いじめをなくせる筈がない
以前、「いじめ自殺はいじめた連中が悪い、それが当たり前」という記事を書き、その考え方は全く変わっていませんが、少し違う観点で。
いじめによる子供の自殺がニュースで流れない日はない、というほど続いています。そして、時折校長先生まで自殺。
「いじめをなくそう」という善意の声が、事態を悪化させている大きな要因ではないでしょうか。
こんなことを書くと、いじめられる身にもなれ、と怒られそうです。はい、私もいじめにあったことありますから(自慢ではありませんが喧嘩にはめっぽう弱い…)それは身に染みてます。
いじめをなくせる筈がない、というのは、いじめは必ず発生する、という前提で対処することが必要、ということです。絶対起こることを、起こってはいけない、とすると、無理が生じます。
いじめをなくせ→あってはいけない→あったら教員の立場が悪くなる→なかったことにしたい→見なかったことにしよう→隠蔽→いじめ増長→子供自殺で発覚→校長自殺 というのが今回の事態です。そして、自殺までいかずに未だに隠蔽され続けて苦しんでいる子供は無茶苦茶多いはず。
いじめは必ず起こります。いじめが起こっても校長や教師が隠さずにきちんと対処すれば評価を上げる、とすべきです。
いじめが発覚したら教師も校長も教育委員会もそれだけで評価が落ちる(ように見える)現在の状況では、隠蔽されるのが当たり前です。
いじめを隠すな、先生頑張れ、という声が大切なのではないでしょうか。
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コメント
いじめは絶対なくならないと思いますが、いじめを軽減することは可能だと思います。ただ、一生懸命隠そうとする教師や教育委員会の体質が気にくわないですね。いじめと認めれば自分の立場が悪くなります?普通逆じゃないですか?いじめと認めた上で何らかの対応をとろうとする姿勢を見せれば、逆に立場的によくなるのではないか?と私は思うのですが。まあ、公僕である公務員が自分の立場云々を気にしだした時点で公務員失格だ!と私は思っていますが。その時点で「国民全体の奉仕者」としての自覚がまったくないという証拠になりますよ。
*最近の公務員の不祥事にあきれ、怒り心頭になっています。少々言葉が乱暴で申し訳ございません。
投稿: かついち | 2006年11月14日 (火) 08時54分
かついちさん
軽減可能というのはおおいに賛成。おそらく認識は一致していると思いますが、現状は「なくす」ことが必須なので、無理だから隠す、ということになります。隠すのではなく公然と立ち向かう環境が必要、それで軽減できると思います。今は「いじめがあること」自体がタブー。
投稿: 練馬のんべ | 2006年11月14日 (火) 12時01分
自分も「いじめは悪である」という、子供たちのいじめに対する意識が変らない限り、なくならないと思う。以前はあった道徳の時間、今は普通の授業をやってるの精一杯の時間数で、とても道徳までやる時間がなくなってしまったのも、要因の一つではなかろうか? 先生も毎日の授業の他に研修だ、なんやかんやで忙しい、子供達も詰め込みの授業をされ、土曜日は親のいないところで一人ゲーム・・・・・では心なんて育ちませんよ。なるべくしてなった結果と言えるのでは。
投稿: akasaka | 2006年11月14日 (火) 14時09分
akasakaさま
道徳の時間がなくなったのが、ということには大いに賛成。土曜日授業を復活させましょう。
投稿: 練馬のんべ | 2006年11月14日 (火) 15時35分
練馬のんべさんの仰りたいこと、よくわかります。
いじめを無くす努力と同じくらい、起こったらどうするかが重要ですよね。そのためには、いじめがあることを認めて対策をうっていかないと・・・。
投稿: milesta | 2006年11月14日 (火) 22時47分
milestaさん
そう思います。予防も大事、治療も大事です。虫歯と同じで、治療は痛いけど怠ると後でもっと大変なことになります。
投稿: 練馬のんべ | 2006年11月14日 (火) 23時15分