「家族会」結成10年目
めぐみさんが拉致されておよそ30年、「家族会」が結成されて10年目です。実に長い期間です。その間、国内世論も国際情勢も大きく変わりました。
変わらないことは、やっぱりめぐみさん他多くの被害者はまだ帰っていない、ということ。
そして家族にとって一番変わったことは、やはり、みなさん、お年を召されたことです。
少しでも早く被害者のみなさんが帰ってこられるように願っています。
PS.「めぐみ」のDVDが発売されるそうです。パンプキンさんの記事「メッセージの発信」で知りました。素晴らしいことです。
さらに、パンプキンさんがその記事で書かれている通り、ぜひテレビ放送してほしいですね。できれば、NHKBSで、外国語で朝鮮語も入れたらいい。韓国ではNHKBSは視聴できるので、韓国でも視聴できることになります。将軍サマの忠実なる僕ノムヒョンへのプレッシャーにもなります。また、北朝鮮にはBS受信施設は一般的にはないでしょうが、将軍サマは観るかも。
(続きにメルマガ「救う会全国協議会ニュース」から家族会の会見、家族会と拉致議連の声明を転載しました。少し長文ですがぜひご覧下さい)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2007.03.23)一日も早い救出を-家族会結成
10年目で会見
3月25日で家族会結成10年目。家族会は、各地で23日または25日に会見を行います。以下は、横田滋・早紀江代表夫妻と、増元照明事務局長が、横田家マンション内集会室で行った会見概要です。23日には、この他、熊本で斉藤文代さんと平野フミ子さんが、兵庫でも有本明弘・嘉代子夫妻が救う会とともに会見を行いました。
■一日も早い救出を-家族会結成10年目で会見
横田滋代表
拉致被害者は当時、全国にちらばっていて、顔も名前も知りませんでした。
「めぐみさんの報道が家族会結成のきっかけになった」と聞いています。救う会はまず新潟にできましたが、当時の名前はめぐみを救うことを目的にした名前でした。半年後に東京に救う会ができ、各地でも広がって、拉致被害者全員を取り戻すという名前の全国組織になりました。
当時は、街頭での署名活動が主で、集会を開催したのはずっと後になってからです。当時は、拉致疑惑と言われ、拉致は本当にあるのかとか、関わりたくない、という人が多く、信用がない時代でした。
それ以前の昭和63年には国会で取り上げられましたが、動きにはなりませんでした。「たった10人程度のことで国交正常化が止まっていいのか」というのが当時の政府の認識で、今の政府からは想像もできない状況でした。
5年前の小泉首相の訪朝で5人が帰り、その後家族も帰りましたが、「死亡」とされた被害者についてはまったく進展がありませんでした。めぐみについてだけ「遺骨」と称するものが出てきました。別人のものと鑑定されましたが、もし、鑑定ができなかったらどうなっていたかと思うと、科学的反論もできずに死亡とされたかもしれない。日本の科学技術のおかげでした。
その後、拉致議連や各党拉致対策本部が北朝鮮制裁決議をしました。議連は、金正日政権打倒まで決議しました。しかし、小泉さんは対話の政策をとり続け、ミサイル発射と核実験で制裁に踏み切りました。
これまで、政府にこれをやってほしいというような要望をたくさん書きましたが、安倍首相になって、拉致対策本部ができ、拉致担当大臣が置かれ、中山補佐官が事務局長になるなど、要望はすべて実現しました。国際連携も強まっています。しかし、結果だけからみると、14年9月から進展していないのです。生存情報も、どこにいるかの情報もありません。一日も早く救出していただくことを望んでいます。
横田早紀江さん
大変な時間を過ごしてきたな、という思いです。20年間まったく分からなかったのに北朝鮮にいると聞かされた時は、1、2年のうちに会えると喜んだのですが。したたかで、難しい北朝鮮と対峙していかなければならない状況の中で、本当に大変な事件だったと思います。また、国民運動として大切なことをしてきたと思います。今も被害者は向こうで頑張っています。救う会や報道の力で、結束して活動するところまできました。北朝鮮がどんなことをやり続けてきたか、今日も(6者協議の)席を立って帰りましたが、世界が分かったというところに大きな意義があると思います。
また、限りなく続く苦しみですが、意義があって生かされているのだと思います。日本にとっても、北朝鮮にとっても、解決することがいいことだと思います。本当の平和のために、大変な努力、気力、精神力そして望みを捨てないことが大切です。平和な日本にとっても、拉致問題の解決は意義があることだと思います。これから北朝鮮がどう出るか分かりませんが、(被害者が)むごいことにならないように、拉致も核も解決してほしいと思います。
増元照明事務局長
この写真は、10年前、家族会が結成された時、父が持っていた姉の写真です。縁が黄色くなっており、長い年月を感じます。この写真を持っていた父も亡くなりました。拉致議連が機能しなかった時期も長くあり、政府も真剣に取り組んでほしいとの感触を持っていました。02年9月以降は、国民の同情が強まり、救出できない国のあり方について共感していただき、大きな力となっていったことに感謝します。
小泉首相が、金正日に直接会ったという、2回の訪朝の機会をもっと生かしていただいたらと残念に思います。特に、2回目の訪朝の時はもっとやり方があったのではと悔やまれます。北朝鮮が拉致を認めて4年半が経ちますが、北朝鮮が発表した情報はすべて捏造、そして偽造でした。北朝鮮は6者協議でも「解決済み」の姿勢を続けています。
今の安倍政権は安心して見守られるのですが、国内世論が二分する危機感があります。大きな危機を感じたのは02年9月でした。国交正常化してしまうのではないかと思いました。報道の論調もそれを推進する方向でした。帰国した拉致被害者が再度北朝鮮に帰った方がいいとの報道もあり、その時も危機感がありました。
今、日本が孤立するとか、国益を損なうという論調もありますが、二分されることなく、救出に厳しい姿勢を示す政府を支持してほしいと思います。
今年中の解決をめざしています。10年はあまりに長い。特定失踪者の家族会には、倒れてしまった人も多いのです。救出に全力をあげてほしいと思います。
【質疑応答概要】
早紀枝 10年前、設立の時、このジャケットを着ていました。10年経って何も変わらなかった。しかし、洋服は今も元気ですが、中身(私たち)は年々年をとり、病気にもなります。疲れもたまっています。過酷な日々が続くので、精神的にも大変です。しかし、倒れてしまっては、との思いも強くあります。
増元 父もそうでした。初めての国民大集会では、姉が帰るまで死ねないと言っていましたが、病には勝てませんでした。市川さんのお父さんも今、動けません。帰って来たのに死んでいたら何の意味もないとお母さんは言っています。半分の喜びしか与えられないのです。健康なうちに、笑って迎えられるうちに再会を果たしたいのです。今年は全精力を傾け、北朝鮮が誠実な対応をするまでプレッシャーをかけたいと思います。
滋 (6者協議で席を立って帰った北朝鮮について)北朝鮮は約束を守らない。貰うものを貰ったら引き伸ばす意図が強いですね。
増元 金正日は今回ミスしたと思います。アメリカが譲歩したのにあんな態度では、他の関係国の厳しい目を助長させただけで、アメリカに北朝鮮政策を再考させると思います。これに対し、今、厳しいメッセージを送るべきです。制裁強化につながれば、救出にもチャンスが出てきます。
滋 今日、読売新聞に出た内容はその通りですが、(私の退任希望を)発表したという形で書いたところは違います。4月22日の(家族会の)総会にかけて決めることです。救う会の全国幹事会では役員の任期の話がありましたが、私は11月14日に75歳になります。体力面から見ても次の人にやってもらいたいとは思っています。しかし、家族会の運動をやめるわけではありません。
早紀枝 今日新聞を見てびっくりしました。まだはっきりしたことは言っていないのに。休ませてあげたいという思いはありますが。
増元 肩書きがどうあれ家族が運動をやめるわけではありません。横田代表から、10年の節目とか75歳という話は前から聞いていました。私は、それまでに解決すると思っています。全力で走るつもりです。それまでに解決できなかったらその時に考えます。
増元 (2回目の訪朝について)帰国後、総理は、「家族が信じないから再調査をお願いしたい」と言われたが、生存を信じて金正日と対峙してほしかった。本人が生存を信じていたら違う展開になったと思います。だから子どもたちの帰国だけとなった。せっかく直接会ったのだから、被害者救出の姿勢で臨んでほしかったと今も思います。
父が、「日本と日本人を信じろ」と言った意味がようやく分かってきました。日本とは政府ではなくて、日本人の力、国民の力だと思います。国民の力が小国(北朝鮮)に負ける筈がないという思いが強かったのだと思います。日本が本当に動けば、取り戻せるということだと思います。
昨日のニュースでは、ルーマニアの拉致被害者家族が名乗り出たということです。できれば4月早々にも接触して4月22日の国民大集会に来てもらえればと希望しています。
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2007.03.23-2)家族会結成10年目に当たり、
家族会と救う会・拉致議連が声明
3月25日で家族会結成10年目になります。家族会及び救う会と拉致議連は、3月23日、それぞれ下記の声明を発表しました。全文以下の通り。
■家族会結成10年目に当たり、家族会と救う会・拉致議連が声明
★家族会声明-「家族会」結成10年にあたって
平成9年3月25日、全国に散在した「北朝鮮による拉致被害者家族」が東京に集結してから、10年の歳月が過ぎようとしています。
当初センセーショナルに報じられた「北朝鮮による拉致事案」も、日を追うごとに「疑惑」という言葉で括られてしまい、平成14年の「日朝首脳会談」までは、あたかも私たちの主張が理不尽であるかのように受け取られて、被害者の存在そのものを否定する国内の勢力との苦しい闘いを強いられ、また「拉致被害者の救出」が、日朝の国交回復の影に追いやられようともしました。
そのような中、ともすれば挫けそうになる気持を奮い立たせ、全国に展開していった「救う会」の皆さんと共に、地道な「署名運動」・政府への要請等を通して、広く被害者救出を訴えて参りました。
平成14年、「日朝首脳会談」の実現を機に、一部被害者の生存が確認され、その方たちが帰国を果たし、ご家族の帰国も叶いました。これも、諦めることなく活動を続けて下さった全国の「救う会」の方々と、ご支援下さった多くの国民の皆さんのお蔭であると感謝申し上げます。
今、私たちが信頼する安倍総理が誕生し、結成当初より訴え続けた①拉致問題の担当大臣・担当部署の設置、②国会内での特別委員会の設置、③経済制裁の発動、④拉致問題の真相究明、⑤国政における最優先課題としての被害者の救出、等々、私たちが要望してきた政策はほぼ達成されたといえます。
しかし、被害者全員の救出や拉致問題の全容解明は、北朝鮮の不誠実な対応のために解決に至らず、未だ多くの被害者が故郷日本への帰国を望みながら、彼の地で自由を奪われたまま、過酷な生活を強いられています。
10年の節目を迎えました。被害者の両親世代が年齢を重ね、時間的な猶予も少なくなってきております。信頼する安倍総理の下、決意を新たに、何としても今年中の解決を目指して闘っていく所存であります。そのために、国民の皆さんの更なるご理解と一層のご支援を賜りたく、宜しくお願い申し上げます。
平成19年3月23日
北朝鮮による拉致被害者家族連絡会 代表 横田 滋
★救う会・拉致議連声明
3月25日で家族会が結成されて10年を迎える。10年前、家族会の皆様は、自らの命に代えても拉致された肉親を救い出すという決意のもと、救出運動に立ち上がった。私たちは、その決意に打たれ、救う会、拉致議連を作り、10年間家族会とともに戦ってきた。
5年前、5人の被害者を救い出すことができたことは、大きな喜びだった。しかし、その後5人の家族の帰国以外、被害者が一人も帰国していないことは、痛恨の極みである。
この10年間、私たちは、家族会を先頭に立てて戦ってきた。その結果、拉致問題とは肉親を捜し求める家族会を支援することだという誤解が生まれている。しかし、拉致問題の本質は、家族会支援ではなく、金正日テロ政権からすべての拉致被害者を救い出すことだ。日本人だけでなく、諸外国のすべての被害者をも救い出すことである。
10年間、家族会は文字通り命をすり減らして戦ってこられた。本当にご苦労様でした。しかし、本来は、日本政府が先頭に立って取り組むべきことである。
日本政府に訴えたい。これから家族会が少し休んで、安心して見ていられるように、被害者の一日も早い救出に全精力を注いで取り組んでほしい。
私たち救う会と拉致議連は、心ある国民と、諸外国の友人らとともに、すべての被害者を救い出すまで、家族会とともに戦い続けることを誓う。
平成19年3月23日
北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会 会長 佐藤勝巳
北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟 会長 平沼赳夫
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コメント
ご紹介していただき、ありがとうございます。家族会の方々を見ていると、本当に切なくなってしまいます。ご高齢になっても尚、奪われた大切な家族の奪還を目指して頑張っている姿には、本当に胸を打たれる思いです。一人でも多くの方々が気持ちをひとつにして、北への強いメッセージを発して欲しいものです。
投稿: パンプキン | 2007年3月24日 (土) 16時54分
パンプキンさん
勝手に紹介してすみませんでした。私もパンプキンさんのご意見に同感です。
投稿: 練馬のんべ | 2007年3月24日 (土) 17時21分