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2007年10月24日 (水)

再掲:千年の釘

再掲します。何度読んでも気分のいい話です。

最近殺伐とした話が多かったので、ちょっと口直し。

『千年の釘に挑む』

小学5年の娘が使っている国語の教科書(光村図書)に、実に素敵な話が載っていたので紹介します。薬師寺の再建という大プロジェクトに挑んだ鍛冶職人・白鷹氏の話です。まずはご本人のお言葉を。

Sennennno_kugi「千年先に、もし鍛冶職人がいて、この釘を見たときに、おお、こいつもやりよるわいと思ってくれたらうれしいね。逆に、ああ千年前のやつは下手くそだと思われるのははずかしい。笑われるのはもっといやだ。これは職人というものの意地だね。」(写真は、白鷹氏が古代釘を再現し作成した釘の一本)

感動しました。この精神が日本人にある限り、子供達に伝えられている限り、日本は絶対に大丈夫です。なくなったら…それはあまりに恐ろしい。

これこそがまさに日本のものづくりの本質。建国以来続くプロジェクトXですね。

子供には、日本が嫌になるような話(しかも捏造…)ではなく、こういう素晴らしい日本の話を教えるべきです。鍛冶職人の白鷹氏、著者の内藤誠吾氏、採用した光村図書に敬意を表します。

(本文は続きに。少々長文ですがぜひお読み下さい)

『千年の釘に挑む』(内藤誠吾)

 千年先のわたしたちの周りはどうなっているだろう。あのビル、あのマンション、そしてわたしたちの住んでいる家々。きっと、かげも形もないだろう。人間のつくったもので、千年以上先までそのままの形で残っているものを見つけるのは、極めて難しいにちがいない。

 ところが、古代の人々はそれを成しとげた。奈良には、世界でいちばん古い木造建築がある。法隆寺は千四百年。薬師寺にある三重の塔、東塔が千三百年。コンピュータもブルドーザーもなかった時代に、古代の職人たちは千年たってもびくともしない建物をつくりあげたのだ。

Yakushiji  薬師寺では、一九七〇年、大がかりな再建計画がスタートした。 できた当時の薬師寺には、東塔と西塔、御本尊をまつる金堂、おぼうさんたちが修行する大講堂など、七つのすばらしい建物が空に向かってそびえ立っていた。それが戦国時代、戦火のために、東塔をのぞくすべての建物が焼失してしまった。これらをすべて、古代の建て方とできるかぎり同じ方法で、現代に再現しようというのだ。完成するまで、何十年もかかる大事業だ。(注:写真右が東塔、左が再現された西塔と大講堂)
 どうしたら、古代の人々に負けないものをつくれるのか。一流の職人たちが日本じゅうから総動員された。建物をつくる宮大工。かわらを作るかわら職人。そして釘を作るかじ職人にいたるまで。

 この、釘作りを任されたのが、四国のかじ職人、白鷹だ。千年たってもびくともしない建物をつくるには、釘も千年はもつものを作らなければならない。白鷹さんはまず、古代の釘と現代の釘が、どうちがうのかを調べることから始めた。調べてみて初めて、古代の釘の見事さにおどろいた。

 「釘なんて、いつの時代でも同じではないのか。」そう考えるかもしれない。しかし、それはちがう。今の釘の寿命は、せいぜい五十年。それ以上になると、空気や水にふれたところからさびて、くさってしまう。今の日本の木造家屋は、三十年ぐらいで建てかえをすることが多いから、これでも差し支えない。ところが、千年ももたせる建物には、こういう釘は使えない。

Kugi3_1   写真の、古代の釘を見てほしい。これが釘かと思えるほどの大きさではないか。長さが三十センチメートルもある。それだけではない。材料の性質もちがう。古代の釘も現代の釘も、材料が鉄であることは変わりはない。しかし、現代の鉄は、製鉄所で作られるときに大量生産と加工がしやすいように、いろいろなものが混ぜられる。つまり、鉄の純度が低いのだ。これに対して、古代の鉄はどうか。古代の鉄は、砂鉄を原料に、「たたら」という特別な方法で、何日間も火を燃やし、何回もたたき直して作られた。こうして作られた鉄は、きわめて純度が高い。純度の高い鉄は、錆びにくい。千年たっても錆びて腐らない。白鷹さんは、現代の方法で作られた鉄を使っては、求めている釘を作ることはできないと思った。製鉄会社に相談して、特別に純度の高い鉄を用意してもらうことにした。

Kugi1_1   白鷹さんは次に、古代の釘の形に注目した。古代の釘は、よく見ると不思議な形をしている。先からだんだん太くなって、頭の近くになるとまた細くなっている。そして、真ん中から先にかけては、表面がでこぼこしている。どうしてこんな形になっているのだろう。白鷹さんは調べてみて、驚くべきことを発見した。釘と木材の関係だ。古代の建物に使われているのは、樹齢千年をこえるヒノキだが、ヒノキのせんいには、圧縮されたら元の形にもどろうとする性質がある。三十センチメートルもある大きな釘を打ち込まれたときも同じことが起こる。少し細くなっている釘の頭のほうや、でこぼこしている先のほうは、打ちこんだときに釘とヒノキの間にわずかなすき間ができる。ヒノキのせんいは元にもどろうとしてふくらむから、やがてすき間はうまってしまう。こうなると、もう釘はぬけない。仮に頭の部分が空気や水にふれてさびてしまったとしても、釘の本体はヒノキにぴったりとくっつき、確実に木をつなぐ役目を果たすことになる。

 白鷹さんは形だけでなく、釘のかたさにもひみつがあることを発見した。釘はかたすぎてもやわらかすぎてもいけない。やわらかいとしっかりヒノキにつきささらないし、かたすぎると木のせんいや節をつぶしてしまう。釘がじょうぶでも、木をだめにしては、元も子もない。

Kugi2 白鷹さんはかじ職人だから、鉄に炭素を混ぜてたたくと、かたさを変えられることを知っている。白鷹さんは炭素を混ぜる分量を少しずつ変えて、実験してみた。最初の釘はかたすぎて、打ちこむと節をつきぬけてしまった。節がわれて、その周りの木のせんいまでいためている。これでは、木材自体が長くはもたない。次の釘は、少し炭素を減らして作ってみた。打ちこむと釘はまっすぐささっていく。とちゅうで節にぶつかった。すると、この釘はおどろいたことに、節をわらないように、ぐるりとその節をよけて曲がった。太い鉄でできた釘が、生き物のように節をよけたのである。古代の職人たちは、ちゃんとこのことを知っていたのだ。

 白鷹さんは、なっとくのいく釘を完成させるまで、何本も何本も作り直した。薬師寺の工事が始まって、釘を宮大工の人たちにわたすようになってからも、改良を続けた。そうして、これまで二万四千本もの釘を作ってきた。それでも、白鷹さんは、もっといい釘を作ろうとしている。 千年も前のかじ職人たちは、歴史に名を残すこともなく去っていった。それでも、すばらしいことをやりとげた。この職人たちに、負けるわけにはいかないのだ。
「千年先のことは、わしにも分からんよ。だけど、自分の作ったこの釘が残っていてほしいなあ。千年先に、もしかじ職人がいて、この釘を見たときに、おお、こいつもやりよるわいと思ってくれたらうれしいね。逆に、ああ千年前のやつは下手くそだと思われるのははずかしい。笑われるのはもっといやだ。これは職人というものの意地だね。」

 白鷹さんは笑った。千年前の職人たちも、同じことを思っていたのかもしれない。

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コメント

 父の趣味で山の中に小屋を建ててあるのですが、この小屋を建てた業者ではなく、父の友人の大工さんが、屋根付きベランダの架け替えをやってくれたわけです。(私も、弟も勿論駆り出されて・・・)
 小屋の柱が3寸物なのに、ベランダは4寸!
 4寸×6寸×2間程の梁を2本繋ぐときの、複雑なほぞ切りの早いこと、曲尺と耳にかけた鉛筆一本で、さっさか線を引き、あれよあれよと切り削って行きます。
 で、繋ぎ合わせて木槌でドンドンとやると、長さ4間の梁が出来上がり、1本の釘も使わないのにびくともしません。・・・唖然!
 この大工さんの師匠は「宮大工」だそうです。
 是非、後世に伝えて欲しい技術ですね。

投稿: tono | 2007年10月24日 (水) 12時01分

日本で泊まったある宿が、古いのですが、あちこちにものすごく細かい細工を施してあり、おかみさんに伺ったところ、戦争直後に各地から腕の良い職人さんを集めて建てたのだそうです。「壁は京都の誰々」というふうにこだわったそうで、それはそれは見事です。・・・が、トイレや洗面所が共同だったりするためか、泊まるのは外人さんばかりで、日本人のお客さんは皆ホテルに行ってしまうのだとか。きれいにお掃除されていて、料金も破格に安いのに。(ビジネスホテルより安いかも)
それに職人さんがいなくなってしまっているので、もう建て直すことはできず、修理を重ねて使っていらっしゃるそうです。
日本は豊かになったはずだけど、失っていくものがあまりにも多くて「豊か」って何だろう?と思ってしまいます。

↑tonoさんの書かれている大工さん、すごいですね。本当に、そういう職人技は途絶えて欲しくないですね。

投稿: milesta | 2007年10月24日 (水) 13時19分

この話は私はテレビで見ました。このような方が未だに居られる事を知り、感動していました。いい意味での職人気質を大事にしてもらいたいものです。

milestaさんが紹介された宿の名前、場所を教えてもらえないでしょうか。できたら泊まってみたいと思います。

投稿: おっさん | 2007年10月24日 (水) 18時53分

tonoさま

>山の中に小屋を建ててある
うらやましい、いいなあ(笑)

>大工さんが、屋根付きベランダの架け替え…
>繋ぎ合わせて木槌でドンドンとやると、長さ4間の
>梁が出来上がり、1本の釘も使わないのにびくとも
すごっ!!

>是非、後世に伝えて欲しい技術ですね。
まことに。ほんと素晴らしい。

投稿: 練馬のんべ | 2007年10月24日 (水) 20時28分

milestaさん

>戦争直後に各地から腕の良い職人さんを…
>それは見事…破格に安い
それはぜひ泊まりたいですね。ぜひ教えてください。
ホテルは密封されている感じがあまり好きでないので、できれば泊まりたくありません。家族で旅行するときは、泊まる宿はよく共同トイレだったりしますが(なんせ子供が3人、宿代が強烈で…)全然気になりません。

>職人さんがいなくなってしまっているので、
>もう建て直すことはできず、修理を重ねて
うーん…

>日本は豊かになったはずだけど、失っていくものが
>あまりにも多くて「豊か」って何だろう?と
大いに同感。このブログでは、そういう観点も大事にしたいと思っています。

投稿: 練馬のんべ | 2007年10月24日 (水) 20時34分

おっさん様

NHKで放送したと聞きました。NHKと言えば反日番組と言われる中、まともな制作者もいるのですね。

>いい意味での職人気質を大事にしてもらいたい
大いに同感!

投稿: 練馬のんべ | 2007年10月24日 (水) 20時41分

本郷の鳳明館さんです。
http://www.homeikan.com/
こちらの台町別館に泊まりました。
東京の宿ですが、界隈に文豪ゆかりの地や博物館があったりして、ちょっとした旅行気分が楽しめます。
私たちもホテルは好きではなく、できれば畳で大きいお風呂があるところを・・・と思って捜していて偶然見つけました。

それからのんべさん、「房総の村(+風土の丘)」に行かれたことありますか?成田空港の近くなので何の気なしに立ち寄ってみたら、楽しいところで子供達が大喜びでした。ろうそくに絵をつけたり、落花生を収穫したりの体験ができるし、埴輪の並んだ古墳や竪穴式住居(中に入れる!)、江戸時代の街並みなどが再現されていて見所もたくさんでした。古墳が100以上も発掘されたり、ナウマン象の骨も見つかった地域らしく、発掘されたものが展示されている博物館もありました。アドレス貼っておきますね。
http://www.chiba-muse.or.jp/MURA/index.html

投稿: milesta | 2007年10月24日 (水) 22時23分

訂正
風土の丘→風土記の丘
でした。
こちらのエリアはとても広くて、廻りきれませんでした。

投稿: milesta | 2007年10月24日 (水) 22時28分

milestaさん
鳳明館さんでしたか、それは納得。確かにあそこは外から見るだけでも素敵です。(のんべは都民なので泊まる機会はなさそうですが…)
菊坂を散歩するのも楽しい。また、旧・夏目漱石邸には私の囲碁の大師匠が住んでいらっしゃいました。(私がお宅に伺ったときは確か建て替えた後でしたが…)

風土記の丘、面白そうですね。そのうち子供達を連れて行ってみたいと思います。

投稿: 練馬のんべ | 2007年10月24日 (水) 23時11分

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