朝日サマ社説が柳沢大臣メタボ発言にイチャモン
『人権メタボ 文科相のひどい誤診だ』(朝日サマ社説2/27)
誰がイチャモンつけるかな?と思ったら朝日サマ社説でしたか。期待を裏切らないあたり、そのサービス精神には感服です。
『本当に「人権過多」の状況がいまの日本社会にあるのだろうか。周りを見渡してみよう。』
いっぱいあるんじゃないですか。加害者の人権、無勤務の奈良市職員(部落解放同盟幹部)の人権なんかその典型です。声の大きな強者の人権ばかりが重視される「人権メタボ」のため、その反対側の声を出せない弱者(被害者や、真に生活保護が必要な人たちなど)の人権などは無視される、という状況ですから。上手い言葉だと思いますよ。
『北朝鮮による拉致問題も重大な人権侵害だ。そう日本政府も考えて、北朝鮮に対する人権非難決議を国連に提出し、採択されたのではなかったか。』
はあ?と気が抜けそうです。話をそらし方があまりにお下手、朝日サマらしくもない(笑)。柳沢大臣の発言は日本社会のことじゃなかったのですか?
『「人権」はいまや世界のキーワードだ。大きく変動する国際社会、アジア情勢の中にあって、民主主義と人権を掲げ続けることが日本の役割だろう。一人ひとりが尊重される「人権立国」をめざす姿勢こそが国際的な評価を高める。』
だったら日本政府に向けてでなく、中国共産党に言ってくださいよ。人民日報の事実上の日本支社でしょ?
『メタボリック症候群になるどころか、人権はまだまだ栄養が足りない。』
先ほど書いたように、声の小さな弱者の人権に「栄養が足りない」というのは事実でしょう。強者が奪い取っていきますから。強者の人権を制限し、弱者の人権を認めよ、というのなら賛成、ぜひそういうキャンペーンを張ってください。そんなこともせずに、この社説とは卑怯そのものです。まあ、いつも朝日サマの社説は卑怯ですけどね。
ついでに。もう一つの社説『衛藤氏の復党 「鈍感力」で右旋回か』もいいですね。右旋回、なんて久々に聞きました。最後の一文なんかなかなか。
『小泉前首相は批判に揺さぶられない「鈍感力」を勧めたが、民意が見えないのは単なる鈍感と変わらない。』
民意が見えない=朝日サマのご高説に反する、です。そう読めば非常にわかりやすい文章でした(笑)
(続きは記事の保存です、当面はリンク先をご覧下さい)
『人権メタボ 文科相のひどい誤診だ』
「毎日バターばかり食べていれば、皆さんはメタボリック症候群(内臓脂肪症候群)になる。人権だけを食べ過ぎれば、日本社会は人権メタボリック症候群になるんですね」
伊吹文部科学相は長崎県での自民党支部大会でこう語った。
内臓に脂肪がつきすぎると心筋梗(こう)塞(そく)など様々な病気を起こしやすくなる。そんな医学的な症状に例えて、人権をあまり重んじすぎると、社会がおかしくなる、と言ったのだ。
講演のテーマは「教育再生の現状と展望」だった。伊吹文科相は「権利と自由だけを振り回している社会はいずれ駄目になる。権利には義務が伴う」とも語っている。
人権を振りかざして義務を果たさずに権利ばかりを主張するのはおかしい。そう言いたかったのかもしれない。
しかし、「権利」と「人権」は重なり合うが、同じではない。
「人権メタボリック症候群」という言葉から伝わってくるのは、人権に対する文科相の感性の乏しさだろう。
本当に「人権過多」の状況がいまの日本社会にあるのだろうか。周りを見渡してみよう。
文科相の足元では、いじめに耐えられずに自殺する子どもが絶えない。子どもだけでなく、お年寄りへの虐待も頻発している。配偶者らからの暴力や脅迫の被害も数え切れない。障害者や外国人などへの差別もなくならない。
先週には、強圧的な取り調べで自白を迫り、事実をでっちあげる捜査がいまだに行われていることが、裁判所で断罪されたばかりだ。
社会が取り組まなければならない人権問題の多さに戸惑いこそすれ、行き過ぎではないかと心配するような状況ではまったくない。
北朝鮮による拉致問題も重大な人権侵害だ。そう日本政府も考えて、北朝鮮に対する人権非難決議を国連に提出し、採択されたのではなかったか。
この問題の解決のためにも、自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的価値を共有する国々との連携を強化する。安倍首相は1月の施政方針演説でそう述べていた。
その首相が伊吹発言を「問題ない」と言うのも、おかしな話だ。
「人権」はいまや世界のキーワードだ。大きく変動する国際社会、アジア情勢の中にあって、民主主義と人権を掲げ続けることが日本の役割だろう。一人ひとりが尊重される「人権立国」をめざす姿勢こそが国際的な評価を高める。
それだけに、日本の教育や文化を担う大臣が人権をないがしろにするような発言をしたのはとても残念だ。日本人は今の人権状況で十分だと思っている。そんな間違ったメッセージを世界に発してほしくはない。
メタボリック症候群になるどころか、人権はまだまだ栄養が足りない。
『衛藤氏の復党 「鈍感力」で右旋回か』
今度の安倍首相は、テコでも動かないという決意のようだ。一昨年の総選挙で落選した衛藤晟一(せいいち)前議員の、自民党への復党である。
衛藤氏は衆院の採決で郵政民営化法案に反対し、無所属で総選挙を戦い、落選した。のちに離党した。
この衛藤氏を、夏の参院選比例区で自民党公認候補にしたいという。公認するからには復党が前提になる。落選議員の復党は参院選後に、という党の方針を覆そうというわけだ。
同じ造反組で参院選の岐阜選挙区に立つ藤井孝男氏は、推薦にとどめた。
原則も筋論も融通(ゆうずう)無碍(むげ)という、自民党ならではの柔軟さというほかないが、有権者には何とも分かりにくい。
思い起こせば、安倍内閣の支持率が急落する引き金になったのは、総選挙で当選した造反組11人の復党だった。その時は、造反議員の後援会票を取り込みたい参院自民党の思惑が先行し、首相の存在感は乏しかった。
だが今回は事情が大きく異なる。
「衛藤さんは私と同じ考え方、方向性を持った議員だ。長年よく知っている」
「同じ方向に向かって国づくりを進めていこうという信念と決意と勇気がある人には一緒に参加してもらいたい」
首相自らがそう言って、衛藤氏復党の旗を振っているのだ。
今回はむしろ、党内の方がブレーキをかけたがっているようだ。世論の批判や、選挙協力をする公明党が嫌がっていることへの心配が語られている。
だが、首相は「私が判断する」と自らのリーダーシップを強調している。なぜ、これほど力を入れるのか。
2人はともに拉致議連で役員を務めた。先の大戦を「自存自衛の戦い」とし、政府の「謝罪外交」を批判する議員グループでも一緒に活動してきた。
歴史教科書の従軍慰安婦の記述について「自虐史観」だとして見直しを求める「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」では、衛藤氏が幹事長、安倍氏が事務局長のコンビを組んだ。
そんな衛藤氏の復党に指導力を発揮すれば、歴史見直しなどを訴える本来の支持基盤の期待に応えられる。断固として貫けば指導力への不信もぬぐえる――。そんな読みがあるのかもしれない。
就任早々に中国、韓国との関係打開で世論の高い支持を得た首相だが、支持率が下がってくれば右寄り路線に回帰するのでは、との見方はあった。
だが、指導力への国民の不信はこんな形で挽回(ばんかい)できるとはとても思えない。テーマをはき違えてはいないか。
社会の格差をどう是正するのか。少子化への備えは。「政治とカネ」をめぐる政治不信にどう応えるのか。そうした課題に首相の指導力が見えないことに、国民の多くは失望しているのだ。
小泉前首相は批判に揺さぶられない「鈍感力」を勧めたが、民意が見えないのは単なる鈍感と変わらない。
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コメント
>朝日サマ社説が柳沢大臣メタボ発言にイチャモン
伊吹では…強烈な印象を残しました!?
投稿: 蓮 | 2007年2月27日 (火) 20時00分
はじめましてm(_ _)m
本文中にお書きの内容についておうかがいしたく思い、書き込み致します。
本文中の、
(人権過多の状況が)「いっぱいあるんじゃないですか。加害者の人権、無勤務の奈良市職員(部落解放同盟幹部)の人権なんかその典型です。声の大きな強者の人権ばかりが重視される「人権メタボ」のため、その反対側の声を出せない弱者(被害者や、真に生活保護が必要な人たちなど)の人権などは無視される、という状況ですから。」
についてですが、これは、
《「声を出せない弱者」の人権などが無視される原因は「声の大きな強者の人権ばかりが重視される」ことである》とのご指摘と受け取ってよろしいでしょうか。そうであるとしますと、
同文中にある「重視」をする主体は誰だとお考えでしょうか?
投稿: | 2007年2月27日 (火) 20時14分
蓮さん
♪伊吹颪に颯爽と…あ、違った…
アナクロのんべが酔っぱらった時に唄う八高寮歌「伊吹颪」の前口上(のんべは名大卒でも八高卒でもなく、単なる寮歌ファン)
富貴名門の子女に恋するを、純情の恋と誰が言う。
路頭にさまよえる女に恋するを、不浄の恋と誰が言う。
泣いて笑って月下の酒場にて媚を売る女の中にも、睡蓮のごとき純情あり。
酒は飲むべし百薬の長、女は抱くべし陶酔の境。
女の膝枕にて快楽の一夜を過さば、人生の夢もありなばまた恋もありなむ。
風吹かば吹け、雨降らば降れ、いざ行かんかな若き男の子よ。
暗鬼凄めく混乱の巷、いざ高らかに歌わんかな、第八高等学校寮歌、伊吹おろし、1!2!3!
(最後はアイン!ツバイ!ドライ!だったかな?記憶が他の寮歌と混乱。決して、Eins!Zwei!Drei!ではない)
投稿: 練馬のんべ | 2007年2月27日 (火) 20時24分
?さま コメント有り難うございます。
(以下少し酔っているので文が乱れるのは勘弁)
昔ながらの憲法論で「人権」とは、「国家権力」が「人民」(嫌いな言葉です)に保障するものです。日本国憲法の言葉を使えば、それを守る主体は「国」で守られる客体は「何人も」または「国民」になります。
ご質問で言えば、国(事なかれ主義のお役所)が強者の人権を必要以上に守っている、ということになります。
現代では、「人」同士(広くは、「人」には自然人だけでなく法人も含む)の人権の相克が問題になります。その場合、どちらを優先するかを判断するのはまずは本人間の力関係(この場合強者が勝つ)で、最終的には司法判断ですが、一般的に弁護士は強者の味方ですから、司法の場でも強者の人権が優先されがちです。
また、マスコミも最強の権力ですから、マスコミが守るべき人権を判断しており、強者の人権にほっかむりである以上、強者の人権を守って弱者の人権を保護にしているのはマスコミである、とも言えます。
批判はあるでしょうが、のんべはだいたいこんな風に思っています。
投稿: 練馬のんべ | 2007年2月27日 (火) 20時43分
練馬のんべ様。
20:14のコメントを書いた者です(名前を書き入れるのを忘れておりました)。お答え頂き、有り難うございます。
投稿: fuegos | 2007年2月27日 (火) 21時01分
fuegosさま
ご丁寧に有り難うございました。今後ともよろしくお願いします。
投稿: 練馬のんべ | 2007年2月27日 (火) 21時38分