樺太1945年夏 氷雪の門(再掲)
今日は北方領土の日。8月12日と20日に載せた記事を再掲します。
今日8月20日は樺太・真岡郵便局の電話交換手9名の命日。
以下は8月12日に載せた記事ですが、本日付けで掲載しなおし、9名に感謝を捧げ冥福を祈ります。黙祷。
今日(8/12)、靖國神社・遊就館で上映されている「樺太1945年夏 氷雪の門」を観ました。昭和49年に制作されながら、上映10日前にソ連の圧力で上映中止に追い込まれた、という曰く付きのもの。
感想。涙なしには観られない、どころではありません。私は不惑すぎのおじさんですが、後半泣き通しでした。
ソ連は8月8日に宣戦布告、9日参戦、15日に樺太全土の婦女子に疎開命令、その後もソ連の侵攻はやまず殺戮を続ける。
20日に真岡郵便局の電話交換手9名が自決して物語は終わりますが、それまでにも病院の看護婦の集団自決、日本軍の戦闘停止交渉の使者が機関銃で虐殺、避難民にも容赦ない機銃掃射、町へは艦砲射撃、などなど。出てくる人はみんな殺される、全く救いのない映画です。作り物なら酷すぎる、と文句をつけるところですが、実話です…
当初は絶対に子供にも見せたい映画、と思っていましたが、あまりに悲惨過ぎて子供にはちょっと見せられません。
この映画が靖國・遊就館でしか上映されていないのが残念です。(既に終了しました)
これは靖國が嫌いな人たちにもぜひ観て欲しい。靖國というと反射的に「戦争賛美」などと思う人もいるのでしょうが、これは反戦映画そのものです。
(8/28追記。朝日歌壇鑑賞会様に頂いたTBで、反戦ではなく、反ソ連、というご指摘があり、大いに参考になりました。TB有り難うございました。まさにその通りで、「終戦で平和になった」後の国家犯罪による虐殺が主題です。戦後、サヨクの人たちにより『反戦』という言葉に『反「日本の軍国主義(とやら)」』という手垢を付けられてしまいましたが、ここでは『反戦』=『反「真の軍国主義」』とご理解下さい。)
これなら某G務省ロシアスクールの邪魔さえ入らなければ、テレビ放送も可能かもしれません。もしTBSがこれを流したら、私は放送免許取消の署名を撤回します。
ちらしの裏面。どの写真もクリックで大きくなりますが、この写真と上の写真は下が切れるので下に追加します。
ちらし裏面の下の物語の部分
ちらし表面の下の部分。DVD購入先も載っています。
※2/7追記:「氷雪の門」は全面的には事実ではない旨のご指摘も頂いておりますが、電話交換手9名が自決なさったは事実としか思えません。ご紹介頂いた「九人の乙女一瞬の夏」では、その場に12名いて、3名が生き残った。「皆さんこれが最後ですさようなら さようなら」という電話をしたのはフィクション、という記述です。自決なさったのも悲劇ですが、生き残った方々の辛さもまた想像を絶するものと思います。これ以上の話は別途記事にする予定ですが、まだ読み終わっていないので、しばらく先のことになります。
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コメント
TB有り難うございます。
「氷雪の門」ぜひテレビで放送して、多くの人に知って貰いたいですね。
投稿: まさ | 2006年8月13日 (日) 22時19分
在外日本大使館/総領事館主催の「日本映画無料鑑賞会」で、ぜひ上映してほしいです。
実写ではありませんが、無抵抗な、逃げ惑う女子供を背後から容赦なく撃ち、日本領土を乗っ取るなんて。。。
投稿: リカ | 2006年8月21日 (月) 18時05分
リカさま
そういう上映会のことは知りませんでした、実にいい考えですね。ぜひ世界中の日本大使館等でやってほしいものです。もっとも、ロシアに加え、例のアジア2国では国外退去処分を覚悟しないとできないかも…
投稿: 練馬のんべ | 2006年8月21日 (月) 19時46分
樺太に侵攻したソ連軍は、囚人部隊。鬼畜の如き蛮行もむべなるかな。収容所国家の面目躍如です。こんな国に惚れていたバカ日本人たちに、今からでも遅くないから責任と取らせよう。社会的地位も名誉も全部剥奪しろ。売国奴ども。
北方領土奪還せよ!全千島列島、そして南樺太!!
投稿: 松五郎 | 2006年8月27日 (日) 11時04分
松五郎さま
コメント有り難うございます。
なるほど、囚人部隊なら…
それにしても、我々の諸先輩方数十万人を虐殺し拉致した犯罪国家、よくまあそんな国を賛美する連中がいたものだと今更ながら呆れます。
北方領土はサンフランシスコ平和条約上で日本領、南樺太と千島列島は日本は放棄したが、条約締結していないソ連が取る権利はなく、確かにこれも返してもらわないと。
投稿: 練馬のんべ | 2006年8月27日 (日) 17時57分
練馬のんべさん、TB有難うございます。旧版が消えてしまったので、あらためてTBさせていただきます。映画の内容は涙なしに拝見できませんが、実際のソビエトの蛮行は、もはや映画には尽くせないほど、もっともっと残酷だったそうです。特アの“歴史問題”とは異なり、事実であっただけに、より多くの人たちに知っていただきたく念願しています。
投稿: 博士の独り言 | 2006年10月11日 (水) 22時26分
博士
この記事は特に復活したい記事の一つでしたので実にめでたし。それにしても、あの映画より酷いとなると、もう人間とは言えませんね。
投稿: 練馬のんべ | 2006年10月11日 (水) 23時04分
こんばんは。
うーん、ここにも真岡郵便局の記事が・・・
実は、伝えられている真岡郵便局事件はいささか事実と異なっているのです。
この事件を伝えた真岡局長さんは、実は電話に出ていません。通信内用も局長さんの創作です。通信相手の交換手さんも別人の方でした。
交換手は9人ではなく12人でした。服毒したのは7名で、生き残りの5名と男性職員の方々が7人の服毒者を助けるためにソ連軍を招きいれたのでした。
生き残りの方の少なくともお一人は今でも健在で、ときどきサハリンとの交流事業に参加されています。
投稿: 道民 | 2007年1月 3日 (水) 01時55分
道民さま
それは初耳です。もし詳しい話がどこかに掲載されているようでしたら教えてください。
投稿: 練馬のんべ | 2007年1月 3日 (水) 06時56分
突然、失礼いたします。
道民様
事実であるなら、大変重要な内容だと思われますので、
ぜひとも客観的な資料をお示しください。
わたくしとしては、にわかに信じがたい事柄です。
もしお話のとおりであるのなら、稚内にある「九人の乙女の碑」の存在意義はどうなるのでしょうか。
また、本年1月7日付けの北海道新聞には、「"樺太の悲劇"を後世に伝えようと、真岡郵便局の模型が製作された」、
という記事が載せられています。
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20070107&j=0022&k=200701067345
この記事中には、これまで伝えられてきたことと、同様な内容も書かれております。
もし「事実は異なる」ということでしたなら、なぜ最新の新聞内容には、その点については記載がなされなかったのでしょうか。
少なくとも北海道新聞のホームページ上からは、道民様のおっしゃるような内容は探し出すことが出来ませんでした。
過去に、新聞等に発表された内容があるようでしたなら、ぜひともお教えくださいませ。
道民様のお話は、「沖縄 渡嘉敷の住民自決事件は、軍命令ではなかった」というニュースと同じくらい、重要な内容を含むと思います。
投稿: バンヒ | 2007年1月 9日 (火) 06時24分
バンヒさま
的確なコメント有り難うございました。私も道民さまのご回答をお待ちしています。
投稿: 練馬のんべ | 2007年1月 9日 (火) 07時14分
>稚内にある「九人の乙女の碑」の存在意義はどうなるのでしょうか。
服毒事件そのものはあったわけですので、「7人の乙女の碑」に置き換えればよいだけだと思います。ただ、伝えられている会話はすべて創作なので今後は引用しない方が良いのではないでしょうか。
生き残りのお一方の女性は、一昨年の北海道サハリン平和の船に同乗され、サハリンに出向いています。交流関係者はみな知っています。
北海道新聞については、一応伝えてありますので、今後は人数などが訂正されると思います。
この件は川端康男「九人の乙女は何故死んだか」ですでに出版もされています。
樺太戦の根本資料である「樺太終戦史」は、当事者の証言から構成されているので、当時の雰囲気をよく伝えてくれる一方、数字や時間の記述について正確ではないと言う限界があるのです。
また、証言そのものについても実体験と伝聞が区別されず、内容の検証も不十分と言う問題もあります。
現在、樺太については、旧島民だった方々が次々とお亡くなりになり、日ロ両国とも研究者の数が少なく、史実と風評がごちゃごちゃになったままになっています。
真岡郵便局事件に限らず、伝えられている事実について情報の過不足はもっとあるはずなのです。
投稿: 道民 | 2007年1月18日 (木) 00時33分
道民さま
コメントありがとうございます。確かに一般に流布する内に伝聞情報が混じることもあるのでしょうね。「九人の乙女は何故死んだか」は容易には入手できないようですので、同じ作者の「九人の乙女一瞬の夏」を読んでみたいと思います。
投稿: 練馬のんべ | 2007年1月18日 (木) 06時03分
道民さま
ご回答、ありがとうございました。
まずはご紹介いただいた書物を読んでみようと思います。
「九人の乙女一瞬の夏」というのは、「九人の乙女は何故死んだか」の改訂・増補版ということのようなので、
初版以降にわかった新たな新事実の追記もあることを期待して、
わたしもまず、この本から読んでみることにいたします。
また、「樺太終戦史」は大きな図書館などへ行けば置いてあるでしょうか。
なにぶん高価なものであるようなので・・・
ご回答、ありがとうございました。
読後、あらためてコメントさせて頂くかもしれません。
練馬のんべさま、その節はよろしくお願いいたします。
(いまちょっと疑問なのは、かつて遊就館で観た映画は、"どういう作り"だったのだろう、ということで・・・ ^^;)
投稿: バンヒ | 2007年1月19日 (金) 10時04分
バンヒさま
私もアマゾンに注文して明日あたり届く予定です。非常に興味深いですね。
投稿: 練馬のんべ | 2007年1月19日 (金) 19時19分