必修もれ問題では原理原則を守れ
こういうの止めてほしいものです。生徒の気持ちを考えろ、というクレームがありそうですが…
『必修逃れ、単位削減で救済も…指導要領の例外を利用』(読売新聞より)
『全国各地の高校の必修逃れ問題に絡み、補習が必要な生徒の負担を軽減するため、教育委員会や学校が、学習指導要領の枠内で授業時間を減らす方法の検討を始めた。
本来は例外的に認められる単位数の削減措置などを利用するもので、今後、政府が策定中の「救済策」に反映される可能性もありそうだ。
学習指導要領は、50分授業を週1回、年間35回履修すると「1単位」を与えると定めており、必修科目の場合は、最低「2単位」を取得しなければならない。
一方、指導要領には、「特に必要のある場合には、その単位数の一部を減じることが出来る」という記載もある。例えば「数学」で難度の高い内容までは教える必要のない高校が使うような例外措置だ。茨城県教委では、これを利用し、未履修だった4単位について、3単位の補習で済ませることを検討している。
また、単位取得に必要な出席日数については各学校が内規で決めることになっている。「全授業の3分の2以上」などと定めるケースが多く、すべての授業に出席する必要はない。群馬県や山形県内の学校では、この点に着目、補習についても内規で定めた最低ラインの出席日数に見合った時間で済ませる方針だという。』
簡単に言えば、学校自ら法の抜け穴をなんとか探して適用しよう、ということ。救済措置と言えばそうですが、明らかに教育上よろしくない。今まで学校自ら遵法精神(コンプライアンス)の欠如を示してきたわけですが、その点の反省が全くなされていません。やはり高校卒業資格を与える意味での原理原則は守らせるべき。
確かに生徒には過失はありません。学校の決まり通り授業を受けて試験に合格すれば卒業できる、というのが学校です。しかし、無過失でも、他人のせいでも、結果的にやるべきことをやってなかったら責任は取らされるものです。もちろん、生徒は、学校側に対してその分の損害賠償(慰謝料の支払いなど)を求める権利は当然あります。
きつい言い方をすれば、学校側は、子供達に対して責任を取るのではなく、どうやって誤魔化すか、ということを教えている、ということです。
もしこれが政府の対策として採用されたら、生徒救済のためではありますが、こんな不祥事でも救済される、という前例を作ること。悪いことやっても国が救済してくれる、というような発想が国中に蔓延します。既に蔓延していますが、国が自ら煽ってはいけません。伊吹文科相には、いくら現状が酷いとはいえ、当初の方針通り実施してほしいと思います。
どうしても時間的に不可能、というなら、大検を受けさせてそこで大学入試の受験資格を与える、卒業資格は卒業後でも土日に単位のための授業を行って大学入学後に取らせる、などの方法は考えても良いと思います。
既に卒業した生徒はどうか。これは卒業証書を得た以上、「逃げ切り」とせざるえない、という見方もありますが、やはり不公平感は非常に残ります。やはり、例えば高校が子供達に通信教育を実施し、それを履修しないと大学の卒業資格を与えない、くらいは必要です。
こんなの現実を見ていない暴論だよ、という批判は甘んじて受けます。ただ、あまりにもやり方が安直。ここまで遵法精神もへったくれもない救済策を論じるのは、せめて問題の学校で校長や教育委員が、生徒はなんとか助けてくれ、オレは責任を取って辞職する、と言ってからでしょう。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
今朝のテレビ報道での言っていましたが、世界史が必修科目であることを分かっていて日本史または地理の授業の中で世界史を織り込んで成績表に評定・・・ってこれは立派な犯罪だそうですね。成績表が「公文書」になるということも実は初めて知りましたが、それにしてもテレビでさまざまな学校の校長先生がひたすら謝罪するシーンが映し出されるたびにとても不愉快に感じられました。何だかこの国の真の姿を見ているようで、情けない・・・ホント。
投稿: かついち | 2006年10月29日 (日) 12時06分
私も伊吹文相の言う通りだと思います。安倍首相も安易に救済策など認めないで貰いたい。
しかし、なぜ今頃表面に出てきたのでしょうか。それも不思議です。
教養と同時に社会のルールなどを教える学校が、ルール破りのズルをしてはどうなるのでしょうか。
投稿: まさ | 2006年10月29日 (日) 18時05分
かついちさん
まさに「偽装」ですね。子供達も違和感があったでしょうけど、まあいいやと。子供の頃から偽装に慣れさせる教育、言語道断です。
投稿: 練馬のんべ | 2006年10月29日 (日) 18時54分
まささん
一部では教育基本法つぶしという声もあがっていますね。さわぎにして、教育基本法どころではなくしてやろうと。
それにしても、ずるしても何しても受かった方が勝ち、というのはホリエモン君と同じですね。
投稿: 練馬のんべ | 2006年10月29日 (日) 18時57分
TBとコメントをいただきありがとうございました。
この問題、少子化で何とか学生を確保しようとして安易な受験科目設定をしている大学側にも相当の責任がありそうです。子供のため、といいつつ、進学校としての実績や安定した学生数を確保しようとする大人のエゴが見え隠れしています。教育の荒廃もここまできたかという感じです。
投稿: 三四郎 | 2006年10月29日 (日) 21時04分
三四郎さま
そう、結局は大人のエゴですね。子供は迷惑な話です。こんな時期にたまったもんじゃない。
校長、教育委員、大学理事、日教組、文部官僚…等の、今回の騒ぎにかかわったみなさんには、せめて頭を丸めてもらいましょう。
投稿: 練馬のんべ | 2006年10月29日 (日) 21時15分
頭を丸める方々、いったい何人ぐらい出てくるでしょうか・・・(笑)いや、まじめな話、この問題は冗談ではないですよ。ホントに。今まで表に出てこなかったことが不思議なくらいですし、私ももしかしたらそういう場面にいたかもしれない世代ですから、本当に自分のことのように怒り心頭です。とはいっても高校卒業から10年は経ってますが。教育に関して今までまじめに取り組んでこなかったツケが回ってきたんです。それも子供達の犠牲も伴って。まじめに一生懸命生徒の為に頑張っている教師には申し訳ないですが、これは校長や教師、教育委員会、文科省、すべての大人達に「今教育が危機的状況だ」ということを教えてくれたのです。そう思ってこれから真剣にやらなければ将来国ごとおかしくなります。
投稿: かついち | 2006年10月29日 (日) 22時21分
かついちさん
今回の子供達は直接的な被害者だけど、ここのところの学力低下を見れば明らかなように「ゆとり教育」などのお陰でどれだけの子供達が迷惑しているか。やっぱりみんな頭を丸めてもらいましょう。
今回の騒ぎで、教育再生会議が今まで以上に日本中から注視されるようになれば、それは逆にチャンスですね。我々もブログで主張していくとともに、文科省への投稿や教育再生機構への応援など、できることをしていきましょう。
PS.私も教育ブログになってきた…
投稿: 練馬のんべ | 2006年10月30日 (月) 07時13分