朝日の看板!コラム「風考計」を惜しむ
朝日サマの看板!コラムの「風考計」が終わってしまうそうです。残念、こんな面白いの滅多にないのに。WILLで「朝日社説はやめろ」と批判されたせいでしょうか。朝日社説だの風考計だのがなくなっては困ります。せっかくの嗤いネタなのに…WILLさん、朝日社説をやめろなんて、即刻撤回して下さい(笑)
最終回だそうですので採り上げてみましょう。
『言論の覚悟 ナショナリズムの道具ではない2006年12月25日』
『教育基本法に「愛国心」が盛り込まれ、防衛庁が「省」になることも決まった日の夜だった。
「キミには愛国心がないね」
学校の先生にそうしかられて、落第する夢を見た。
いわく、首相の靖国神社参拝に反対し、中国や韓国に味方したな。
卒業式で国旗掲揚や国歌斉唱に従わなかった教職員の処分を「やりすぎ」だと言って、かばったではないか。
政府が応援するイラク戦争に反対し続け、自衛隊派遣にも異を唱えて隊員の動揺を誘うとは何事か。
自衛隊官舎に反戦ビラを配った者が75日間も勾留(こうりゅう)されたのだから、よからぬ記事を全国に配った罪はもっと大きいぞ、とも言われた。「そんなばかな」と声を上げて目が覚めた。』
よくご存じじゃないですか。でもなんか認識がとーっても甘いですね。こんな記事がありました(笑)
『「騒音おばさん」に懲役1年8カ月の判決 大阪高裁』
このおばさんは、1名に対して大音量でやったのですが、朝日サマは数百万読者にいつもいつも素敵な言説を何年間も垂れ流し続けたんですからねえ…
『月に一度のこのコラムを書いて3年半。41回目の今日でひとまず店じまいとしたいのだが、思えばこの間、社説ともども、小泉前首相や安倍首相らに失礼を書き連ねた。夢でよかったが、世が世なら落第どころか逮捕もされていただろう。』
残念です。続けて頂ければさらに朝日読者の数は減り続けたのに。朝日サマの読者を減らした責任は取らないのですかね。知ってて書いているのだから「背任罪」でしょう。
『「戦争絶滅受合(うけあい)法案」というのを聞いたことがあるだろうか。』
お、でてきましたね(笑)
『条文を要約すれば、戦争の開始から10時間以内に、国家の元首(君主か大統領かを問わない)、その親族、首相や閣僚、国会議員らを「最下級の兵卒として召集し、出来るだけ早くこれを最前線に送り、敵の砲火の下に実戦に従わしむべし」というものだ。
いまならまずブッシュ大統領に読んでもらいたいが、長谷川如是閑(にょぜかん)がこの法案を雑誌『我等(われら)』で書いたのは1929年のこと。第1次世界大戦からしばらくたち、再び世界がキナ臭くなり始めたころである。』
ブッシュさんですか。将軍サマじゃないわけね。
『デンマークの陸軍大将が起草して各国に配ったという触れ込みだったが、それはカムフラージュの作り話。「元首」と「君主」は伏せ字にしてきわどく検閲をパスした。
それより11年前、日本のシベリア出兵や米騒動をめぐって寺内正毅内閣と激しく対決した大阪朝日新聞は、しばしば「発売禁止」の処分を受けた。さらに政府糾弾の集会を報じたところ、記事にあった「白虹(はっこう)日を貫けり」の表現が皇室の尊厳を冒すとして筆者らが起訴され、新聞は廃刊の瀬戸際に立たされた。ついに大阪朝日は村山龍平社長らが辞職して謝罪し、政府に屈することになる。
これが「白虹事件」である。かつて「天声人語」の筆者でもあった如是閑は、このとき大阪朝日の社会部長だった。言論の敗北に無念を抱きつつ退社して『我等』を創刊したのだ。』
朝日の痛恨事です。これ以来、朝日は政府の走狗となりました。
『こんな古い話を持ち出したのも、いま「言論の自由」のありがたみをつくづく思うからにほかならない。現代の世界でも「発禁」や「ジャーナリスト殺害」のニュースが珍しくない。
しかし、では日本の言論はいま本当に自由なのか。そこには怪しい現実も横たわる。
靖国参拝に反対した経済人や天皇発言を報じた新聞社が、火炎ビンで脅かされる。加藤紘一氏に至っては実家が放火されてしまった。言論の封圧をねらう卑劣な脅しである。
気に入らない言論に、一方的な非難や罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせる風潮もある。それにいたたまれず、つい発言を控える人々は少なくない。この国にも言論の「不自由」は漂っている。』
朝日サマは数百万読者に対して一方的に言説を垂れ流すことができます。それに対する反論を朝日新聞にドンドン載せるというのなら、言論の自由を宣言することができるでしょう。自分だけ言いたい放題、相手には言わせない、という新聞が「言論の自由」を主張するとは…。自らは絶対正しく反論などされるはずがない、と思っているから、ほんの少し反論されたら「一方的な非難や罵詈雑言」と言うわけですね。これこそが「言論封殺」ではないのですかね。
『私はといえば、ある「夢想」が標的になった。竹島をめぐって日韓の争いが再燃していた折、このコラムで「いっそのこと島を韓国に譲ってしまったら、と夢想する」と書いた(05年3月27日)。島を「友情島」と呼ぶこととし、日韓新時代のシンボルにできないか、と夢見てのことである。
だが、領土を譲るなどとは夢にも口にすべきでない。一部の雑誌やインターネット、街宣車のスピーカーなどでそう言われ、「国賊」「売国」「腹を切れ」などの言葉を浴びた。
もとより波紋は覚悟の夢想だから批判はあって当然だが、「砂の一粒まで絶対に譲れないのが領土主権というもの」などと言われると疑問がわく。では100年ほど前、力ずくで日本に併合された韓国の主権はどうなのか。小さな無人島と違い、一つの国がのみ込まれた主権の問題はどうなのか。』
はあ。ブログやミニコミならともかく、数百万読者を有する日本を代表する?新聞が書くべきことでしょうかね。
『実は、私の夢想には陰の意図もあった。日本とはこんな言論も許される多様性の社会だと、韓国の人々に示したかったのだ。実際、記事には国内から多くの共感や激励も寄せられ、決して非難一色ではなかった。』
ほう。さすが、朝日読者の中には朝日歌壇でよくわかるように意識がとても高い方もごく一部いらっしゃるようです。(笑)
『韓国ではこうはいかない。論争好きなこの国も、こと独島(竹島)となると一つになって燃えるからだ。』
仰せの通り。珍しく意見一致。
『そう思っていたら、最近、発想の軟らかな若手学者が出てきた。東大助教授の玄大松(ヒョン・デソン)氏は『領土ナショナリズムの誕生』(ミネルヴァ書房)で竹島をめぐる韓国の過剰なナショナリズムを戒め、世宗大教授の朴裕河(パク・ユハ)氏は『和解のために』(平凡社)で竹島の「共同統治」を唱えた。
どちらも日韓双方の主張を公平に紹介・分析しているが、これが韓国でいかに勇気のいることか。新たな言論の登場に一つの希望を見たい。』
わずかにでも日本よりの言説が勇気がいる、というのはおおいに賛成。でも、「共同統治」で「公平」とは、さすがは友情島の若宮大先生。
『日本でも、外国の主張に耳を傾けるだけで「どこの国の新聞か」と言われることがある。冗談ではない。いくら日本の幸せを祈ろうと、新聞が身びいきばかりになり、狭い視野で国益を考えたらどうなるか。それは、かつて競うように軍国日本への愛国心をあおった新聞の、重い教訓ではないか。』
はあ?ずいぶんまた論理が飛んでいらっしゃること。軍国を一番煽ったのがどこの新聞だか、若宮大先生はご存じないらしい。
『満州へ中国へと領土的野心を広げていく日本を戒め、「一切を棄つるの覚悟」を求め続けた石橋湛山の主張(東洋経済新報の社説)は、あの時代、「どこの国の新聞か」といわれた。だが、どちらが正しかったか。』
繰り返します、その頃の朝日サマはどうだったんですか。それを書かないのを「卑怯」といいます。
『最近では、イラク戦争の旗を振った米国のメディアが次々に反省を迫られた。笑って見てはいられない。
だからこそ、自国のことも外国のことも、できるだけ自由な立場で論じたい。ジャーナリズムはナショナリズムの道具ではないのだ。』
自由、ねえ。中韓の走狗の立場が「自由」ねえ。うん、それこそが「自由」ですね。勉強になりました。(笑)
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