偽だの嘘だのとは縁のない日本へ!
『これしかない!今年の漢字はずばり「偽」』(読売)
うーん、情けない。今年は食品偽装などなんだの、これ一色でしたね。いつから日本はこんなになってしまったのだろう。日本人の心はまず「正直の頭に神宿る」なのに…でも、偽だの嘘だのがドンドン明らかになったことはいいことかも知れません。
私も含め、日本人はみな他人事とは思わずに大いに反省すべきでは。偽だの嘘だのとは縁がなくなるように心がけたいと思います。
そうすれば、某国の嘘宣伝(プロパガンダ)も某マスコミのアサヒりも通用しなくなることでしょう。夢物語かなあ。
(続きは記事の保存です、当面はリンク先をご覧下さい)
今年の漢字「偽」を書き上げる京都・清水寺の森清範貫主 2007年の世相を表す「今年の漢字」に「偽」が選ばれ、京都市東山区の清水寺で12日、森清範貫主が縦1・5メートル、横1・3メートルの特大和紙に揮毫(きごう)した。
食品の産地や賞味期限の改ざん、人材派遣会社の偽装請負などが相次いで発覚したのが理由という。
日本漢字能力検定協会(京都市)が公募し、応募のあった9万816票のうち、「偽」が1万6550票でトップに。「食」「嘘」「疑」が続いた。
森貫主は「このような字が選ばれることは恥ずかしく、悲憤にたえない。己の利ばかりを望むのではなく、分を知り、自分の心を律する気持ちを取り戻してほしい」と話していた。
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コメント
>嘘だの偽だの・・
マスコミの工作が半分混じっていますね、日本人のメンタリティを破壊するのが目的です。
日本人は衛生観念が発達しすぎて神経質になっているキライがあり、時に過剰に見える処があります、日頃から食べ物は大切にしなくては、と口では言っているのに、地面に落ちたモノはそのまま捨てたり、XXのハンバーグには、ミミズの塊だと、犬の肉を使っているとか、と言う、少し考えれば嘘だと判る話しがアッという間に広がったりする、大勢の人が其れをマトモに信じていたりする処があります。
今回は其処を付け込まれたのでしょう。
ターゲットに選ばれたのが赤福や吉兆と言う、超安定企業です、こういう企業は、必ず安定した利益維持の為に打っている節約策を調べ上げれば、法スレスレの事もやっている可能性が高い、と言うわけです。
赤福餅も、御福餅も、白い恋人も、法律に違反したかも知れませんが、一件の食中毒さえ出しているワケではありません、はっきり言って騒ぎすぎだと思います、しかし、是等を「行き過ぎた合理主義へ警鐘」と受け取れば、他の食品メーカーの対応も自ずと変わってくるかもしれません。
仰る通り、日本人の感性やモラルは劣化していますが、それは、或る意味では豊かさの弊害とも云えるのではないでしょうか、昔は3日目のご飯で少し足が来ているモノでも洗えば大丈夫とか、危ないモノの判別法が口伝されていた様に思います、つまり、考えようによっては、昔の方が食品の鮮度に対して敏感だったし、具体的な対応策まで用意されていたワケです、其れが無くなってしまっているのには、消費尊重傾向の弊害が最も挙げられるでしょう。
投稿: ナポレオン・ソロ | 2007年12月13日 (木) 07時20分
元々、食べられるものを「賞味期限切れ」にしていたことに問題があったと思います。
出来立てがおいしいなんて当たり前なんですから、おいしく食べるには「お早めにお召し上がり下さい」なんでしょうが、「お早めに食べられない時には、こういう点とこういう点を気をつけてお召し上がり下さい」ってなればいいと思うんですけど・・。
吉兆にしたって、賞味期限切れた瓶詰めなどを叩いたり、蓋がふくらんでないかチェックして賞味期限を張りなおしてたんですよね?
張りなおさないでそのチェックポイントをお客さんに伝授すればよかったんじゃないかと思います。
正直、死人の一人も出ていないこの一連の事件より、中国産の食品が未だに飲食店にのぼってる方が大問題だと思うんですけど・・・^^;
偽装はいただけませんが、私たち消費者も企業を「偽装」しなくてはやっていけないような環境に追い込まないよう反省しなくてはいけないですね。
投稿: asayake | 2007年12月13日 (木) 11時26分
この際賞味期限の決め方を問題にして見るべきだと思います。牛乳にしろ、ヨーグルトにしろ賞味期限が少々過ぎても、匂いや味を見て、自己責任で食べています。とにかく、もったいないといったらありはしません。食料自給率の低い日本でこれほどの無駄をしてはならないと思っています。賞味期限の決め方をしっかりして、伸ばせるものは伸ばすべきです。
投稿: おっさん | 2007年12月13日 (木) 16時46分
京都の名刹、清水寺の森清範管主は僧衣をまとったタレントである。歳末恒例となったこの行事に、「こういう漢字(偽)が選ばれるのは悲憤にたえない。自らを律する気持ちを持ち、これをバネに来年は良い字になることを期待したい」とは、衆生を教化し済度する僧侶、宗教人として怠慢であり、無責任極まるのではないだろうか。
むしろ、偽に対する「眞」を揮ごうして、衆生救済・国家安泰の灯火を高く掲げることこそ、聖職者たる僧侶の勤めであると思う。至心礼拝 G3:橘
投稿: きみたちの未来 | 2007年12月13日 (木) 20時20分
ホントに偽装一色、捏造一色!?
といいますか、捏造は某新聞社だけが昔からか・・・(笑)
それにしても偽装がここまで一気に見つかったのも何か変ですね。これまでもやっていただろうし。
これもマスコミの操作なのでしょうか。
来年もマスコミにたいする不信感はますます強まりそうです。。。
投稿: ○○○ | 2007年12月13日 (木) 20時48分
ナポレオン・ソロさま、asayakeさん、おっさんさま
賞味期限偽装問題で言えば、やっぱり多くの場合出来たてが美味しい。私が伊勢市駅で食べた赤福はまことにパサパサしてがっかりでした、まき直し品だったのでしょう(食い物の恨みは怖い)。
食べられるものを捨てるのは大反対です。でも、明らかな不正表示にも反対。正直にまき直しのお買い得品、品質は保証、として少し安く売れば良いと思います。船場吉兆でも佐賀牛でも若鶏でも、堂々とそう表示すればいい。
賞味期限切れでも食べられるものなら捨てないで食べるべき。その旨はきちんと表示して、安くしてくれればいいと思います。私でも、例えば自分だけですぐ食べるのなら賞味期限切れでもいいけど、家族でしかもしばらく置くのならなるべく長持ちする方を選びます。そうしないと結局無駄にすることになります。私も消費者の一員として無駄にはしたくありません。生産者も流通業者も無駄にしたくはないでしょう。管理する立場の政府も、責任逃れのため賞味期限・消費期限をできるだけ短くするのではなく、どうやったら無駄にしないで済むか、よく考えてほしいものです。
時々行くそば屋…基本的に常陸秋そばを使っている手打ちそば屋…で、去年か一昨年か、「今年はそばが不作で確保できず、申し訳有りませんが外国産も混ぜています」と表示していましたが、この正直な表示には大いに納得した記憶があります。
それにしても、賞味期限表示って、日本人の感覚をぶちこわしかたも知れませんね。臭いなりなんなりで判断する、のが当たり前、うちでもそうしています。
投稿: 練馬のんべ | 2007年12月13日 (木) 22時44分
G3:橘さま
なるほど、仰せの通りかも、宗教者としての責任放棄です。せめて、こういう書くべきでない文字の時は、やめておけばいいのに…言霊の力を甘く見ていますね。
投稿: 練馬のんべ | 2007年12月13日 (木) 22時46分
○○○さま
そうですね、なんでいっせいのせ!なんでしょうか。シナ産の毒食品のイメージを隠すために日本製もこんなに酷いんだ、と宣伝しているのでしょうか。日本製をいくらけなしたところでシナ産品のイメージが上がることはあり得ないのに…
投稿: 練馬のんべ | 2007年12月13日 (木) 22時50分
>賞味期限表示って、日本人の感覚をぶちこわしかたも知れませんね
日本人の感性って、百越の民の職人文化に根ざしていると思っています、すると、数字に対する信頼度は、依存度と言うくらい高いモノがあると思います、簡単に云えば、水が漏らない船を造るには、数十、数百㍍のモノを造るのにでも、場所によってはミリ以下の単位の精度に拘る必要が有ります、その場合、計測方法や計測者の技量への信頼感は勿論ですが、得られた数字に対する絶対的な服従が前提になります。
つまり、この数字による表示を始めたのも、百越の民の感覚だったと思うわけです、日本人の感性の最たるモノです、処が、食品なんて、気候や保存法、そのモノの性質に拠って大きく変動するモノです、「開封後は冷暗所に保存して、XX迄にお召し上がり下さい」では、規範できないわけです、仰るとおり感性を働かせるのが一番ですが、これも、もぅ一つの日本人のイド、農耕民の感性だと思います、日本人はこの感覚が年々薄らいでいる。
つまり、食品の期限表示は、作り手だけではなく、其れを受け取る方も含めて、余りに職人気質に傾きすぎた事が原因だと思います。
倹約の本義である、「勿体ない」モノを如何に無くして行くか、モノを如何に活かして使うかを目指して、生活から顕れてくる知恵を上手に汲み取って行く、と言う生き方が、嘗ては当たり前の事だった事を忘れ始めているからだと思いました。
投稿: ナポレオン・ソロ | 2007年12月14日 (金) 06時52分
ナポレオン・ソロさま
「百越の民」を知らなかったのでググって、ソロさまが「東アジア黙示録」さまで書かれているコメントを拝見しました、勉強になります。http://dogma.at.webry.info/200707/article_7.html
農民でも、例えば棚田を作るのは、ミリ単位の精度が必要ですが、それはまあ職人の範疇ですか。水を制御するには常にミリ単位。
稲を作るのはお天道様に相談しながら、ですね。製造年月日表示のころは農民的感性でやっていたのに、賞味期限になって職人的厳密性(の悪い面)が出てきた、というのはなるほどその通りですね。
>倹約の本義である、「勿体ない」モノを如何に無くして行くか、
>モノを如何に活かして使うかを目指して、生活から顕れてくる
>知恵を上手に汲み取って行く、と言う生き方が、嘗ては当たり
>前の事だった事を忘れ始めているから
大いに賛成。豊かになったのは有難いこと。でも、今では当たり前になったため、有難いと思う心を日本人が無くしているのが残念なことです。
投稿: 練馬のんべ | 2007年12月14日 (金) 08時17分