日で占領するつもりが日本軍の頑強な抵抗で死者の数はソ連軍がはるかに上回り、「ソ連の悲しみの日」と言われます。無法に侵攻して反撃されて「悲しみの日」とは勝手な話…
占守島などでの抵抗によって、結局ソ連は北海道侵攻を諦めたわけです。
もし北海道が占領されていたら、樺太や千島で行われた民間人大虐殺が繰り返されたのは確実、このときの日本軍の将兵のみなさまには足を向けて眠れません。その後この将兵のみなさまは大量に拉致されたわけです。
樺太・千島の領有権の歴史
この図ですぐわかることは、北方四島が他国の領土になったことは一度もないこと。北方四島が北海道の一部であることは「たとえば東京都が日本領であると同じぐらいに明らかなこと(司馬遼太郎)」です。
それを終戦後に武力による不法占拠とはまさに「敗者に国際法はない」(氷雪の門のセリフ)の世界、ソ連にとっては実に当たり前なのでしょうね。
この内閣府の資料、書いていることはわかりやすく納得できることですので、もっと宣伝すべきだったのに消えてしまうとは何事。月間の存在もあまり知られていません(私が知らないだけ?)
このままでは北方領土が日本固有の領土であることすら忘れ去られてしまいかねません。
例年夏に靖國神社・遊就館で上映される幻の映画「氷雪の門」は、ソ連軍の卑怯で無慈悲な行動により、地獄と化した南樺太の姿が描かれています。ぜひテレビ化してほしいものと思います。(写真は稚内公園の「九人の乙女の碑」)
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント