高校日本史の山川教科書批判(その9)
次は「第9章 近代国家の成立」の
3.立憲国家の成立と日清戦争
4.日露戦争と国際関係
5.近代産業の発展
6.近代文化の発達
を取り上げたいのですが…また反日爆発は確実。
3.立憲国家の成立と日清戦争
秩父事件などの取り上げ方が妙に詳しい。こういうの、好きなんですね。写真は「草の乱」、秩父事件を取り上げた映画です。友人のパンプキンさんも出演!
さて、この部分のハイライトの一つが大日本帝国憲法。天皇大権という名で天皇独裁みたいな感じで書かれています。
『帝国憲法は、天皇が定めて国民に与える欽定憲法であり、天皇と行政府に極めて強い権限があたえられた。神聖不可侵とされた天皇は統治権のすべてをにぎる総攬者であり、文武官の任免、国防方針の決定、陸海軍の統帥(作戦、用兵など)、宣戦・講和や条約の締結など、議会の関与できない大きな権限を持っていた(天皇大権)。また、このうち陸海軍統帥権は、内閣からも独立して天皇に直属していた(統帥権の独立)。
天皇主権のもと、立法・行政・司法の三権が分立し、それぞれが天皇を補佐することとされたが、種々の制限を設けられた議会の権限とくらべ、政府の権限は強く、各国務大臣は個別に議会にではなく天皇に対してのみ責任を負うものとされた。』
天皇陛下がすべてを決定できるようですね。天皇独裁か?すごい!冗談じゃない。
実際は天皇機関説(憲法発布は1889年、美濃部達吉が「憲法講話」で本学説を唱えたのは1912年)で、実質的にも三権分立がなされているわけです。天皇の名で行ったのであり、日本国憲法の象徴天皇と同じ。
統帥権の総攬でも、天皇陛下は一兵たりとも動かしていません。軍が天皇の名で統帥権を主張したわけです。文民統制の現代の眼で見るとおかしいのかも知れませんが、現代が歴史を裁くのは反則、それに日露戦争は全く問題なく機能しています。
史料に記載された条文の取り上げ方があまりにも恣意的ですが、それを書くと今回が長くなりすぎるので、次の記事(その9補足)にします。
条約改正では、大津事件の取り上げ方が、司法権の独立を守ったと書いてありますが、これは大審院による下級審への干渉、という反面が書いていないのはおかしい。反日の問題ではなく、これは記述誤りに近い。
次は朝鮮問題~日清戦争。
日清戦争前、朝鮮半島で日本と清との勢力争いが行われたことは書いてあっても、ロシアが絡んでいたことは全く書いていません。なんででしょうか?
日清戦争はあっさり日本が勝ったように書かれています。そんな楽勝ではないのに…
酷い記述は、台湾領有後、民政に力を入れ、富裕層は懐柔したが、民衆には徹底した弾圧が大東亜戦争敗戦まで続いたような表記になっていること。
ええ、本当?無茶苦茶な表記です。詳しくは書きませんが、もしそうなら台湾人の日本人に対する感情はずいぶん酷いはずなのに、台湾の反日勢力は要するに外省人(シナ大陸からの移住者)に限られ、基本的に親日の国です。
日露戦争では、まず、東郷元帥も乃木大将も大山総司令官も、誰も出てこないこと。なんですか、これ。そして日露戦争がアジアの諸国民、特にシナの孫文やインドのネールに自信をあたえ、各国で独立運動が起こったこと、ロシア革命の機運を高めたことなど、すっかり無視。(絵は旗艦三笠で指揮する東郷元帥)
で、ちゃんと、与謝野晶子の「君死にたまふこと勿れ」が反戦詩として載っています。与謝野晶子は、実は大町桂月の批判に対し「反戦の意図はない」と弁明していたにもかかわらず、ですよ。反戦詩を発表して、政府の弾圧を全く受けていないこと、つまり言論の自由が確保されていたことも、無視です。
日露戦争後は、おきまりの韓国併合条約「強要」で「植民地化」。多くの朝鮮農民が土地を奪われて困窮。職を求めて日本に移住。
まあ、予想通りの記述ですが…
朝鮮出身でも内地同様の日本臣民、内地に簡単に移住できる。朝鮮名のまま日本軍の将軍になり内地出身の部下を統括した人も多い。朝鮮半島のために内地の税金を大量に遣い、収奪どころかひどい持ち出し。そんな「植民地」でした。
併合したのが良かったかどうかは別にして、ロシアの南下に対してやむを得なかったのは事実でしょう。日本が併合しなかったら今頃ピョンヤングラードのキムジョンイルスキーとか、ソウルフスクのノムヒョーチンになっていたのは間違いありません。
もうくたびれました、今日はここまで。5と6は次回(その10)。
さすがは近代、遅々として進みません。
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