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2006年2月

2006年2月27日 (月)

荒川選手のウイニングラン見たかった…

「びーちぇの別館」のトラックバック頂いたお陰で知りましたが、荒川選手の日の丸を持ったウイニングランをNHKがカットしていたなんて酷すぎます。見たかった、ほんと残念、怒り心頭です。ぜひトラックバックをご覧下さい。NHKにクレームを入れましょう。多分電話はつながらないだろうなあ。

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2006年2月25日 (土)

憲法第13条について

「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
大いに問題のある条文です。個人だけ尊重して、家族や社会を尊重しないのは、憲法(つまり立法・行政)の精神としておかしい。「すべて国民は、個人として、ならびに、家族の一員として、尊重される」とでもしましょう。本来は社会とまで書きたいのですが、さすがに立法・行政府に拡大解釈の余地を与えかねないので…

日本国憲法の根底は、昔学校で「国民主権・個人の尊重・平和主義」と習った覚えがありますが、今思えばすごい思想だと思います。
国民主権は、責任を誰にも持たせない無政府主義の思想。
個人の尊重とは、声の大きなわがままな連中だけを大切にする思想。
平和主義は平和をもたらさない危険思想。
こんな風に思うのは私だけでしょうか。

「家族がいちばん」、それが、根本。わたしはそう思っています。

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2006年2月24日 (金)

憲法第2条について

このブログで第9条などを議論するつもりはないのですが、皇室典範の議論に踏み込んでしまったので関係しそうなところと、その他の気になるところを記載するつもりです。

「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。」
これは「国会の議決した皇室典範」というところに問題があります。以前もかいたとおり皇室典範は天皇家の家法、「国会の議決」になじむものではありません。

大日本帝国憲法では、
「皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス」
となっていますが、女性天皇(女系/方系にあらず)を認めることが不可能ですので、
「皇位は、世襲のものであつて、皇室典範の定めるところにより、男系の皇孫がこれを継承する。皇室典範は皇室会議により定める。」
などというのはいかがでしょうか。

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荒川選手の金メダル!

言うまでもなく、ほんと素晴らしかったですね。
他の種目の選手には失礼ながら、やはり重みが違います。例えばスピードスケートなら500/1000…といくつもあるけど、冬五輪の華「フィギュア女子」の金メダルは一つだけです。

表彰式の時、日の丸が揚がって君が代が聴けてほんと良かった。

そして、荒川選手が自然に君が代を唄っていた様子に敬意を表します。

冬五輪で女子の金は長野の里谷選手以来ということですが、そのとき里谷氏が帽子をかぶったまま君が代を聴いていたのとは大違いでした。

NHKは本音ではそのとき荒川選手が君が代を口ずさむところを放映したくなかったんだろうし、朝日は割愛するだろうなあ…

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2006年2月23日 (木)

日本国憲法第1条について

「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」
とあるのはご存じの通りですが、私にはなんのことを言っているのかさっぱりわかりません。国民主権と言われたところで、少なくとも私は「国民」ではありますが「主権」を持っているという意識はありません。もちろん、主権を行使する殆ど唯一の機会である選挙には必ず行きますが、選挙権があるから主権者だよ、と言われても…また、天皇陛下を快く思っていない日本国民もいるわけで、論理上、少しでも反対者がいる以上日本国民の総意ではないのだから天皇の地位は認められない、などという論理も成り立ってしまいます。

その点、大日本帝国憲法では
「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」
となっており非常にわかりやすい。

日本国憲法を改正するときは、天皇陛下は祭祀者であることも否定しようがないのだから、
「万世一系の天皇は日本の元首である。天皇は日本国民の幸福を常に祈念する」
などとしたほうがいいのではないでしょうか。

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2006年2月19日 (日)

農耕民族の智慧

藤原正彦氏が明らかにされたように、市場原理主義もだめ、もちろん共産主義もとうの昔にだめです。となれば、日本型の側隠の情が鍵になる、という藤原氏の言葉は重みを持ちます。落語(孝行糖)に、飴売りを与太郎にやらせた、というのがあります。当時は飴売りは普通の人にはやらせずに社会的弱者の仕事とされていた、ということであり、社会全体が側隠の情を持っていた例といえます。(「国家の品格」からの引用ではないつもりなのですが、手元にないのでひょっとしたらその話は載っているかも知れません、そのときは勘弁)
農耕民族には、みんなで力を合わせて、大自然の脅威を避け、大自然の恵みを得る、という恐怖心と智慧があります。側隠の情とは、大自然に対する智慧でもあったのだと思います。
以下、頭がまとまっていないのでそのうち続きを書きます。

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2006年2月18日 (土)

トラックバック多謝

予定を変更してトラックバックをして頂いた「川村けんとのいい加減にします」のご意見にコメント。
まずはトラックバックありがとうございました。
女系とは神武天皇以来女性でつながっている方を言う、というのは非常に当たり前だが全く気づかなかったこと、どちらかでつながっているのだから女系でなく例えば「方系」というべき、というのはまことに卓見、敬服です。
このブログでは、男系は(それで125代続いたのだから)当たり前という立場で記載していますので男系・女系などはあまりコメントするつもりはありません。「女系」も「方系」も、土井たか子さん風に言えば「ダメなものはダメ!」です。
でもまあ、いわゆる女系(方系)賛成の方々には、少しずつ反論していくつもりです。

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騎馬民族と農耕民族

藤原正彦氏の「国家の品格」が売れまくっているようで、まことに慶賀の至り。アングロサクソン方式の議論でやっつけた方が偉い、という考え方に対して真っ向から警鐘を鳴らしており、側隠(atokでは変換できなかった…失礼な話だ)の情を持った日本型を、と主張されています。まさに正論です。

著者について余談。藤原正彦氏はご存じの通り新田次郎氏・藤原てい氏ご夫妻の息子さん。藤原家には、いまでも新田次郎の表札がかかっています。藤原正彦氏は「若き数学者のアメリカ」「数学者の言葉では」を出版当時読んでいらい注目していますが、最近では正論新風賞を取るなどすっかり保守の論客ですね。氏の教育論、一に国語二に国語、三四がなくて五に算数というのにも断固賛成。

閑話休題。アングロサクソンの市場原理主義は、まさに騎馬民族の考え方。剣を携え馬で来る代わりに、理論を携え金に乗って来るだけの話。短期的には、お日様の恵みを大事に大事に作物を育てている農耕民族を襲えば、農耕民族はひとたまりもありません。しかし、騎馬民族が去った後は荒れ地が残るだけ。それを地球規模でやられては、地球全体が荒れ地になるだけです。騎馬民族とて結局は行き場を失って滅び去るだけ。現代の市場原理主義そのもの、という感じです。

以下、次回。

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2006年2月15日 (水)

昭和レトロの社民党ばんざい(^^;

自衛隊を違憲状態とする、など、まことに懐かしいお言葉でいいですねえ。高度成長時代の古き良き時代というか、ノスタルジーというか…。例えば毎日新聞からは「政権を取らないことを覚悟した政党が「ダメなものはダメ」と言い続けても何の不都合もなかろう。」などとからかわれていますが、こうなれば徹底的に懐古趣味で頑張ってほしいですね。ついでに、社民党本部は、ぜひ昭和レトロの青梅に移転してほしいものです(^^)

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2006年2月14日 (火)

バレンタインデーに思うこと

幼稚園児の娘から(お友達のお母さんと一緒に作った)チョコケーキ貰ったよー、と威張っておきます(^^)
馬鹿話はともかく、バレンタインデーはどう考えてもキリスト教の祝祭日、日本には本来関係ないけど気楽に取り入れてしまうのが八百万の神、神仏習合の伝統の力。
「八幡大菩薩」などを考えれば、例えば「キリスト出雲大社」が出てきても全然不思議ではない…まあ、今からそれはあり得ないとは思いますけど、気分はそんなもんでしょう。だって、キリスト教徒以外の日本人がキリスト様に思いをかけるのは、バレンタインデー、クリスマス、それに結婚式、どれも「縁結び」ですからねえ。この日本のおおらかな伝統は守りたいものです。

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2006年2月13日 (月)

ゆとり教育見直し歓迎

中教審で、ゆとり教育を見直して国語と理数の時間を増やす、という検討が行われているようですが、これでやっと少しは改善の方向に向かってくれるといいですね。必然時間が足りなくなるわけですから、週休2日の見直しの議論もなされることを期待します。

うちの子供もまさにゆとり教育で教わっていますが教科書を見ると内容の薄いこと…
ゆとり教育ってのは、日教組の教師がのんびり休む(お陰でまともな先生はあおりを食って猛烈に忙しくなる)ためにあるようなもんですから。
また、「落ちこぼれ」防止のため、要するにレベルを「落ちこぼれ」にあわせた、とも言えますね。これじゃあ困るし、どんなにレベルを下げても落ちこぼれてしまう子供の割合は不思議なことに?そんなに変わらないようです。

子供には、少しくらい難しいことを詰め込んだほうが、知的好奇心が養成できていいはずです。それで落ちこぼれてしまった子供に対する救済策を考える、というのが普通の発想だと思いますが…

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2006年2月12日 (日)

田中卓氏の意見は違和感あるなあ…

皇學館名誉教授の田中卓氏が女系天皇を可とする理由の中で、皇室の先祖が天照大神様は女神様であること、も論拠のひとつにされていました。これには違和感があります。例えば山の神様も普通女性で、そこは往々にして「女人禁制」になるとしたものではないのでしょうか。我が八百万の神の世界では、女神様を祀るのはできれば男性のほうがいいですよ…

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2006年2月11日 (土)

紀元節

今日は紀元節。当然日章旗を掲げるべきでしたが、うちにはないのが情け無い。早く買ってこないといけないなあ、と思いつつ、怠慢しています、反省。

それにしても、「旗日」を行っているうちは近所では殆どみかけません。自分も含め残念なことです。

もっとも、旗日でなくただの休日にしか思えないハッピーマンデーと(もちろん、休みが増えるのは非常にありがたい)、国恥記念日とも言える「憲法記念日」なんかには絶対に掲げる気はしません。

あと、みどりの日がようやっと再来年から「昭和の日」になるのは非常にめでたいこと。となれば、当然文化の日も「明治の日」、勤労感謝の日は「新嘗祭」「天恵感謝の日」などにしたほうが本来の意味でいい、と思っています。

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皇室典範について

天皇家の家法について、我々下々の者が口を出すこと自体が不敬な話です。ただ、おかしなことに、現行の法体系上は憲法の下にあるわけで…。憲法を改正するときに皇室典範は憲法の範囲外、皇室会議で決定すべき事項であることを明記すべきと思います。
なお、不敬を覚悟で個人的見解を記します。天皇は当然男系たるべきこと、GHQに廃された宮家は復活可能なことを付記すること、皇位継承順位はあまり明確に記載しないこと(皇室会議で必要に応じ決定すべきこと)、などが必要と思います。

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2006年2月 9日 (木)

祝!秋篠宮妃紀子殿下ご懐妊

皇室典範の法案やら議論やらを吹っ飛ばす「ご懐妊」ニュースの威力は、まさにヤマトの波動砲なみでした。この猶予期間に、男系の意味や女系天皇と女性天皇の違いなど、マスコミが国民に知らしめるのは責務ですね。個人的には男系以外はあり得ないという立場です。伝統を見れば明らかです。また、個人的感情で言えば、「愛子様天皇」なんて、敬宮愛子内親王殿下があまりにもかわいそうです。

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2006年2月 8日 (水)

大切な子供たち

誰がなんと言おうと、子供たちが一番大切です。
「なんで子供が一番大切なの」などという質問は、「なんで人を殺してはいけないの」と同じくらい意味のない質問。
自分の子供も他人様の子供も大切な子供。大事に育てないと。甘やかしてだめにしたら、ご先祖様をはじめとする我が日本の諸先輩方に対して、こんな申し訳ないことはありません。

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秋篠宮妃紀子殿下ご懐妊、おめでとうございます

今年最高の素晴らしいニュース、天照大神様のご加護あらんことを。

それにしても、やはり、我が日本は、危機が訪れると神風が吹くものですね。
皇室典範「改正」とやらを吹っ飛ばして当面の危機を回避することができました。

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