ドイツの「産む機械」発言は立派な意見
『ドイツで「産む機械」論争 司教発言きっかけに』(朝日)
ドイツでもあほなことを言っている奴がいるんか?と思って記事を読んだら、これはどこぞの国とは違って立派な発言でした。
『日本と同様に少子化に悩むドイツで、カトリック司教の「産む機械」発言をめぐる論争が起きている。政府が検討中の保育所増設計画に対し、司教が「幼児が母親から離され、女性を『産む機械』に格下げする」と批判したのがきっかけだ。カトリックは国内に強い影響力があり、保育所の利用者などが猛反発。メルケル首相も23日、「産む産まないは自由だ」と批判したが、司教に発言を取り消す気配はない。
独メディアによると、南部アウクスブルクのワルター・ミクサ司教(65)が22日、教会を訪れた人々に「保育所増設は女性を労働力として産業に組み込むことを優先している。女性を産む機械に格下げする」と発言した。メディアはこの発言を一斉に報じ、有力紙フランクフルター・アルゲマイネは「子育てしながら働く女性の負担は大きい。『産む機械』という表現はやめるべきだ」と批判した。』
言い方は大胆ですが、内容はまことに適切な意見と思います。
「子供を産んだら子育ては他人におまかせ」というのはいけない、働く女性の負担は無茶苦茶大きいのだから子育てを放棄してまで働くな、という意見ですね。
また、「子育てに専念したいのに仕事をしないといけないので、嫌々仕事に戻る女性達を、なんとか子育てに専念できる環境を作ることが政府や経済界の大事な仕事なんだ」という意味でもあります。
現在は、経済界が女性を安くこき使うために税金で保育所作れ、です。それがフェミニストの目指すところと合致します。
子供がある程度育った後に女性が職場復帰して「キャリアを活かす」ことを否定するつもりはありません。現在、職場環境がそうなっていないのは非常に問題が大きいことで、そこはぜひ改善すべきです。
しかし、子供が3歳くらいまで(本当は小学校以前)は、子供は母親といつも一緒にいる権利がある、と考えるのが自然でしょう。母親の権利を主張するより、赤ん坊の権利が先です。なんせ、赤ん坊は権利を主張できませんから…
もちろん、どうしても仕事をしたい女性もいますし、その人たちの意識を変えることはできるはずもありません。
でも、仕事をしないといけないから泣く泣く赤ん坊を預けて嫌々仕事に戻る、という人がとても多いはず。赤ん坊君はかわいいですからねえ。嫌々仕事に戻る層を子育てに専念させる環境を整えれば、保育所はいまあるもので十分になるでしょう。
こんなこと言うと少子化が進むぞ、というのがフェミニズムのみなさんの一致したところ。赤ん坊の内から母親と引き離される子供にとってはたまったもんではありません。子育てに専念したい母親を応援することこそ大事です。
フェミニズムだとかジェンダーフリーだとか言う発想は、要するに自分さえよければ家族だろうが他人だろうがどうなってもよい、という発想が根本。結局それが自分を傷つけることになるわけです。それを批判したのが今回の発言です。
『政界も反応。連立与党・社会民主党の男性議員は「女性軽視だ」と司教退任を要求。野党90年連合・緑の党の女性党首も「働く女性の現状を考えていない」と語った。
ローマ法王ベネディクト16世の故郷でもある同国は南部などでカトリック信仰が強い。司教は23日、テレビに出演し、「批判は承知しているが後悔していない」と発言の撤回を拒み、「86%の女性が幼子を育てることに専念している」と論じた。
独政府は今月、2013年までに保育所を3倍に増やすよう検討すると表明していた。』
司教さん、頑張れ!
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コメント
子供はどんどん生ませて、政府の機関でそだてさせればいいなどという主張するフェミナチがいます。
実は、やった国あるのです。ナチスドイツです。結果は、大失敗。そうして育てられ子供たちは、言語障害など様々な発育不全に陥り、成人しても社会にうまく適応できないという問題を抱えてしまったのです。
赤ん坊から、成人になるまで追跡調査をした研究者は、「赤ちゃんにとって最も大事なのは、暖かい家庭であるということを、このおぞましい実験は示している」と明言しました。
フェミナチ。ぴったりの呼び名です。
投稿: シロ | 2007年2月24日 (土) 13時44分
これは「女性蔑視」という低レベルの発言ではないと思います。男女を問わず、親としての役割を果たしえない人間、結果としてそれを求める企業・社会への宗教者からの忠告と受け止めるべきです。
投稿: 三四郎 | 2007年2月24日 (土) 18時03分
シロさま
なるほど、勉強になります。フェミナチとは、まさに言い得て妙ですね。
投稿: 練馬のんべ | 2007年2月24日 (土) 21時13分
三四郎さま
そうですね、仰せの通りと思います。私はキリスト教ではないのですが、司教様の仰せは神の言葉かも知れません。ジェンダーフリーが神の教えに反しているであろうことは間違いないと思います。
投稿: 練馬のんべ | 2007年2月24日 (土) 21時16分
のんべさん、
おしさしぶりです。家内が出産した時、職を退くことは勿論なく、育児が問題になりました。結果は保母さんを雇うことで解決しました。
ドイツ政府は、「Kindegeld」(育児費)という養育補助を、最初の子供には当時300DM(二番目からはさらに上乗せがあります。一人っ子なので正確な額は知りません)支給していました。また片親(父でも母でも可)が育児のために休職する際は給料の60%が三年間支給され(Erziehungsgeld、養育費)、また元の職場は休暇後の職場復帰を受け容れる義務がありました。(今は若干の変化あり)
我々夫婦の場合は休職せず、自己負担で保母さんを雇ったわけですが、結果的に良い人にめぐり合い、小学校に入学するまでお世話になりました。息子にとってもよい影響がありました。つまり早くから家族以外の他人と交流することを覚えたからです。
ご参考まで。
投稿: マルコおいちゃん | 2007年2月25日 (日) 07時33分
マルコおいちゃんさん
こちらは涙の日々です…♪杉の花咲く頃…
なるほど、保母さんを雇ったのは英断ですね。当たりはずれがでかそうですが、当たりでなによりでした。
職場に受け入れる義務は絶対必要ですね。
投稿: 練馬のんべ | 2007年2月25日 (日) 07時47分
ドイツでの機会発言では納得します。
34歳までキャリアウーマンでした。まだパート程度の仕事をしながら、夫婦2人の生活ですが、
結婚してみて、結婚制度の合理性や、主婦業の重要性に気がつきました。
生活苦のため仕方なくならともかくですが、仕事をしたいことが一番の目的で子供をあずけ、家族や両親に頼り続けながら両立されている方がカッコいいとは思えなくなり、逆に専業主婦として立派に子育てをし、地域社会への無償貢献をしている方々に敬意を感じているこの頃です。同時に家族のために、わずかなお小遣いで頑張って働いてくれているご主人の方々にも敬意を感じているこの頃でもあります。
価値観の多様化する現在、保育所などの整備、女性の
働きやすい職場環境への整備も大事でしょう。でも、国家予算が足らないだけに、女性が外に出ることで、出ているゆがみも大きくなっています。老人、医療問題などはその典型の一つだと感じています。
専業主婦は、その仕事が少ない時期や主婦業を放棄している方意外は大抵の方はそこそこ忙しく、家庭の雑務なども含め見えにくいところで立派に家族、社会を支えています。
専業主婦(特に子育てや両親の介護が必要な方の)が専念しやすい整備も継続、議論をしてほしいものです。
投稿: めぐみ | 2007年2月25日 (日) 10時08分
司教さんのお話、その通りだと思います。
めぐみさん↑のような方がいらっしゃると、まだまだ日本も大丈夫だという気になります。
子育ての如何によって、その子の性格や思考や将来、さらにはその子の生きていく社会が変わっていくのですから、子育ては責任重大です。
それに、仰るように専業主婦が近隣の清掃や雪かきをしていたり、立派な方はボランティア活動もしていらっしゃいます。こういう、仕事量がわからない柔軟性の必要な役割を専業主婦が担っている場面は、思いの外多いのですよね。私も主婦になって初めてわかりました。外での仕事を続けている人の意見ばかり聞いていると、偏った政策しか出てこないのではないかと思っています。
投稿: milesta | 2007年2月25日 (日) 12時37分
めぐみさん
>結婚してみて、結婚制度の合理性や、主婦業の重要性に
素晴らしいですね。当たり前のことかも知れないけどなかなか気づかないものです。主婦業は、片手間に出来るようなものではない、と私も思います。大変ですよね。
専業主婦のみなさんの大変さ、誤解している人が多いのがまことに残念ですが、弊ブログは孤立しがちな専業主婦を強く応援しています。
投稿: 練馬のんべ | 2007年2月25日 (日) 21時32分
milestaさん
>外での仕事を続けている人の意見ばかり聞いていると、
>偏った政策しか出てこないのではないかと思っています。
まさに仰せの通りと思います。専業主婦の声はどうしてもかき消されがち。特に、声の大きいフェミ諸氏は専業主婦を目の敵にしています。なんとかせねば。
投稿: 練馬のんべ | 2007年2月25日 (日) 21時36分