文藝春秋、高橋紘氏の論文への反論
高橋紘氏が女系(方系)天皇容認、長子優先の論文を文藝春秋誌に寄稿しています。表題『現代版「壬申の乱」への危惧』とはなかなか洒落たものでさすがです。と、感心ばかりはしておれません。もっとも、文藝春秋誌は、藤原正彦氏と平沼赳夫氏の対談も載せており、両方の意見が読めるように編集されています。
高橋氏の意見を一部引用し、反論を試みます。
高橋氏『明治、大正、昭和と「見える天皇」制下にあっては、伝統を尊重して遠い傍系に継承させるより、「親から子へ」という直系継承の方が、国民に親しみやすい』
練馬のんべの反論:「伝統」と「親しみやすさ」のどちらを優先するか、それは議論の余地無く、同誌184ページに藤原正彦氏が『古き伝統に対しては、議論など無用、ただそれにひれ伏すべき』と述べられていることに尽きます。
高橋氏『問題は「男」か「女」かではない。皇位継承の選択肢を、「傍系男子」と「直系女子」のどちらかに広げるかである。私が「女性・女系容認」、「長子優先」を言うのは、天皇は性別よりも、直系として生まれ、小さいときから天皇として教育される方が、重要だと考えるからだ』
練馬のんべの反論:これは、高橋氏が皇室を長年間近で見てきて、皇室に非常に愛情を持っていらっしゃるゆえのお考えかと思います。昭和天皇陛下も今上天皇陛下も、天皇として非常に素晴らしい、並の人間にはとてもできないことをなされ方であり、その高みに至るには小さな頃からの帝王学が必要、と思われるのも無理のないことかと思います。
ですが、男系の伝統という正統性のない天皇は、既に天皇ではありません。これで反論を打ちきってもいいのですが、補足すれば、皇室の方々は間違いなく全員、また、旧宮家の方々全員かどうかはわかりませんが、少なくとも一部の方々は、「一旦緩急あらば」の心構えは当然持っていらっしゃるわけで、心構えさえあれば、帝王学は短期間に学びうるものではないかと愚考します。
高橋氏『戦後、米国の圧力で宮家が潰されたと開設する向きもあるがそう単純ではない。皇族のリストラは、既に明治政府自体が機会をとらえて実行したいと考えていた…(中略)…1920年には500年前に分岐した伏見宮系を将来的に解消する「皇族の降下に関する施行準則」が出来た。天皇家とあまりにも隔たった血筋を処断しようとしたのだろう。8世を超えると長男の系統でも自動的に皇籍を離れなければならないとした。その段階で伏見宮系は16代なので特例として17代目を5世とし、孫、曾孫、玄孫までは皇族とした。9世以下は生まれたときから皇族ではない。』
練馬のんべの反論:これは「側室制度」を廃止するまえに出来た準則であり、宮家があまりに増えすぎるのを防止するための策に過ぎない、ということかと愚考します。また、敗戦直後にはここまで男子が産まれないことは想定できなかったことです。しつこいですが、伝統の芯(心)は絶対に変えてはならないことであり、その大前提のもとで考えるしかないわけで、
高橋氏の旧宮家復帰案への批判『近代天皇制の始まった明治以前に戻し、前例のない600年も前の傍系に正統性を認めよと言うのである』
練馬のんべの反論:「近代天皇制」の考え方より男系という伝統の芯(心)が優先するのは議論の余地がないわけです。従って、旧宮家復帰も当然検討されるべき選択肢です。
さて、不敬を覚悟で練馬のんべの素人考えを言うと、旧宮家の独身の方に、現宮家の各内親王、各女王殿下の婿養子となって頂き、その内親王殿下・女王殿下の宮家を継いで頂く、そしてその子供に皇位継承権を与える、というのが一番国民にも理解を得やすいと思います。篠沢教授の意見に近いでしょうか。
皇室典範は天皇家の家法、その改正問題は、前にも書いたとおり、憲法第2条を改正し、憲法には「天皇は男系の皇孫」「皇室典範は皇室会議にて決定」として、伝統と血の重みを最も理解頂いている天皇家と皇族の方々にお任せするのが最善と信じています。
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