高校日本史の山川教科書批判(その4)
今回は中世。『第4章 中世社会の成立』を取り上げます。今回から比較対象としてことだまさんに紹介いただいた明成社の教科書を使います。ことだまさんに感謝!
第4章は、
1.院政と平氏の台頭
2.鎌倉幕府の成立
3.武士の社会
4.蒙古襲来と幕府の衰退
5.鎌倉文化
の5節からなります。
第1節で、上皇の院政について『法や慣例にこだわらずに上皇が政治の実権を専制的に行使』、というと法や慣例を無視するのが良いように見えてしまいますが(こだわる対象はつまらないことだから、法や慣例はつまらんどうでもいいこと、になってしまう)まあ、これはよしとしましょう。
(写真は平家ゆかりの厳島神社)
あと、平家が「音戸の瀬戸」を開いたことは書いてほしかった。でもまあ、全体的には妥当と考えます。
第2節、第3節もまずまず。細かい指摘だけ。「武家のならい」「兵の道」「弓馬の道」などという言葉を出しているのだから、「いざ鎌倉」の言葉は出してほしい。できれば鉢の木物語も。
第4節、蒙古襲来も反日的な表現ではありません。例えば「フビライハーンは、…高麗も服属させ、日本に対してたびたび朝貢を強要してきた。」と大国の横暴ぶりをきっちり書いています。遠征ではなく『元の襲来』ですし、『襲来の失敗は、元に征服された高麗や南宋の人びとの抵抗によるところもあったが、幕府の統制のもとに、おもに九州地方の武士がよく戦ったことが大きな理由であった。』も妥当と思います。
(蒙古襲来絵巻の一部)
注では、『3度目の侵攻を断念させる』などと記載されていますし。
と、山川の教科書だけ読んだときには思いましたが、明成社のはさすがですね。スルーされたことに気づくのはなかなか難しい。比較対象が必要と痛感しました。
以下、明成社の教科書の引用。
『元の襲来という国難に対し、朝廷と幕府は一致してよくこれにあたり、国家意識を高揚させた。元の脅威が迫ると、神仏に対する勝利の祈願が熱心に行われた。亀山上皇は筥崎宮に「敵国降伏」の書を奉納し、伊勢神宮へは我が身にかえて国難を救いたい旨の宸筆の祈願文を奉った。執権時宗も、血書の諸経を寺社にささげて、国土の安泰を祈願した。
鎌倉時代の人々は、何か困難がおこると、我が国は神の加護する国だという意識をもった。元寇のさいの二度に渡る暴風雨は、祈願の成就による神風だと信じ、我が国は神国であるという信念を強めた(神国思想)。
平安時代から説かれていた末法思想や百王説は影響力を失い、国家的自覚が高まった。』
こういうことは山川には一切書かれていません。
今でも「神風」鉢巻きはパーティーグッズにもなっているのに…国家意識の高揚は山川の大敵なのでしょうか。
第5節、鎌倉文化に対する記述は(順徳帝による有職故実の書「禁秘抄」が本文に載っていない(一覧にはあり)のは問題だが)まあまあ妥当と思います。しっかり7ページ取ってバランス良く書いていると思います。
今回は、反日ではないものの、相変わらず天皇家への敬意はないってことですか…
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コメント
>国家意識の高揚は山川の大敵なのでしょうか。
皇室や神道などの日本独自の文明に気づいてほしくないんでしょうね。
隠そう、隠そうと。(苦笑)
投稿: ことだま | 2006年11月12日 (日) 07時05分
ことだまさん
一応「歴史」なので、鎌倉文化でも度会神道(神が主で仏が従の神本仏迹説)は出てきますが、あくまでも羅列の中。子供達が覚えるのは名前だけです(苦笑)
投稿: 練馬のんべ | 2006年11月12日 (日) 07時52分
勝手な私の主観ではありますが、「襲来」という記述では元の侵略性を薄められるように感じます。時代が進み近代史では「日本軍の侵略」と教えているわけですので。
投稿: とよあしはら | 2006年11月12日 (日) 18時05分
とよあしはらさん
お気持ちはよくわかります。種を明かすようですが、山川教科書の今の版は近現代史で「侵略」「侵攻」などの文字を使われていないようです。(まだざっと読んだレベルなので不安ですが…)したがって、日本からみた「襲来」でもまあ許容範囲かと思った次第です。なお、近現代史への批判はその章で。
投稿: 練馬のんべ | 2006年11月12日 (日) 20時30分