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2006年8月15日 (火)

戦争賛美の日本国憲法に鉄槌を下し、また、平和を守った殉職者は靖國に合祀を

8月15日に寄せて。

日本国憲法は、一般には平和憲法と評されています。
『日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。』
しかしご存じの通り、平和を愛する諸国民、とは言い難い国々が近隣に存在します。公正と信義も信頼できない国。それを信頼したら、「われらの安全と生存を保持」できるはずがありません。書くのも馬鹿馬鹿しい当たり前の話です。

すなわち、「恒久の平和を念願」し、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうに」と書くだけで、他国が戦争を引き起こすことを否定しない。戦争賛美の日本国憲法と評する由縁です。


平和とは、「念願」して手に入れるものではありません。「平和を守るという強い決意と行動」があって、初めて「われらの安全と生存」は守られます。

安部新政権には、平和を守るという強い決意の元、断固日本国憲法に鉄槌を下されることを希望します。平和を守る新しい憲法への大転換です。

現代でも、平和と安全を守る強い決意を持ち行動なさっている尊敬すべき方は、自衛官や警察官を始め数多くいらっしゃいます。また殉職した方も少なくありません。イラクの平和のために寝食を忘れ奔走し散った外務省の奥氏と井ノ上氏。カンボジアで公正な選挙の実現のためポルポト派に撃たれた国連ボランティアの中田氏。故障した飛行機から脱出せずに民家を避けて入間河川敷に墜落された航空自衛隊の中川氏と門屋氏。挙げればキリがありません。

この方々が平和と安全は守っている、という事実を決して忘れてはなりません。しかし、平和と安全に馴れてしまうと忘れてしまいがち。特に殉職なさった方には国家として慰霊と顕彰を行う場が必要なのに、現在は個別に行われるだけです。ここはぜひ、平和と安全を守るために殉職なさった方々を靖國に祀り、慰霊し顕彰して頂きたいと思います。

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