昭和殉難者大社の建立を!
『古賀氏、A級戦犯分祀の必要性改めて強調』(産経)
いわゆる「A級戦犯」のいわゆる「分祀」論を古賀誠「日本遺族会長」が叫んでおります。困ったもんだ。
もしこれが実現すれば「国民すべてがお参りできる施設」になるのでしょうか。だいたいなぜいわゆる「A級戦犯」が祀られていると天皇陛下がご親拝できないのでしょうか。
要するにシナ朝鮮とサヨクがわいわい言い立てて、政治家がそれにヘイコラしているからでしょ。だったら仮にいわゆる「分祀」を実現したところで、やれBC級戦犯はダメだ、やれシナ事変の戦死者はダメだ…なんてことが繰り返されるだけです。
だいたい、神社とは、神が主だから人は「参る」のに、その「参る」人間がこの神様は気にくわないから外せとは、まさに神をも恐れぬ所業です。
日本の政治家の役割とは、シナ朝鮮にヘイコラすることではなく、堂々と靖國に参拝し、天皇陛下の御親拝の道をつけることです。遺族会会長の古賀誠氏が、シナ朝鮮の走狗に過ぎないとは、なんたること。
ところで、いわゆる「A級戦犯」と呼ばれる昭和殉難者の御柱、我が日本を敗戦に導いたことをきっと後悔なさっていらっしゃるのでは、とも思います。いわゆる「分祀」なんてできませんが、御柱を別の神社に祀ることはできるはず。天照大神様は全国の神社に祀られているわけですから。
誰かも書いていたのですが、昭和殉難者大社(仮称)を建立するのはどうでしょうか。場所?もちろん朝日新聞の正面に堂々と!そして分社はまず尖閣諸島、そして対馬、知床、さらに台湾にもご協力いただきましょう。
(続きは記事の保存です、当面はリンク先をご覧下さい)
日本遺族会の古賀誠会長(自民党選対委員長)は6日、津市で開かれた三重県遺族会の会合で講演し、靖国神社について「国民すべてが、天皇陛下を含め、英霊の御霊にお参りできる施設として残すべきだ」と述べ、「A級戦犯」分祀(ぶんし)の必要性を改めて指摘した。
古賀氏は「首相の公式参拝を言うだけで事足りるのか疑問だ」との考えを表明。日本遺族会が今年5月から「A級戦犯」分祀の是非を検討する勉強会を開始したことに触れ、「国民すべてがわだかまわりのない施設として(靖国神社を)残したい」と述べた。
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コメント
大社とまでは行きませんが、私の住む愛知県の幡豆町にある三ヶ根山に、いわゆるA級戦犯として絞首刑を受けた殉国七士の遺骨を熱海市伊豆山の興亜観音から分骨を受け「殉国七士廟」として祀られています。
三ヶ根山(愛知県幡豆郡幡豆町)殉国七士廟
(スパム対策でURLの貼り付けが出来ないようなので、上記キーワードで検索してみてください)
伊豆山-興亜観音(静岡県熱海市)
三ヶ根山は、主にフィリピン方面の戦没者の碑が無数に設置されており、いつも綺麗に掃除が行き届いて日本全国からの来訪者も絶えず、私自身時折訪れると実に清々しい気持ちにさせられます。
三ヶ根通信
(ここの管理人と伊藤さんとは先日面識を得る機会がありました:東條由布子氏の講演会)
ほかにも、高野山に昭和殉難者法務死追悼碑があったり全国各地に思いの外に多くの昭和殉難者を悼む施設がようです。
憂國資料室・昭和殉難者資料
靖国神社の分祀問題は、おかしな議論がまかり通り気分が悪くなる事が多々ありますが、かといって8月15日の靖国神社の状態が、「戦没者を悼む」という本来の姿だとも思われず(靖国神社がシンボリックに成りすぎていると感じています)、三ヶ根山のような静かに痛める場所の方がよいと感じています。
既知のこととは思いつつ、長文コメント失礼いたしました。
投稿: 山本大成 | 2007年10月 9日 (火) 09時24分
諸悪の根源は言葉だと思います。「昭和殉難者」と言えば良いのですが、今一般的に使われている言葉は言葉を聞いただけで誤解を招きます。東京裁判で被告となられた方々は決して戦犯などではありません。パール判事の判決が世界的にも認められている状況だと思います。アメリカ大統領(トルーマン、ルーズベルト)、マッカーサーこそ戦争犯罪人の代表だと思っています。昭和殉難者大社の建立については税金ではなく一般からの基金で造営し、維持し、次第に国に所管を移すなどの方策があれば、良いと思いますが、国の借金が八百数十兆円もある今、どうかという感じはあります。靖国神社で堂々と慰霊をすればよいことではないでしょうか。伊豆山の興亜観音様には先日お参りに行きました。愛知県の三ケ根山の殉国七士廟はそのうちにお参りに行くつもりではいました。
投稿: おっさん | 2007年10月 9日 (火) 11時17分
山本大成さま、おっさんさま
ちょっと文章が舌たらずでした。昭和殉難者大社の趣旨は、いわゆる「A級戦犯」の御柱安かれではなく、先の戦争で日本を守れなかった御柱の無念の思いを以て現代の反日を睨み倒す守り神になって頂きたい、ということです。すっかり神頼み…
慰霊という意味では、私も少し前に品川の「品川寺(ほんせんじ)」に行きました。
http://nonbe.way-nifty.com/blog/2007/03/post_aa53.html
投稿: 練馬のんべ | 2007年10月 9日 (火) 21時14分
コメント盗み読み失礼!
山本大成さんが仰っていた『8月15日の靖国神社の状態が、「戦没者を悼む」という本来の姿だとも思われず(靖国神社がシンボリックに成りすぎていると感じています)』に同感です。
確かに特別多くの英霊が祀られたのは大東亜戦争ですが、護国の神は幾多の戦争の英霊の方々です。
例大祭やみたま祭り等の方が参拝に相応しいと思いますが、何より「何時」ではなく「参拝する」思いが大切だと思います。
最近は、地元福岡懸護國神社にも参拝するようになりました。
大変静かで良いところです。
隣が犬HK福岡放送局である事を除けば・・・
投稿: tono | 2007年10月11日 (木) 11時48分
tonoさま
犬HKの隣なんて平和なもんですよ。靖國から100mくらいのところには朝鮮総連…
投稿: 練馬のんべ | 2007年10月11日 (木) 20時35分
愛知県の三ヶ根山のお話が出ていましたので、あつかましくおじゃまいたします。
殉国七士の慰霊祭は四月二十九日奉賛会の主催で開催されていますが、二十三日の月命日にも有志で参拝することになり、先日沖縄慰霊の日にあわせて行ないました。11時からです。是非一度お越しくだされば幸いです。
三ヶ根そばがうまいです。
ブログ書いていますのでお立ち寄りください。楽天の「杉田謙一」で入れます。
投稿: 杉田謙一 | 2008年6月24日 (火) 17時21分
杉田謙一さま
ご紹介ありがとうございました。そうか、沖縄慰霊の日はちょうど月命日なのですね、全然気づきませんでした。
投稿: 練馬のんべ | 2008年6月24日 (火) 22時26分
昭和殉難者大社の建立に賛成します。
その中に、是非、戦後の引き揚げ時に受難・落命された20万余の民間人、多くは旧満州帝国の国民、旧日本領だった樺太の住民ですが、彼等の御霊の拠り所が未だに無い事に、仏教徒の私でさえ、胸を掻きむしられる思いです、
是非、お祀りしていただきたくお願いいたします、日本人は神仏習合を中心に八百万の神々ぞれぞれのみ教えとは無関係に、平等に慰霊するのが基本です、きっと、多くの御霊が拠り代を求めていらっしゃると思います。
そう考えれば、昭和殉難者という括りは大変宜しいのではないかと思います、済南事件に端を発し通州事件から、日華事変に連なるシナ大陸で受難された居留民の方々の慰霊も公には為されていない事ですし、中南米や南アメリカに移民として入植したが、事実は奴隷に等しかった、その劣悪な環境で落命した方々の無念の思いも拠り代が無い事等々考えれば、対象と成られる方々や事例は幾らでもありそうな気がします。
投稿: ナポレオン・ソロ | 2008年6月26日 (木) 09時00分
ナポレオン・ソロさま
なるほど、仰せの意見は大いに賛成。昭和という苦難と栄光に満ちた時代の犠牲になった方々を慰霊するお社ですね。少し範囲を広くして、例えば炭坑や黒四ダム工事で亡くなった方々、水俣病の犠牲になった方々なども含まれていいのでは。戦没・戦死者と別座にすべきかもしれませんが。
投稿: 練馬のんべ | 2008年6月26日 (木) 20時34分
>のんべ様
>>戦没・戦死者と別座にすべきかもしれませんが
戦没・戦死者はは靖国神社で宜しいのではないですか、その理由として、小野田さんが仰った、靖国に集うのは「生前の約束だから」が最も的を射ていると私は思います。
殉難大社に祀るべきは、「X級戦犯」とされたり、弁護無しの裁判で吊されたに等しい外地での「戦犯処刑」の対象者を含めて、従容と刑に服した方々がいらっしゃいます、前述の引揚者の方々も、敵性外国人によって死を強制された事には、戦死者と変わりがありませんが、受難されたのが戦時中ではなかったと言う括りの話しに成ってしまいます。
すると戦時中、戦闘行為以外の敵軍の違法なな攻撃に斃れた人達は是に入れなくなるワケです、原爆は大規模な慰霊が行われているから良いとして、空襲や島嶼部で虐殺された人達は入らない、是だけでも50万近く居るのです。
先人の無念をお慰めする慰霊一つ完全にしようとするだけで、戦争に負けると云うことが、是ほどの不孝や悲劇を国民にもたらすのかと言う事実を発見して行く過程を味わねばならない、戦争とは斯くも惨いモノかと涙を新たにしました。
投稿: ナポレオン・ソロ | 2008年6月26日 (木) 22時26分
ナポレオン・ソロさま
ご存じの通り、靖國で祀られている意味は、戦死者は本殿で顕彰、戦没者は鎮霊社で慰霊、ですね。
>先人の無念をお慰めする慰霊一つ完全にしようとするだけで、
>戦争に負けると云うことが、是ほどの不孝や悲劇を国民に
>もたらすのかと言う事実を発見して行く過程を味わねば
>ならない、戦争とは斯くも惨いモノかと涙を新たにしました。
まことに。忘れないためにも、ぜひ殉難大社は必要ですね。
投稿: 練馬のんべ | 2008年6月26日 (木) 23時03分
>のんべ様
>>戦死者は本殿で顕彰、戦没者は鎮霊社で慰霊
成る程、「戦争で亡くなった人」の括りも広いですね、
私は「空襲や島嶼部で虐殺された人達は入らない」と書きましたが、是は誤りかも知れません、ご指摘有り難う御座います。
唯、私はこの部分を今まで米国に遠慮し過ぎて居るのではないかと感じるのです、その所為で、米国の軍隊が理想的な正義の解放軍であったの様なイメージを持った人達が大勢居るのではないでしょうか、旧日本軍を殊更に悪に見立てて叩く、その典型が沖縄戦に対して、日本政府が下している評価の有り様でしょう。
私達が目先の利益に拘泥して、先達の国を護る心を顕彰できないのであれば、近い将来、日本は必ず滅びます。
投稿: ナポレオン・ソロ | 2008年6月27日 (金) 06時39分
ナポレオン・ソロさま
>私達が目先の利益に拘泥して、先達の国を護る心を顕彰
>できないのであれば、近い将来、日本は必ず滅びます。
仰せの通りかと。戦後の日本は諸先輩方を貶めることで表面上の繁栄を謳歌してきましたが、その毒は日本を滅ぼすものですね。
ただそのことに、多くの日本人が気づき始めているのでは。それはフクダ首相の功績(?)とも言えます。
投稿: 練馬のんべ | 2008年6月27日 (金) 06時53分