« 小沢氏の靖国「分祀」論で民主党にメール | トップページ | ニッポン頑張れ! »

2006年6月16日 (金)

ポツダム宣言と東京裁判

まささんの「一燈照隅」はいつも愛読しており、非常に教えられることが多く、感服です。今回の記事「清瀬一郎、冒頭陳述朗読禁止文(東京裁判3)」も日本人として十分に理解しなければならない、東京裁判の大事なお話でした。

その記述に「占領軍はポツダム宣言を守っていない」ということがあります。ポツダム宣言は、戦争犯罪を厳罰に処すとはなっているが、その戦争犯罪とはポツダム宣言受諾を宣言したときの国際法に照らして裁かれるべきもの。従って、その段階では国際法にない「平和に対する罪」「人道に対する罪」は存在し得ない、ということです。

実は恥ずかしながら、私は数年前まで「ポツダム宣言受諾」=「日本国の無条件降伏」、と誤解していました。無条件降伏なら、東京裁判でどう裁かれても仕方ない、ということになります。歴史でそう習った…と思って高校時代に使った教科書
(山川「詳説日本史」昭和56年3月版)を見たら、本文に「日本軍隊の無条件降伏を勧告するポツダム宣言」と明確に記載されていました。あちゃあ、受験勉強時代の教科書読込不足がばれた…トホホ(恥ずかしいので小さくなってます)…

ひょっとしたら、同じ誤解をしている人が多いかもしれません。もしそうなら残念なことです。その意味で、こういう記事を掲載して頂くと本当に有難いですね。

高校時代の教科書をみたついでに、市販本「新しい歴史教科書」の記述を見ました。これはポツダム宣言は無条件降伏ではないことの強調と東京裁判史観からの脱却を図っています。少し紹介します。

まず本文中に「鈴木貫太郎首相や主要な閣僚は、条件付きの降伏要求であることに着目し、これを受諾する方向に傾いた。」とあります。

さらにコラムで「アメリカ大統領のフランクリン・ルーズベルトは、日本を無条件降伏させようとした。いっさいの降伏条件を示さないそのやり方では、相手国は降伏する機会を得ることができない。戦争は日本全土が破壊されつくすまで続くことになる。ルーズベルトが急死すると、国務次官の地位にあったジョセフ・グルーは、戦争終結の条件を日本側に示す案を熱心に説いた。グルーは日米開戦までの10年間。駐日大使をつとめた親日家で、愛する日本の国土を壊滅させたくなかったのだ。グルーなどの努力もあり発表されたポツダム宣言によって、日本は壊滅をまぬがれた」と記述。

また、資料では、ポツダム宣言(一部要約)「全日本国軍隊の無条件降伏」も明確。

これだけポツダム宣言につきしつこく書かれていると真面目に読めば誤解の余地はありません。

さらに読み物コラムで1ページを費やし、「東京裁判を考える」を載せ、「国際法からみた東京裁判」では「平和に対する罪」の問題やパール判事が被告全員を無罪と判断した話を載せて、「東京裁判については、国際法上の正当性を疑う見解や、逆に世界平和に向けた国際法の新しい発展を示したとして肯定する意見があり、今日(こんにち)でもその評価は定まっていない」としています。また、GHQが検閲と宣伝を徹底的に行って日本人に自国の戦争に対する罪悪感を植え付けたことも記述しています。

また、その前のページの読み物コラムではやはり1ページ割いて、「20世紀の戦争と全体主義の犠牲者」では「戦時国際法では、戦闘員以外の民間人を殺傷したり、捕虜となった敵国の兵士を虐待することは、戦争犯罪として禁止された。しかし、二つの世界大戦を通じて、このルールははなはだしく破られた。実際には、戦争で非武装の人々に対する殺害や虐殺をいっさいおかさなかった国はなかった
(※)。日本軍も戦争中に侵攻した地域で、捕虜となった敵国の兵士や民間人に対して不当な殺害や虐殺を行った。」と記述した上で、空襲・原爆投下とシベリア抑留について批判的記述を行っています。また、二つの全体主義の犠牲者として、ナチス・ドイツのユダヤ人大量虐殺と、共産党一党独裁スターリンの農民処刑や共産党幹部の粛清、強制収容所の記述があります。
(※殺害や虐殺をおかす、は日本語としてちょっと変)

いずれも実に真っ当な記述ですが、サヨクの人たちから見れば「東京裁判に疑問を挟むこと」=「戦争を賛美」ということになるわけです。それが大前提、数学で言う公理である以上、いくら議論しても平行線を辿ります。これがいわゆる○○の壁…

|

« 小沢氏の靖国「分祀」論で民主党にメール | トップページ | ニッポン頑張れ! »

コメント

拙記事の紹介、並びにコメントを頂き有り難うございます。
練馬のんべさんの言われるように、日本は国として無条件降伏をしたと勘違いされている方が大変多いと思います。学校でもそのように教えていたと思います。
この事がまた、現在の東京裁判史観を作っていく上で大きな役割をしてしまったようです。
その意味でもポツダム宣言を読み返せば、日本政府は無条件降伏でなく、条件を提示された(第6条以降)降伏なのが分かって貰えると思います。
日本はドイツと違って終戦時政府も有りました。(ドイツと一緒にされては困る)
以前朝日新聞の社説で東京裁判を知らない事が書いてました。
靖国神社参拝で、所謂A級戦犯が問題になります。それならこの人達を裁いた東京裁判はどのような内容だったのか、そこから突き詰めていくべきだと思います。

投稿: まさ | 2006年6月16日 (金) 10時04分

珍説 昭和20年8月15日が停戦発効!?
http://www.kurayama.jp/modules/wordpress/index.php?p=416#comments

投稿: 珍説 昭和20年8月15日が停戦発効!? | 2010年9月22日 (水) 02時27分

 私も仰る様に、ポツダム宣言の受託=無条件降伏容認と習いましたので、マリアナを陥されても、沖縄を陥されても無条件降伏を受け入れる事が出来無かったのに、先帝陛下の「親父」と目された鈴木貫太郎閣下が、一転肯んじた理由が判りました。

 FDルーズベルトの死で、急転、条件付きになったからこその受諾だったのですね、グルー元駐日大使の存在は知って居ましたが、日本にとって本当の恩人と言える人なのかもしれません。

 無条件では、降伏できなかった最大の理由と思われる戦争責任者としての「天皇陛下の処刑」=国体の滅失=日本国の喪失、と云う、日本臣民が最も恐れた結果を回避する糸口を着けてくれたのですから。

 連合軍側の2重の約束違反を阻止する為に、最初の約束違反である軍事裁判を容認し、多くの臣民が丸っきり無実の罪を被せられても、従容と死刑台に赴いたのですね、マトモな法精神を持った人なら、裁判自体が不当ですから、当然、無罪を云い渡すべきだったのですから。

 終戦時、大人の日本人は其れを理解して居たから、連合国進駐軍撤退後に、国会で社会党代議士の発議で、「日本には戦犯は居ない」事が決議されたのでしょう。

 戦後の歴史は、「如何なる理由で戦争は始められ、そして、如何なる経緯を経て降伏するに至り、何を以て戦後の復興に臨んだのか」と云う流れが、戦勝者米国の視点では無く、敗残者足る国民の視点で捉えられていなければ、後世に真実は伝えられないと思います。

 戦犯合祀を理由に参拝しない日本人は、こういう経緯を知っての事か、と問い質したい、知らないで、云って居るのなら、彼らは勝ち馬に乗った、卑しく内心怯えた猿に過ぎない。

 御紹介真に有り難うございました、正に目から鱗が落ちる思いでありました。

投稿: | 2010年9月23日 (木) 02時21分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ポツダム宣言と東京裁判:

« 小沢氏の靖国「分祀」論で民主党にメール | トップページ | ニッポン頑張れ! »