今日は水師営会見の日
今日(1/5)は水師営の会見の日。乃木大将が多大な犠牲を払って旅順を陥落させた後のステッセルとの会見です。この旅順陥落が、日本海海戦の勝利をもたらしたとも言えます。
あまりにも多数の犠牲者がでた戦いではありましたが、この戦いでの勝利無くして、近現代の日本はありません。
乃木大将と靖國の英霊に心より敬意を表します。
以下、9/24の記事の再掲です。
まささんの記事にあるように9月13日は乃木将軍自刃の日。
その記事を読んで数日後、乃木神社に参拝しました。東京にそんなところがあるの?と言う方でも、きっと東京メトロ千代田線・乃木坂駅はご存じの方も多いかと。乃木大将の家がその駅名の由来、今は乃木公園として整備されています。神社も当然公園内。
乃木大将は司馬遼太郎が名著「坂の上の雲」で徹底的に愚将扱いしました。戦死なさった方が多かったことは悲しい限りですが、要塞を巡る近代戦であの程度の死傷者は必ず出ます。
いずれにせよ、日露戦争の勝利を決定づけたのは旅順陥落と日本海海戦。これなかりせば日本も他のアジア諸国同様植民地となり、未だに苦しんでいたかもしれません。
戦争を賛美するつもりはありません。日露戦争は自衛戦争であり、勝ったことは有難いことだった、と思いますが、日本は喜んで戦争したわけではありません。
間違いないことは、懸命に日本のために戦った方々、そして亡くなられた方々が我々の先祖に多数いらして、そのお陰で現代の我々があること。その方々のことを決して忘れてはなりません。
また、乃木大将は、日露戦争後の平時、幼少時の昭和天皇陛下の教育を明治天皇陛下に仰せつかり、学習院の院長を務められました。昭和天皇陛下は厳しく躾られています。将来の陛下だからこそ厳しく。
昨日のとんでもない判決、これを聞かれたらさぞやお嘆きのことになるでしょう。子供をしつけ導く立場の教師と、国の平穏を守るべき裁判官を叱り飛ばさなければならないとは、世も末だと。せめて私はこの不逞の輩どもを厳しく批判するとともに、先人を範として(うちは庶民ですが)子供達を教え導くよう頑張りたいと思っています。
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乃木大将と言えば、水師営の会見で知られています。下手な説明をするより、文部省唱歌「水師営の会見」を写したほうが明快。
1.旅順開城 約なりて 敵の将軍ステッセル
乃木大将と会見の 所はいずこ水師営
2.庭に一本(ひともと)なつめの木 弾丸あともいちじるく
くずれ残れる民屋(みんおく)に いまぞ相見(あいみ)る二将軍
3.乃木大将はおごそかに みめぐみ深き大君(おおぎみ)の
大みことのり伝(つた)うれば 彼(かれ)かしこみて謝(しゃ)しまつる
4.昨日の敵は今日の友 語る言葉もうちとけて
われはたたえつ彼(か)の防備(ぼうび) 彼(かれ)はたたえつわが武勇
5.かたち正していい出(い)でぬ 「この方面の戦闘に
二子(にし)をうしない給(たま)いつる 閣下(かっか)の心いかにぞ」と
6.「二人のわが子それぞれに 死所(ししょ)をえたるを喜べり
これぞ武門の面目」と 大将答え力あり
7.両将昼食(ひるげ)ともにして なおもつきせぬ物語
「われに愛する良馬あり 今日の記念に献ずべし」
8.「厚意謝するに余りあり 軍のおきてにしたがいて
他日わが手に受領せば 長くいたわり養わん」
9.「さらば」と握手ねんごろに 別れて行くや右左
砲音(つつおと)たえし砲台に ひらめき立てり日の御旗(みはた)
また、乃木大将は一流の漢詩人としても知られています。詩吟では金州城は必ず出てきます。爾霊山とは乃木大将命名の203高地の別称、に・れい・さんですが、激闘につぐ激闘であまりにも多数の戦死者を出した山としてこれ以上ふさわしい名前は他にありません。
金州城
山川草木 轉(うたた)荒涼
十里 風腥(なまぐさ)し 新戦場
征馬前(すす)まず 人語らず
金州城外 斜陽に立つ
爾霊山
爾霊山は険なれどあに攀(よ)じ難からんや
男子の功名克艱を期す
鉄血山を覆うて山形改まる
万人斉しく仰ぐ爾霊山
乃木大将と辻売少年の像
説明書きより
今に伝えられる「乃木大将と辻占売少年」の話は、明治24年、乃木希典が陸軍少将の時代、用務で金沢を訪れた折りのことです。希典は金沢で偶然、当時8歳の今越清三郎少年に出会います。今越少年は、辻占売りを営みながら一家の生計を支えていました。この姿に感銘を受けた希典は、少年を励まし、金弐円を手渡しました。今越少年はこの恩を忘れることなく、努力を重ね、金箔業の世界で大きな実績を積み上げました。
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コメント
乃木将軍や東郷元帥を世界で一番知らないのは日本人ではないかと思います。(少し大げさですが)
あの時日本がロシアに負けていたらどうなっていたか。
今も日本だけでなく支那も植民地になっていたかもしれません。
日本人が自分の国を守る為に戦った英雄を忘れるほど悲しいことはないでしょう。
投稿: まさ | 2006年9月24日 (日) 17時35分
まささま
コメント有り難うございます。
まささまの記事で乃木神社に行ったこと、書くのを忘れていました、すんません。
トーゴーやノギは、世界で通じるのに、日本で通じない、というのはあまりにも悲惨ですね。
ネリマスキーなどという名前にならなかったことを感謝。
投稿: 練馬のんべ | 2006年9月24日 (日) 18時25分