今回、考えが十分まとまっていないため文章におかしな点があるかも知れません、ご勘弁を。また、前回の文章は怒りにまかせて書いており不適切な表現が多かったので、その点もここでお詫びします。
5/15朝追記:明らかに文脈が通じない部分が多かったため、表現を修正しました。趣旨は変えていません。
<要約>
連盟に目先のお金がないから名人戦問題が起きました。残念なことです。目先のことも大切ですが、将棋界の先細りを防ぐためには、棋士に厳しい改革を外部の力を借りて行うこと、つまり連盟の解体と新組織での出直ししかないと考えます。
それはなぜか。「将棋」は日本が誇るべき文化です。しかし、子供が勝手に将棋を覚えたのは過去のこと、今や普及活動なかりせば衰退し「伝統芸能化」が確実です。また、ファンの「将棋界」離れをくい止め、いずれ起こる新聞社の将棋欄切り捨てを防ぐためには、ファンに魅力ある将棋界に変身しないといけないわけです。連盟は「棋士の棋士による棋士のための団体」から「将棋文化の担い手」に変わるべきなのです。しかし今回の騒ぎで、今のままではとても無理である、と感じざる得ませんでした。
<詳細>
当たり前の話ですが、将棋ファンが昔のように増えれば新聞社も将棋欄を重視しますし、普及で収入を増やすこともできます。まず、多くの子供を将来の将棋ファンに育てること。多分将棋界誰もがそう思っているはずです。他に、時間のある女性や高齢者のファンを増やすことも検討に値します。
子供にとってもテレビゲームなんぞするより目の前の相手と将棋をする方がずっと脳の活性化に役立つはずです。負けて悔しがること、「今に見ておれ、臥薪嘗胆で次は勝つぞ」と思うことは、感情のコントロールのトレーニングですから、「キレる」ことも減ります。
もちろん高齢者にはぼけ防止にちょうどいい。
従って、連盟が将棋ファンを増やすことは、プロ棋士のためであるとともに、ひいては日本のためにもなります。名人戦問題で騒ぎを起こして大幅なイメージダウンになったのはほんと残念。将棋連盟は大事な日本文化を預かることの大きな責任を全く分かっていない、という言葉に反論できないでしょう。
目先の話では、現状では新聞社のお金がこれ以上期待するのは難しいため、普及で食っていく道が必要です。企業でお稽古を、という時代ではありませんから、子供、女性、高齢者に普及するしかありません。ぼけ防止としての将棋も悪くないし、女性に普及するのも大切なことです。
子供への普及には2つのハードルがあります。子供に将棋の面白さを伝えることと、親たちの意識を「お金を払って将棋のお稽古に行かせよう」とピアノなみに引き上げることです。難しいけど突破しないと進みません。
こういうとき、将棋連盟は自分だけで考えるのではなく、外部の知恵と力も借りるべき、特に新聞社などのマスコミには真剣に訴えていくべきです。目先の金の問題でマスコミの餌食になったのは、その意味でも致命傷です。
なお、仮にやっとのことで「将棋」を普及させたとしても、棋士の制度がファンに納得のいくものでない限り、ファンが「将棋界」に対してそっぽをむくのは前回書いたとおりです。
古い話ですが、「羽生ブーム」「ふたりっ子ブーム」のときが子供への普及の千載一遇のチャンスでした。連盟がそれを「将棋ブーム」と勘違いして本当の将棋ブームにする努力を十分しなかったこと、実に悔いが残ります。
「ふたりっ子」で言えば、棋士の番組出演などで努力の跡を感じましたが、所詮将棋界の内輪受け。そんなことより指す手は他にあったはず。例えばの話ですが、主人公は真剣師の道場で教わり、後にプロの内弟子になりましたが、ではライバルにはこども教室で育つようなストーリーにして貰う、そしてそれに呼応して教室を増やす、とか…。
日本棋院は「ヒカルの碁」ブームのとき、少しはマシでしたが、やはり不十分でした。韓国では、「イチャンホブーム」を「囲碁ブーム」にすることが出来た結果、プロは引く手あまた、アマでも囲碁教室で食べている人が多く輩出し、その結果優秀な若手も続出、今や国際戦では日本は敵ではありません。悔しい話です。
将棋文化の先細りとファンの将棋界離れ、つまり悪い意味の「伝統芸能化」に対して、連盟が今から何が出来るのか。正直なところ、今の連盟には期待できません。しかし、この事態はなんとしても防ぐべきこと。だから、将棋連盟は解体して出直しが必要、と記述した次第です。
なぜ期待できないのか。将棋連盟は理事が棋士で、棋士総会が最高決定機関、受益者も棋士という「棋士の棋士による棋士のための団体」だからです。
以前、子供が勝手に将棋を覚えた時代には、連盟は文化を担う重責を感じる必要が無く、対局料を出してくれる新聞社だけを相手にすれば良かったので、棋士だけの経営で問題有りませんでした。棋士は1対1なら非常に強いです。
しかし、将棋文化の衰退の流れを反転させるという大きな責務を持った今は広い目が必要になっており、棋士だけでは限界があります。
では、将棋の好きな経営の専門家を外部から借りてくればいいか。日本棋院の現状から類推すると、おそらくそれでもだめでしょう。経営のことは分かっても、専門家としての苦労を知らない限り、将棋に対する情熱も知識も骨に染みてはいないからです。
将棋連盟の経営者にとって喫緊の仕事は、将棋の普及のため間違いない道をつけること、ファンと新聞社に納得のいく棋士の制度や賞金体系を編み出すこと、と思います。そのためには、独善に陥らないように、様々な他の畑の方の知恵と力を借りる謙虚な心と広い目、そして将棋界にとって何が一番なのか見極める力が必要です。
将棋のために知恵や力を貸してくれる人は多くいるはずです。教える専門家である先生方、世間に知らしめる力を持ったマスコミの方、経営の専門家の方、などなど…。
そういう前提で、連盟はどんな方に経営を任せるべきなのか。例えばですが、志半ばで将棋を辞めざる得なかった元奨励会で、その後苦労して経営者になったような方などはどうでしょうか。実際にそういう方がいるかどうかは、残念ながら私は知りませんが…
間違いない普及の道や制度が出来れば、そこからは盤上の専門家である棋士の出番です。そして、その結果を検証し、さらに改善する経営者、実践する棋士…と良い回転を始めればそれでこそ文化が守れるわけです。こう書くのは簡単ですが、実施するのは難しいし痛みが伴います。連盟が痛みのある改革を人に任せる度量があれば文句ありませんが、現在の連盟には不可能だろうと思っているわけです。
もちろん、連盟が予想をいい意味で裏切り、私の心配など一蹴して頂ければ、それに勝る喜びはありません。
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