両陛下の杉原千畝記念碑行幸、ばんざーい
『両陛下がリトアニアの杉原千畝記念碑訪問』(朝日)
天皇皇后両陛下、ばんざーい。日本の誇り・杉原千畝氏、ばんざーい。
杉原千畝氏は、もちろんビザを大量発給して何千人ものユダヤ人の命を救った方。戦後、外務省は彼をクビにしたそうです。害務省の体質は当時から変わらないのでしょうか。両陛下が行幸なさったことを心から喜びます。
ところで、ユダヤ人救出では、杉原千畝氏と並び、東條英機氏も大きな働きをなさっています。関東軍参謀長の頃、ソ満国境のオトポール駅に数万人のユダヤ人難民が日本に救いを求めて殺到、樋口季一朗少将は、東條参謀長と相談し、緊急に救援列車を送って、彼らを安全圏に逃がしました。
同盟国のドイツから、また日本の外務省から猛烈な抗議がきた時に、東條英機氏は「日本はドイツの属国ではない、人道上のことが大事なのだ」といって抗議を一蹴しています。
戦争中でも人道上の配慮を忘れなかった、杉原千畝氏、東條英機氏、樋口季一朗氏に、最敬礼。
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『両陛下がリトアニアの杉原千畝記念碑訪問』(朝日)
天皇、皇后両陛下は26日、リトアニアに入り、第2次大戦中にナチス・ドイツから迫害された多くのユダヤ人を救った外交官、故・杉原千畝氏の記念碑に立ち寄った。同国には杉原氏の記念館や名を冠した通りがある。遺族は「両陛下のご訪問で、杉原の人道的行為が改めて報われた思い。本人もきっと喜んでいると思います」と話している。
杉原氏は1939年から2年間、リトアニアの領事代理を務めた。その間、ナチス・ドイツに追われた多くのユダヤ人難民に、外務省の方針に反して日本通過ビザを発給し、約6000人の命を救ったとされる。
こうした功績が次第に評価され、リトアニアは91年に日本と国交を回復させた際、ビリニュス市の通りのひとつを「スギハラ通り」と命名。杉原氏がビザを発給した旧日本領事館も杉原記念館として保存されている。
今回、両陛下が訪問した記念碑は、01年に母校・早稲田大学の寄贈で、ビリニュス市の河畔に建てられた。両陛下はアダムクス大統領夫妻とともにリトアニアの外相の説明を受けた後、記念碑に歩み寄り、埋め込まれたビザの写真製版や杉原氏の顔のレリーフにじっと見入っていた。
この前に行われた昼食会でも、大統領は杉原氏が日本とリトアニアの間に「外交業務を超えた特別な懸け橋」を作ったと述べ、「常にリトアニア国民の尊敬を集めている」と評価した。
杉原氏は海外で評価される一方で、日本国内では冷たい扱いを受けていたとされ、00年に当時の外相が遺族に「ご無礼があった」と謝罪した。関係者のひとりは「杉原の行為をめぐり様々な声があるのは確か。だが、(今回の訪問が)何よりも平和の大切さを見直す契機になって欲しい」と話している。
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コメント
私は、当時の外務省は法治国家としての面目を保ち、泣いて馬謖を斬つてのでは考へて居ます。
現にユダヤ人は杉原ビザで日本に上陸できて居ますから、帝国の総意としての人道政策であつたと。
投稿: 葦原屋 | 2007年5月28日 (月) 10時38分
日本のシンドラーですね。
去年、外相がカウナスを訪れたときに、歓迎の答礼の中で『ここ、カウナスは、かつてはリトアニアの首都であり、我が国も戦前に領事館を設置しておりました。その領事館で勤務されていた杉原千畝副領事は、皆様もよく御存じのとおり、ユダヤ系避難民等に日本通過査証を発給、多くの命を救ったとして、国際的にも高い評価を得ています。私としましても、素晴らしい先輩をもったことを誇りに思う次第であり、これから旧領事館を訪問し、改めて杉原副領事の勇気ある人道的行動に心からの敬意を表したいと思います。』
と述べておられますね。
そして陛下のご訪問。
友好を維持したいところですね。
投稿: tono | 2007年5月28日 (月) 19時17分
葦原屋さん
なるほど、そういう見方もできますね。勉強になります。害務省(今の害だけでなく、昔も対米最後通牒を大幅に遅れて渡した…)を見ていると、どうもつい悪意をもって見がちなので、気を付けないといけませんね。
投稿: 練馬のんべ | 2007年5月28日 (月) 21時32分
tonoさま
麻生外相の発言詳細は知らなかったので参考になります。仰せの通り、ぜひ友邦であり続けてほしいですね。
投稿: 練馬のんべ | 2007年5月28日 (月) 21時34分