品川寺にて昭和殉難者と学徒を慰霊
品川寺(ほんせんじ)は、京急線青物横丁駅近く、旧東海道沿い、品川宿にあります。入り口にはデーンと大仏さま風のお地蔵様(江戸六地蔵第一番)が鎮座なさっています。
中にはいると樹齢300年の大銀杏や七福神があり、なかなか楽しい。大きな梵鐘はなんと洋行帰り!そういえば駅前の通りは「ジュネーブ平和通り」です。洋行帰りとはなんのことかって?品川寺のホームページの「大梵鐘」をご覧下さい。
観光気分はここまで。お参りして、靖國神社会報を見て来た旨を伝えたら、戦争裁判殉国者「仁慈(いつくし)の鐘」(写真左)と出陣学徒「まことの鐘」(写真右)を紹介してくれました。こちらでは、毎年12月22日(命日…絞首刑の日…の前日)に昭和殉難者7名(いわゆるA級戦犯)の法要を行うそうです。鐘を撞かせて貰い、合掌してきました。
ぜひこのお寺ではぜひこれからも永く法要を続けていただきたいもの、と思い、ちょうど「平成大修理瓦奉納」を行っていたので気持ちばかりですが一口奉納しました。
品川寺と言えば、ローマ法王・パウロ六世に「日本人殉難者のためにミサを」と訴えた仲田順和師のお寺です。そして、ヨハネ・パウロ2世がミサを行いました。そのときのヨハネパウロ2世のお言葉「日本から来た仏教徒の訪問者たちを、特別なやり方で、あたたかく歓迎します。あなた方に平和の祝福を希望します。われわれ自身についての真実の受容と、われわれの生存の目的がその内部に存する平和を。すべての人間の威厳に対する尊重が存する他人との平和を。神がその恩恵をあなた方にお示しにならんことを、祈ります。」
この話はぜひ「反日ワクチン」さんの「昭和殉難者のミサ」、および、「一燈照隅」さんの「ローマ法王が所謂ABC級戦犯を慰霊」をご覧下さい。また、続きには「靖國」(靖國神社崇敬会の会報)収録の名越二荒之助氏『「昭和殉難者」に捧げる鎮魂のミサ-宗教や勝敗を超えるローマ法王―』を転載しましたので、こちらもぜひご覧下さい。
「昭和殉難者」に捧げる鎮魂のミサ
-宗教や勝敗を超えるローマ法王―
名越二荒之助
<バウロ六世の念願>
東京都品川区に品川寺(ほんせんじ)というお寺があります。真言宗醍醐寺派の別格本山で、住職の仲田順海師は、終戦後境内に、極東国際軍事裁判によって処刑された殉難者の慰霊堂を建立し、法要を欠かしませんでした。本堂の軒下には「為万世間太平」へ万世のために太平を開かん)という終戦の詔書の一節を刻んだ釣鐘があり、それには「A級戦犯」として処刑された七人の署名が刻まれています。参拝者はこの鐘を撞いて慰霊するようになっています。品川寺は殉難者や遺族や戦友たちにとっで、魂のメッカでした。
昭和50年(1975)のことです。順海師が亡くなられて、跡を継いだ仲田順和師らが、ローマ法王を訪ねたことがありました。その時の法王はバウロ六世でした。この方はイタリア人で、昭和38年(1963)から法王の地位にあり、大戦後宗教・宗派間の争いが絶えないことを憂いて、世界を飛び回っていました。順和師は、この法王なら判って貰えると思って、率直に質問してみました。
「第二次大戦後、戦勝国は敗戦国日本に対して軍事裁判を行ない、1068人を死刑にしました。そのことを法王としてどう思いますか」
「それは恥かしいことです。私は処刑された人々のミサを行ないたいと思います」
と答えました。
仲田住職は感激しました。
「さすがカトリック教徒11億人のトップに立つ法王だ。宗教宗派の対立解消を念願しているばかりではない。戦争観や歴史認識においても、正邪善悪や敵味方を超えて、相互理解を図ろうとしている。これこそ宗教者としての本来のあり方であり、平和精神の体現者ではないか」と。
<五重塔に1068柱の位牌を納めて>
仲田住職は、帰国すると早速、親しくしていた栃木県大田原市の木工芸家・星野皓穂氏を招いて協議しました。その結果、星野氏が、醍醐寺の五重塔のミニチュア(1/15)を造り、その中に昭和殉難者・1068柱の位牌を納め、それを法王庁まで持参することを考えました。そもそも五重塔は、日本仏教の典型です。その中に位牌を納めれば、意義が深まりましょう。それに仲田住職は醍醐寺派の事務総長です。
計画がまとまると、星野氏は五重塔の製作に没頭しました。3年が経過して、ほぼ完成に近づいた昭和53年(1978)のことです。バウロ六世が逝去してしまいました。頼りにしていた法王が亡くなっては、計画は実現できません。次の法王はヨハネ・パウロ一世に決まりました。ところがこの法王は在職わずか33日で急逝してしまいました。続いて選ばれたのが、ヨハネ・パウロニ世です。
パウロニ世は、奇しくも当時共産国家だったポーランド出身です。法王は就任すると、翌年の6月、ポーランドを訪問しました。国民は熱烈に歓迎し、カトリックヘの信仰が全土に盛りあがりました。「ポーランドにとってカトリックは1000年の歴史があり、共産主義は僅か40年。どちらが勝つか」が合言葉になりました。東欧から共産主義を追放するキッカケを作ったのは、ポーランド出身のパウロ二世だった、とは今も変らぬ評価のようです。
新法王の多忙な活躍を知った仲田住職らは、昭和殉難者の慰霊は、ほとんどあきらめていました。ところが驚いたことに、昭和55年(1980)4月、パウロ二世から一通の親書が届きました。「5年前の約束を果したい」と言うのです。バウロ六世の願いが、次の次の法王まで申し送られ、それを約束通り実行するのです。さすが法王庁の責任感に頭がさがりました。
<サンピエトロ大聖堂における鎮魂のミサ>
仲田師は位牌を納めた五重塔と、それを製作した星野氏や長男を同行して、ローマ法王庁に出かけました。5月21日、サンピエトロ大聖堂で、盛大なミサが厳粛に行われ、殉難英霊の五重塔が奉納されました。その次第をイタリアの新聞が報道しているので、部分訳してみましょう。
「日本で戦歿者慰霊の導師としてよく知られている仲田順和師は、以前パウロ六世に会った。今年は終戦35年に当たるので、バウロ六世の遺志の継承者であるヨハネ・パウロ二世に会うために、再びローマにやってきた。
仲田師は目本の戦争責任者として裁判にかけられた1068名の霊への祈祷をお願いし、あわせて彫刻家の星野皓穂氏が造りあげた日本仏教のシンボルである五重塔を贈った。それに対してバウロ二世は『日本からお見えになった仏教徒の方々を、特別に歓迎します。神はすべての人に等しく恩恵を垂れる故に、人間はみな尊厳であり、それを尊重し合うところに真実の平和があります』という趣旨の説教を行った。」
<ブルノ・ヴィッテル神父の英断>
ここまで書いて、思い出したことがあります。実は戦前、日本は海外に神社を総計560社(台湾、樺太、千島、朝鮮、南洋、満州等)創建していました。しかし敗戦するとそれらの殆んどが焼き払われました。中には宮司が御神体の焼失を恐れて、社殿だけ自ら奉焼したものもありますが、私はその頃北朝鮮にいましたので、この惨状を目撃し目も当てられぬ思いでした。
この海外神社焼却の動きは日本にも伝わりました。特に靖國神社は、軍国主義の象徴と見られましたから、GHQ内部からも、神社焼却の動きが出てきました。
それを察知したマッカーサーは、当時ローマ法王庁の使節として来日していたブルノ・ヴィッテル神父(ドイツ人)に意見を求めました。神父は「戦勝国と敗戦国を問わず、国家のために命を捧げた人に敬意を払うのは自然の法である。それは国家として当然の義務であり権利でもある。もし靖國神社を焼き払えば、それは犯罪行為であり、米軍の歴史に不名誉な汚点を残すことになろう」と返答しました。かくして神社焼却の悪計は、土壇場で阻止されたのでした。(朝日ソノラマ、昭和48年刊『マッカーサーの涙』参照)
<「戦歿者追悼に関する国際学会」の提唱>
カトリックの信仰は、ブルノ神父ばかりではありません。先にも紹介したようにローマ法王は、「ABC級戦犯」と言われる方々に対して、鎮魂のミサを捧げています。法王は戦争の勝敗も善悪も、そして宗教・宗派の差異も超えて、相互理解を深めようとしているのです。
日本も靖國神社に代表される人間の心や信仰の問題について、理解を深めるよう、もっと努力すべきではありませんか。そのために例えば、日本の宗教団体あたりが主唱して、「戦歿者追悼方式をめぐる国際学会」の開催を、世界に向って呼びかけるのです。ローマ法王庁をはじめ、共鳴してくれる団体は多いと思います。
私はこれまで、韓国、アメリカ、イギリス、ドイツ、イラン等の人々を案内して靖國神社に参拝したことがあります。彼らは民族独自の祭祀方式を持った靖國神社に、興味と関心を持っています。質問も熱心で、日本人が気づかない点を衝いてきます。その点を踏まえて、国際学会における日本側発表の試案を、箇条書にしてみたいと思います。
①靖國神社は、民族固有の信仰で祀られているから、日本人の心が鎮まるのだ。政教分離を狙った無宗教施設では、慰霊の心が起らないし、靖國寺でも靖國廟でも、そして靖國教会でも、しっくりこないのだ。
②最近外国人からよく聞かれる。「死んだら靖國神社で会おう、という信仰はどうして生れたのか。日本にしかないのではないか」と。たしかに日本にしかないだろう。国立の墓地で祀る国は、戦死者の遺体を国がとりあげて埋葬するから、広大な土地が必要になる。韓国はソウルに国立の墓地を建立したが、それでは収まらず、大田市に百万坪の土地を造成した。アメリカはアーリントン墓地では収まらず、八ケ所に造成している。イギリスはもっと多い。だから埋葬される場所がバラバラになる。それに対して日本では、御遺体は各家庭にお返しし、祖先と共に祀る。その場合引き取り手のない遺骨は、千鳥ヶ淵墓苑に納める。そしてすべての英霊は靖國神社に鎮まる。霊魂を祀るから、神域の広さに関係ない。「会いたくなったら靖國神社に来い」という信仰が、自然のうちに生れたわけだ。
③靖國神社は歴史が古いから、御祭神にまつわる感動の物語が多い。尊敬する先輩や
偉人と共に祀られる。イラクに派遣された自衛隊員も本音を語っていた。「殉職したら市ケ谷の殉職自衛官慰霊碑に名簿が納められるらしい。できることなら私としては、二百数十万の御祭神と共に靖國の杜に鎮まりたい。あそこなら参拝者が絶えないし、日本国民と共にあるような気がする。やはり戦死して帰る所は靖國神社しかない」と。
国際的な学会方式で相互理解を深める案を紹介した。しかしもっと手っ取り早い方法がある。先進八ケ国首脳会議(サミット)の時、安倍首相がこの件を議題として出したらよい。各国首脳は自信をもって自国の場合を吹聴するに違いない。その時安倍首相が坦坦と日本の祭祀方法を語れば、なるほど日本の方法が最も自然であり、人間の心と信仰に叶う方式である、と評価されるに違いない。
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コメント
お知らせ有難うございます。
品川寺、私も行って見たいし、じかにお話も聞いてみたいのですが、なかなか機会がつくれません。
瓦の奉納もされたようで、貴兄の真心に感激します。
このミサのことも、このお寺のことも、もっともっと多くの日本人に知って頂きたいですね。
投稿: 小楠 | 2007年3月 5日 (月) 08時10分
TB有り難うございます。
品川寺に行かれてのお参りに、殉難者も喜ばれたことでしょう。
品川寺のことやローマ法王の鎮魂ミサを多くの人に知っていただきたいですね。
靖国神社には世界中の戦争でなくなった人を祀る鎮霊社も有ります。
他の宗教では考えられない、神道だから出来ることでです。
投稿: まさ | 2007年3月 5日 (月) 20時45分
小楠さま
品川近辺では有名なお寺らしい(七福神ファンにとっては、一カ所七福神(金生七福神)+東海七福神のダブルで楽しめるお寺)のですが、一般には知られていませんね。私も小楠さんとまささんの記事でこのお寺を知ったわけです(感謝!)。ぜひ多くの人に知ってほしいですね。
PS.瓦奉納の件、恐縮です。写真の通り一口千円で非常に気楽に出来るので、こちらもぜひ多くの人に参加してほしいものと思います。瓦に名前を書いて奉納するので、永く記念になります。
投稿: 練馬のんべ | 2007年3月 5日 (月) 20時50分
まささん
先ほども書いたようにまささんと小楠さんの記事には感謝です。お陰でとても素敵なお寺を尋ねることができました。
鎮霊社は以前は遠くから拝礼することしかできなかったのですが、最近は拝殿に向かって左側に門が出来て間近でお参り可能になりました。鎮霊社の存在は何となく不思議ですが、神道の目でみれば当たり前なのがすごいですね。
投稿: 練馬のんべ | 2007年3月 5日 (月) 20時59分
巷では靖国神社のみが騒がれているように感じますが、この記事で紹介いただいた品川寺に限らず、全国の津々浦々には様々な殉国者碑や戦没者碑があり、地元の神社のほとんどには護国神社があるわけで、もう少しそれらも見直して欲しいものだと考えていました。
今の私たちのために戦地に赴いたのは、自分たち自身の祖父母や地域の諸先輩方であることを、私たちの世代が次に伝えて行かなくては....。
PS.
私の住む愛知には、いわゆるA級戦犯の汚名を着せられ絞首台に上がった7人が祀られる「殉国七士廟」がありますが、訪れる方も少なくあまり知られていないようです。
投稿: 山本大成 | 2007年3月 6日 (火) 14時21分
山本大成さま
おおいに賛成です。この1月まで靖國神社で「諸国の護国神社」という展覧会をやっていました。東京には護国神社はありませんが…
「殉国七士廟」ですか、一度行ってみたいですね。
投稿: 練馬のんべ | 2007年3月 6日 (火) 20時00分