四紙社説そろい踏み:教科書検定「沖縄戦集団自決」
『集団自決―軍は無関係というのか』(3/31朝日社説)
『教科書検定 沖縄戦悲劇の本質を見誤るな』(3/31毎日社説)
『[教科書検定]「歴史上の論争点は公正に記せ」』(3/31読売社説)
『沖縄戦 新検定方針を評価したい』(3/31産経社説)
夕べ、ひろふみさんに指摘された記事(要旨:教科書の文科省検定の件。沖縄戦での「集団自決」をめぐり、「日本軍が命令した」とした日本史の教科書に対し、「日本軍が命令したというのは沖縄戦の実態を反映していない」として修正が求められた。)について、のんべは「朝日サマ毎日サンあたりの反日兄弟がイチャモンつけそうです。」とコメントしましたが、早速社説に堂々と載せてくれました。期待を裏切らないあたりさすがは朝日サマ毎日サン。
読売・産経も仲良く取り上げていましたが、いつものようにきれいに分かれて、こちらは真っ当な話でした。
ちょっと朝日サマで遊びましょう。
『軍の関与が削られた結果、住民にも捕虜になることを許さず、自決を強いた軍国主義の異常さが消えてしまう。それは歴史をゆがめることにならないか。』
集団自決の軍命令説は、遺族年金受給のための方便だったことは既に明らかになっています。当時の軍で「命じた」とされる人たちも、年金受給を妨げないため敢えて否定せず悪者に甘んじた、とも言われています。それを、沖縄タイムス社『鉄の暴風』と大江健三郎「沖縄ノート」がこれ幸いと無茶苦茶書いて有名にしたわけです。まさに捏造された事件、それを否定することが「歴史をゆがめる」とは…
従軍慰安婦問題は朝日の悪意ある誤報が元になっているわけですし、「歴史をゆがめ」たのは誰なのでしょうか。
『国民にとってつらい歴史でも、目をそむけない。将来を担う子どもたちにきちんと教えるのが教育である。』
それにしてもすごい新聞。捏造されたにすぎない「歴史」をきちんと教えるのが教育とは知りませんでした。朝日サマが読者に「新聞にとってつらい捏造の歴史でも、目をそむけ」ずに報道なさっていらっしゃるようには見えませんけどねえ…。
ついでに毎日サンも読んでみましたけどもっとすごい。
『いっそのこと、高校では検定を廃止し、教材を学校・教師・生徒に任せることを検討してみてはどうだろうか。例えば、沖縄戦を一つの核にして、学習テーマを総合的に広げていくという長期授業の試みがあってもいい。』
高校では反日教師が何を教えても良いと。沖縄戦を1年やるのですか?反日力が付けば学力低下など心配ないのでしょうね。もっとも、今の若者はネットでマスコミのウソをよく知っているから反日教師がボコボコにされて逆ギレすることになるでしょう。
真っ当な先生なら、機転を利かせて「朝日サマ毎日サン捏造の歴史」なんて授業をするかも知れません。それだと生徒は面白がるだろうなあ。
3/31.AM9:00追記.NHKニュースでは、やっぱり反対意見を言う人を探し出して放送していましたね。いかにもNHKらしいなあ。今や視聴者も「やらせ」と思うだけだから逆効果、そんなことに未だに気づかないとは情けないなあ。
(続きは記事の保存です、当面はリンク先をご覧下さい)
『集団自決―軍は無関係というのか』(3/31朝日社説)
高校生が使う日本史教科書の検定で、沖縄戦の「集団自決」が軒並み修正を求められた。
「日本軍に強いられた」という趣旨の記述に対し、文部科学省が「軍が命令したかどうかは、明らかとは言えない」と待ったをかけたのだ。
教科書の内容は次のように変わった。
日本軍に「集団自決」を強いられた→追いつめられて「集団自決」した
日本軍に集団自決を強制された人もいた→集団自決に追い込まれた人々もいた
肉親が殺し合う集団自決が主に起きたのは、米軍が最初に上陸した慶良間諸島だ。犠牲者は数百人にのぼる。
軍の関与が削られた結果、住民にも捕虜になることを許さず、自決を強いた軍国主義の異常さが消えてしまう。それは歴史をゆがめることにならないか。
この検定には大きな疑問がある。
ひとつは、なぜ、今になって日本軍の関与を削らせたのか、ということだ。前回の05年度検定までは、同じような表現があったのに問題にしてこなかった。
文科省は検定基準を変えた理由として「状況の変化」を挙げる。だが、具体的な変化で目立つのは、自決を命じたとされてきた元守備隊長らが05年、命令していないとして起こした訴訟ぐらいだ。
その程度の変化をよりどころに、教科書を書きかえさせたとすれば、あまりにも乱暴ではないか。
そもそも教科書の執筆者らは「集団自決はすべて軍に強いられた」と言っているわけではない。そうした事例もある、と書いているにすぎない。
「沖縄県史」や「渡嘉敷村史」をひもとけば、自決用の手投げ弾を渡されるなど、自決を強いられたとしか読めない数々の住民の体験が紹介されている。その生々しい体験を文科省は否定するのか。それが二つ目の疑問だ。
当時、渡嘉敷村役場で兵事主任を務めていた富山真順さん(故人)は88年、朝日新聞に対し、自決命令の実態を次のように語っている。
富山さんは軍の命令で、非戦闘員の少年と役場職員の20人余りを集めた。下士官が1人に2個ずつ手投げ弾を配り、「敵に遭遇したら、1個で攻撃せよ。捕虜となる恐れがあるときは、残る1個で自決せよ」と命じた。集団自決が起きたのは、その1週間後だった。
沖縄キリスト教短大の学長を務めた金城重明さん(78)は生き証人だ。手投げ弾が配られる現場に居合わせた。金城さんまで手投げ弾は回ってこず、母と妹、弟に手をかけて命を奪った。「軍隊が非戦闘員に武器を手渡すのは、自決命令を現実化したものだ」と語る。
旧日本軍の慰安婦について、安倍政権には、軍とのかかわりを極力少なく見せようという動きがある。今回の文科省の検定方針も軌を一にしていないか。
国民にとってつらい歴史でも、目をそむけない。将来を担う子どもたちにきちんと教えるのが教育である。
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『教科書検定 沖縄戦悲劇の本質を見誤るな』(3/31毎日社説)
文部科学省の教科書検定・高校日本史で、沖縄戦の記述に相次いで検定意見が付き、表現が修正された。戦いのさなかに各地で起きた住民の集団自決について、日本軍によって強制されたり、追い込まれたりしたとするのを「軍の強制は明らかとはいえない」という理由で改めさせたのだ。
元軍人の裁判や強制に否定的な出版物などがきっかけになったというが、これについての文科省の見解の転換は初めてとみられ、波紋は大きい。
まず気になるのは、「強制」についての考え方だ。
個々の惨劇に系統だった「命令」のような記録は残らない。しかし、軍から食糧を奪われ、避難壕(ごう)からも追い出された住民たちは「鉄の暴風」といわれた砲爆撃の野にさまよい、そうした人々が集団自決にも追い込まれた。
1945年春、硫黄島陥落の後始まった沖縄戦で、日本軍守備隊は基本的に持久戦法を採用し、「敵を引きつけ、本土進攻を遅らせる」時間稼ぎに努めた。
例えば、沖縄本島の主な激戦地は南部で、当初、一般住民は九州本土や本島北部に疎開させる計画もあったが十分に進まず、ついに日本国内で初めて住民を無制限に巻き込んだ地上戦を3カ月にわたって展開することになった。
守備隊の作戦の最大の目的は「本土決戦準備」の時間を少しでも長くすることであり、「住民保護」の態勢や発想は薄い。要とした首里戦線が持ちこたえられず、軍がここを放棄して本島南端に向かって退却を始めたころから、住民の犠牲者は急増した。
また将兵はもとより、住民たちも「投降」は考えることも許されなかった。日本中がそう教育され、刷り込まれていた時代である。軍は雪崩を打つように南へ敗走し、最終段階では軍属の人々も放置して崩壊した。
こうした流れや無責任な全体状況は、死を選ぶしかないほど人々の心身を追い込んだとみることもでき、「強制は明らかでない」と言い切れるものだろうか。
また沖縄戦は、ここから歴史、社会、地理、文化などさまざまな学習テーマを見いだすことができる。次世代が学び継いでいくべき内容は尽きない。だが総じて教科書では切り詰めた書き方になる。学習指導要領に沿って編集される検定教科書はどうしても「項目にできるだけ漏れのない」均等割り的な記述になりやすい。
いっそのこと、高校では検定を廃止し、教材を学校・教師・生徒に任せることを検討してみてはどうだろうか。例えば、沖縄戦を一つの核にして、学習テーマを総合的に広げていくという長期授業の試みがあってもいい。
昨秋明らかになった大量履修不足問題は、大学入試に関係なければ歴史学習に関心や意欲がわかないという高校生が少なくないことを示した。指導要領にも問題がある。新しい大学入試のあり方とともに、検定というタガを外した高校の教科学習を本腰を入れて考える時にきているのではないか。
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『[教科書検定]「歴史上の論争点は公正に記せ」』(3/31読売社説)
諸説ある史実は断定的には書かない、誤解を招くような表記は避ける。文部科学省が求めたのは、そんな当たり前の教科書記述だったと言える。
来年春から高校で使われる教科書の検定結果が公表された。
終戦の年の1945年、沖縄戦のさ中に起きた「集団自決」をめぐる記述が一つの焦点になった。
日本史教科書を申請した発行社6社のうち5社の記述に、それぞれ「沖縄戦の実態が誤解されるおそれがある」との検定意見がついた。「集団自決」について、「日本軍が追い込んだ」「日本軍に強制された」などと表記していた。
「日本軍が」の主語を削り、「集団自決に追い込まれた人々もいた」などと修正することで結局、検定はパスした。
今回、文科省が着目したのは「近年の状況の変化」だったという。
70年代以降、軍命令の存在を否定する著作物や証言が増えた。一昨年には、大江健三郎氏の著書に命令した本人として取り上げられた元将校らが、大江氏らを相手に名誉棄損訴訟を起こしている。
生徒が誤解するおそれのある表現は避ける、と規定した検定基準に則して、今回の検定から修正要請に踏み切った。妥当な対応だったと言えよう。
ただ、昨年度検定の高校教科書などには、こうした表記が残っている。文科省は速やかに修正を求めるべきだ。
「南京事件」は7社が日本史、世界史で取り上げた。うち4社の犠牲者数について、「諸説を十分に配慮していない」との意見が付いた。
「10数万人」「20万人以上」「中国側は30万人、という見解」――。一方に「1~2万人」や「4万人」といった学説がある中で、各社の記述は数字の大きな犠牲者数に偏っていた。
「例年、検定意見が付くとわかりながら、大きな犠牲者数のみを書いてくる発行社がある。ゲーム感覚なのか」と文科省。とても教科書作りの場にふさわしい姿勢とは言えない。
「従軍慰安婦」をめぐる記述は6社が取り上げたが、検定意見は一つも付かなかった。昨年までは、日本軍が慰安婦を強制連行した、といった記述に「誤解を招く」などの意見が付いていた。
発行社側が意見の趣旨を理解したことの表れなのかどうか、注視したい。
一方で、最近の慰安婦問題をめぐる国内外の論争が、今後の検定に微妙な影響を及ぼすことを懸念する声がある。
政治や外交などに翻弄(ほんろう)されることなく、客観的で公正な記述の教科書を、学校現場に届けたいものだ。
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『沖縄戦 新検定方針を評価したい』(3/31産経社説)
来春から使われる高校教科書の検定結果が公表され、第二次大戦末期の沖縄戦で旧日本軍の命令で住民が集団自決を強いられたとする誤った記述に初めて検定意見がつき、修正が行われた。新たな検定方針を評価したい。
集団自決の軍命令説は、昭和25年に発刊された沖縄タイムス社の沖縄戦記『鉄の暴風』に記され、その後の刊行物に孫引きされる形で広がった。
しかし、渡嘉敷島の集団自決について作家の曽野綾子さんが、昭和40年代半ばに現地で詳しく取材し、著書『ある神話の背景』で疑問を示したのをはじめ、遺族年金を受け取るための偽証が基になったことが分かり、軍命令説は否定されている。
作家の大江健三郎氏の『沖縄ノート』などには、座間味島や渡嘉敷島での集団自決が、それぞれの島の守備隊長が命じたことにより行われたとする記述があり、元守備隊長や遺族らが、誤った記述で名誉を傷つけられたとして訴訟も起こしている。
軍命令説は、信憑(しんぴょう)性を失っているにもかかわらず、独り歩きを続け、高校だけでなく中学校の教科書にも掲載されている。今回の検定で「沖縄戦の実態について誤解するおそれがある」と検定意見がつけられたのは、むしろ遅すぎたほどだ。
沖縄戦を含め、領土、靖国問題、自衛隊イラク派遣、ジェンダー(性差)などについても、一方的な記述には検定意見がついた。検定が本来の機能を果たしつつあると思われる。
前進ではあるが、教科書にはまだまだ不確かな証言に基づく記述や信憑性の薄い数字が多いのも事実だ。
例えば南京事件の犠牲者数は誇大な数字が書かれている。最近の実証的研究で「10万~20万人虐殺」説はほとんど否定されており、検定では諸説に十分配慮するよう求めている。
その結果、「数万人」説を書き加えた教科書もあるが、相変わらず「30万人」という中国側が宣伝している数字を記述している教科書はある。
子供たちが使う教科書に、不確かな記述や数字を載せるのは有害でしかない。教科書執筆者、出版社には、歴史を楽しく学び、好きになれる教科書づくりはむろんだが、なによりも実証に基づく正確な記述を求めたい。
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コメント
「アカイアカイ アサヒアサヒ」は尋常小学校の一年生の教科書に出ていました。
先見の明があったのですね。
ひたすら、爆裂し始めましたね。
悪あがきにも程がありますが、「ファビョーン」民族の社員比率も高い両社なので、そろそろ自社に火を付ける「パフォーマンス」でもやりますかな?
「右翼の仕業ニダ!」((´∀`))ケラケラ
今月の20日は、
アサヒの「K・Yって誰だ?」記念日ですね!
平成元年だったので、今年で18周年ですね!
おめでとう「祝!K・Yって誰だ」
投稿: tono | 2007年3月31日 (土) 20時39分
僕はNHKのニュースで見ましたが、国営放送なのにどうしてあんなにも自虐的な放送をするのでしょうねえ! 我が国国民は、たとえそれが戦時中の軍人であったとしても、多くの方々は真っ当な方々であったのは間違いなく、それなのに何で、悪者にしたがるのでしょうねえ。 あんな放送していたら、そりゃあ中共やノムピョンピョンは、ピノキオのごとく、高笑いしていることでしょうねえ。
投稿: パンプキン | 2007年3月31日 (土) 21時10分
tonoさま
尋常小学校の教科書は偶然?!とはいえ大いに笑えますね。
KY18周年ですか。反省は全くしていないようで同じようなことの繰り返しで困ったもんですね。
投稿: 練馬のんべ | 2007年3月31日 (土) 22時21分
パンプキンさん
NHKも反日の仲間ですね。こんなところに税金同様のものが取られるのだからたまりません。
投稿: 練馬のんべ | 2007年3月31日 (土) 22時22分
"チョウニチ"新聞
>日本軍に「集団自決」を強いられた → 追いつめられて「集団自決」した
>日本軍に集団自決を強制された人もいた → 集団自決に追い込まれた人々もいた
この変更のどこがいけないと言うのでしょうか。
客観的な事実部分の表記で、この方が妥当じゃないですか!
>軍の関与が削られた結果、住民にも捕虜になることを許さず、自決を強いた軍国主義の異常さが消えてしまう。
>それは歴史をゆがめることにならないか。
軍国主義が異常?
かつて「皇軍 かく戦えり」みたいな報道、してたんじゃなかったでしたっけ?
軍国主義が異常だったわけではなく、"今の眼"だからそう言えるだけでしょう。
当時、政府の弱腰を批判し、対米戦をあおったあなたの新聞が、
今ではその事実に目をつぶっていることの方が、よほど異常でしょう。
>なぜ、今になって日本軍の関与を削らせたのか、ということだ。
>そもそも教科書の執筆者らは「集団自決はすべて軍に強いられた」と言っているわけではない。
>そうした事例もある、と書いているにすぎない。
お~おぉ、そうかそうか。
では言い直しましょう。
「日本軍はすべて関与していなかった」と言っているわけではない。
「集団自決は軍命令ではなかった」と言っているにすぎない。
>国民にとってつらい歴史でも、目をそむけない。将来を担う子どもたちにきちんと教えるのが教育である。
ノムヒョンさんに言ってやりなさい!
こきんとうクンにもね。
しかしながら、これらの検定報道(沖縄戦における集団自決問題)に満足していてはいけません。
南京事件、慰安婦問題等に関しては、"パス"してしまう教科書が出ています。
http://www.sankei.co.jp/shakai/wadai/070331/wdi070331000.htm
これで思い出すのは、「真岡に散った9名の乙女」についての、「道民」さんのコメントです。
推薦された書物をつぶさに読みましたが、"資料性"には乏しい、としか思えないものでした。
伝聞、推論の域を脱し切れていないのです。
これでは証拠になりません。
調査された著者の方には敬意を表しますが、残念だとしか言いようがありません。
どうも"サヨク"の方たちは、真岡の話があまりに愛国心に富んだ伝わり方をしていることが我慢ならないのでしょうか。
なんとかして否定したいのでしょうね。
「道民」さんも、"あの時期"に突然、いくつかのブログに同じコメントを突然残されましたので、
どうもわたしは、"勘ぐって"しまっております。
急な書き込み、大変失礼をいたしました。
投稿: バンヒ | 2007年3月31日 (土) 23時36分
バンヒさん
沖縄戦問題はましになっても確かに南京大虐殺なんぞ無茶苦茶が今回の検定でもまかり通ったそうですね。ひどいもんだ…
道民さん推薦の「九人の乙女一瞬の夏」は序文だけコピペした後、私も読んでネタにするつもりだったのですが、確かに「これで決まり」というほどの感じは受けなかったため、歯切れの悪いことになりそうで、記事にするのをさぼってます。
投稿: 練馬のんべ | 2007年3月31日 (土) 23時45分
>歯切れの悪いことになりそうで、記事にするのをさぼってます
記事にはなさらないほうがよろしいかと思います。
あの「北海道新聞」すら、飛びついていないのですから。 ^^;
レスをいただき、ありがとうございます。
投稿: バンヒ | 2007年4月 1日 (日) 00時35分
バンヒさん
なるほど、そうですね。「北海道新聞」で納得です。
投稿: 練馬のんべ | 2007年4月 1日 (日) 18時12分