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2006年11月 2日 (木)

高校日本史の山川教科書批判(その2)

次は『第2章 律令国家の形成』、聖徳太子から平安初期まで。これもまたいろいろあって頭が痛い。

1.飛鳥の朝廷

相変わらず「ヤマト政権」「倭国」などどこの国かわからない記述が出ています。大宝律令の記述の注で、
『「日本」は国号として正式に用いられるようになったのもこのころ』
という記述があり、ここまでは「倭」か「倭国」で統一されています。ひどいよなあ。
でも、シナはずっと「中国」。中国って、中華民国以降のことだと思うのは私だけ?正しくはもちろん「支那」または「シナ」。『中国を唐が統一』などという記述がありますが、ここで言う「中国」ってなんでしょうか?まことに謎。

こんな記述もあります。
『伽耶諸国と結びつきのあった大和政権の半島での勢力は後退した』
要するに、任那日本府の存在を認めたくないわけです。もちろん正しくは昔の教科書の通り
『562年、任那はついに新羅によって滅ぼされた』

Shoutokutaishi 次は日出処の天子。その名も
『厩戸王(聖徳太子)』
すべてこの記述で統一されているのがすごい。一万円札も昔は「聖徳太子」と呼んだけど、この教科書で習ったら「厩戸王」と呼ばないといけないわけですね。

日没処の天子への国書を送ったときの記述も反日全開。
『隋への国書は倭の五王時代とは異なり、中国皇帝に臣属しない形式をとり、煬帝によって無礼とされた。』
「中国皇帝」とやらに臣属しないのが悪そうです。そりゃあ、シナから見ればそうだわな。日本から見れば(古い教科書の記述)
『この外交にあたっては、その国書に示されるように、倭の五王時代とはことなり、中国の王朝にたいして対等の立場を主張しようとする態度が認められる。』
でしょう。

2.律令国家の成立
中大兄皇子が蘇我蝦夷・入鹿を滅ぼしたのは『乙巳の変』だそうです。「変」というと、薬子の変、応天門の変、本能寺の変のようにイメージがよくない。天皇側から仕掛けた「変」は正中の変、元弘の変のように陰謀が失敗したもの。天皇側が横暴な臣下を討伐した場合に使う言葉ではないので、どちらが悪者かわかりません。事実は永遠に不明としても、高校レベルでは蘇我氏が横暴を極めたと教えるべきでしょう。昔はこんな表現は使いませんでした。

こんな記述もありました。反日というより媚中ですが…
『白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に大敗した。この後、新羅が半島の支配権を確立し676年に半島を統一した。』
これは、
『白村江の戦いで唐や新羅の軍にやぶれ、朝鮮半島からまったくしりぞいた。新羅はその後、唐と連合して高句麗をもほろぼし、676年には唐の勢力を追い出して朝鮮半島の統一を完成した。』
という、唐の間抜けな立場をゴマカした記述。

白村江の戦いで敗れた後
『対馬から大和にかけて朝鮮式山城がきずかれた』
そうですが、朝鮮式山城ってなんでしょうか?昔はこんな記述はありません。

3.平城京の時代(省略します)

4.天平文化

なんせ記紀が嫌いらしい。

古事記に対するいちゃもん
Yatagarasu 『創世の神々と国生みをはじめとして、天孫降臨、神武天皇の東征、日本武尊の地方征圧などの物語で、そのまま史実でない記述がある。』
わかりやすく、前半は「日本の神話」であると書けばいいのに。前のサッカーW杯の敗因は、ジャパンブルーを率いる八咫烏が怒っちまったからに違いない…

日本書紀に対するいちゃもん
『神話・伝承をふくめて、神代から持統天皇にいたるまでの歴史を天皇中心に記している。なかには中国の古典や編纂時点の法令によって文章を作成した部分もあることから十分な検討が必要であるが、古代史の貴重な史料である。』
最後の部分はとってつけてますね。「貴重な史料」などではなく、第一の史料。まず日本書紀で歴史を記述し、他の史料で補う、という考え方で臨むべき。

先ほどの大化改新のところでもこんな記述が。
『「日本書紀」が伝える詔の文章には後の大宝令などによる潤色があり、この段階でどのような具体的改革をめざされたかについては意見が分かれる。』
余程日本書紀がお嫌いのようですね。

5.平安朝廷の形成
疲れたので省略します。

相変わらず反日全開でした。このペースで書かれたら、最後まで読むのはしんどい話だけど、なんせお楽しみの近現代史は一番最後…

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コメント

昭和57年の教科書問題の時に出来た、教科書検定での「近隣諸国への配慮」からすべておかしくなってしまいました。
日本の歴史教科書が支那や韓国の検閲を受けてるようなものです。
そのような教科書で教えられた子供が、まともに育つ筈がない。
この点を正さないと、自分の国に誇りを持てない子供が育ちます。

投稿: まさ | 2006年11月 2日 (木) 09時22分

今回拙ブログでとりあげた、新美南吉の童話集に、とても感動的な「支那人」の話が出てきます。当時は「支那」が普通の呼び方だったと思われます。TBさせていただきました。

投稿: milesta | 2006年11月 2日 (木) 12時28分

まささん
そうだ、近隣諸国条項ですね。即刻廃棄しないと。それにしても、子供達も悲惨だけど、先生も気が狂わないかなあ…

投稿: 練馬のんべ | 2006年11月 2日 (木) 18時47分

milestaさん
新美南吉の時代には当然支那でしょうね。今やシナは言葉狩りの代名詞みたいなもんです。
そのうち、品川は中華川、竹刀は中華井(中華丼みたいだ)と呼べ、などといいかねない。シナイ半島も中華井半島と呼んで、「中国固有の領土」と主張しそうだ…(苦笑)

投稿: 練馬のんべ | 2006年11月 2日 (木) 20時09分

新しい歴史教科書を作る会の 兄弟(高校)版が、
明成社の最新日本史 と知り、以前、取り寄せました。
縦書きなので、とても読みやすかったのですが、日本の歴史の長さにしては、
厚さが足りないと思いました。(1センチ1ミリ)

わが子をゆとり教育から守る法という本がありますが、
わが子を自虐史観から守る法という視点の本も望まれます。
山川出版の教科書糾弾、期待しています。

投稿: ことだま | 2006年11月 6日 (月) 22時30分

ことだまさん
あ、それは知りませんでした。そんなに薄いとしたら、(山川は17mm)それは日本史A(簡易版、確か1単位)かな?今度教科書売場で見てみます。

投稿: 練馬のんべ | 2006年11月 6日 (月) 22時38分

日本史Bです。
大きさは、山川より大きいです。
内容を並べて比較したら面白いですね。

投稿: ことだま | 2006年11月 6日 (月) 23時25分

ことだまさん
そうでしたか。それは気になります、買いたくなりました。近いうちに三省堂書店で見てきます。(最近、三省堂書店の教科書売場が入試願書に押されてスペースが減っているのであるかどうか…)

投稿: 練馬のんべ | 2006年11月 6日 (月) 23時29分

ことだまさん
買ってきました。確かに薄い。地図帳みたい。内容は山川と対照的、確かにまともですね。紹介頂き有り難うございました、そのうちネタにします。

投稿: 練馬のんべ | 2006年11月 7日 (火) 21時21分

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